ここへ来て「日銀の金融緩和は間違いだった」「需要を先食いしただけだ」といった議論が話題になっている。筆者は「金融緩和への懐疑論こそ間違っている」と言う(撮影:大澤誠)

FRB(米連邦準備制度理事会)が2015年末に利上げを開始してからほぼ3年になる。一方で、欧州と日本の中央銀行は量的金融緩和を縮小させている中で、利上げを開始するには至っていない。

「金融政策は将来需要の先取り」は正しいのか?

こうした中、日本銀行は2018年7月にターゲットである長期金利の変動幅拡大を容認する金融政策の微調整を行った。その後も、金融政策を取り巻く環境が変わったという「空気」が影響しているのか、長きにわたる日銀による金融緩和政策を批判的に扱う書籍や議論がメディアで話題になった。


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日銀による金融緩和に対して批判的な意見にはさまざまな観点があるが、1つの論点として「金融政策は、将来の需要の前借りである」という見方がある。金融政策は、政策金利の引き下げなどで、短期的な需要変動をなだらかにする政策である。不況のときには、金利を引き下げるなど金融緩和によって、消費や設備投資などの総需要を増やし、経済全体の落ち込みを和らげる。この意味で、「前借り」効果の有効性を否定する人は、ほとんどいないだろう。

現在の日銀などの金融政策を、「需要の前借りにすぎない」として批判的にみる論者は、総需要を前借りしても、時間が経過すれば前借り分を返済するので効果は一時的で、時間をかければ政策効果は中立である点を強調する。また、「異次元」とされる現在の日銀による金融緩和の行き過ぎを懸念することが多い。

一方、日本のように1990年代後半から、ほぼ20年の期間にわたってデフレと不完全雇用が続いていた国において、金融・財政政策の効果が「前借り」にすぎないという見方は当てはまるのだろうか。

日本では2013年から「黒田日銀」の誕生でデフレが和らぐ以前、つまり1990年代半ばにデフレが始まってから、一時期を除いて「不完全雇用」が続いていたと筆者は考えている。

実際に2018年に失業率の2%台が定着しても、賃金上昇率があまり高まらない状況である。日本の場合は、失業率が一見他国と比較して低いように見える。だが失業率が3%台半ばを上回っていた1996年前後から2015年前後のほとんどの期間は、不完全雇用と位置づけられるだろう。

不完全雇用の状況とは、多くの新卒者などの若年層が就業する機会を得ることが難しい、あるいは希望する待遇の労働環境に身を置くことが難しい、ことを意味する。

むしろ不十分な金融緩和・拡張財政こそが問題だった

希望する就業の機会を長年にわたり失ってきた人々が、日本では長期間にわたり多く存在した。このため、十分だったかどうかはともかく、金融緩和などの政策は、経済成長と労働市場を改善させる方向に作用し、「需要の前借り」の反動はほとんど起きていなかった。

つまり、不完全雇用とデフレが続いていた期間は、副作用はほとんどなく、ほぼ効果しかなかった金融緩和・拡張財政が十分行われなかったことが大きな問題であった。そして、労働市場でスキルを身に付ける機会を逸した若年世代の経済的な損失を、取り戻すためのコストは現時点で極めて大きくなっている。

要するに、金融政策による「需要の前借り」が問題になるのは、完全雇用実現後にインフレ率が高まりすぎて、利上げが行われ経済が減速する局面が訪れる時なのだろう。日本では、2018年に失業率が2%台に低下しており、失業率2%前後と考えられる完全雇用の領域に近づいており、労働市場の状況は2012年以前と比べて格段に改善している。しかしインフレ・賃金の伸びの低さを考えれば、「前借り」の反動を懸念する経済状況には、まだ距離があると筆者は考えている。

また、デフレと不完全雇用がとても長く続いた日本の経験を踏まえ、金融・財政政策は「需要の前借りにすぎない」と位置づけることは適切なのだろうか。

後知恵ではあるが、デフレ脱却には不十分だった金融・財政政策が続いていたがゆえに、総需要不足と不完全雇用が続いた。このため、就業経験を得る機会を失った多くの人々は、長期にわたりスキルが必要な職の経験を得ることが難しくなり、労働市場を通じて所得を高める機会も限定的になった。

つまり、金融・財政政策の機能不全によって、他国よりも長期間の不完全雇用の状況が長期化したことで、労働生産性を抑制し、趨勢的な経済成長を左右する供給側の成長(潜在成長率)を下押ししてきた可能性があると筆者は考えている。

メディアの論調の変化も、市場心理に悪影響

これは、筆者の仮説にすぎないが、2012年までのデフレと不完全雇用によって供給サイドが抑制されていたとすれば、2013年以降の金融緩和の強化により、総需要を増やすことに加えて、それと同時に供給力を底上げする効果が表れる可能性がある。長期停滞の後の日本では、いわゆる「高圧経済」が実現する可能性があるということである。

依然デフレと長期停滞から抜け出す途上にある日本において、金融・財政政策などが「総需要の前借りにすぎない」という議論を当てはめるのは、時期尚早であるように筆者には思われる。2%のインフレ目標実現を目指すのは言うまでもないが、それに達しない段階では緩和的な金融・財政政策を徹底することが、需要・供給の双方の側面から経済成長を底上げする意味で適切な金融財政運営になりうるのではないか。

2018年10月以降、米国の株式市場が下落したことをきっかけに金融市場は混乱し、日本株市場も再び下値を模索している。10月ごろからここで紹介してきた金融緩和政策への懐疑的な見解を、日本のメディアで多く見かけるようになったが、メディアの論調の変化が、日本の株式市場の心理にも少なからず悪影響を及ぼした可能性があるかもしれない。

なお、2018年まで断続的な利上げを続けてきたFRBのジェローム・パウエル議長などは、これまでの利上げペースを和らげる方向に、今後政策スタンスを変える姿勢を示している。2018年の株安の一因になったFRBの利上げへの懸念が、2019年に和らぐ可能性がある。各国の金融政策スタンスが、金融市場の先行きに大きな影響を及ぼす状況は、2019年も変わらないと筆者は考えている。