現在、全国に100万人以上いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は今年初めて、40歳以上を対象に実態調査を行うと決めた。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。
(ノンフィクションライター 亀山早苗)

<第5回>
山本恵子さん(仮名=73)のケース

「働いてほしい。それが本音です。息子はずっと立ち止まっているだけ。動き出してほしいんです」

 これがひきこもりの子どもを抱える親の本音なのだ。穏やかな口調で話していた山本恵子さん(仮名=73)が、そう言ったとき、親としてのつらさが伝わってきた。

 恵子さんの息子の翔太さん(仮名=45)が断続的ながらひきこもり状態になって15年がたつ。まったく仕事をしなかったわけではないが、長続きはしなかった。小学生のときから自分が納得できないことは、はっきりそう言う子だった。だから協調性がないと言われたこともある。

「自分が理不尽だと思うことに対しては動かないところがあります。中学時代、同級生が亡くなり、学校から強制ではないけど、お線香をあげにいってほしいと連絡があって。でも息子は、小学生のころからその子にいじめられていたから“行きたくない”と。何があっても亡くなれば仏さまだからと思ったけど、頑として行きませんでした」

 ただ、友達もいたし、やりたいこともあったようだ。高校卒業後はコンピューターの専門学校へ進み、積極的に就職活動もして自分で会社を決めた。ところが、翔太さんに不運が襲いかかる。

「IT関係の会社に決まったのに、入社前に倒産してしまったんです。本人としては大変なショックだったみたい。それでもめげずに別の会社で2年ほど働きました」

 しかし、新たな仕事は本人のやりたいものではなかった。IT関係には見切りをつけたのか、今度はアニメ関係の専門学校に行きたいと言われて高い授業料を払ったが、卒業するには至らなかった。彼の“仕事への意欲”はすでにキレていたのかもしれない。それでも「働かなくてはいけない」という気持ちが強かったのだろう。知り合いの紹介で仕事を始めた。

「30歳くらいまでは、そうやってなんとか仕事をしていたんですが、その後1〜2年、仕事をしない時期が続きました。でも、そのうち動き出すだろうと思っていたんです」

 恵子さんは、まさか息子が“ひきこもり”だとは思っていなかった。

病院で検査しても原因がわからない

 ちょうどそのころ、恵子さんの母が体調を崩した。毎日、母の面倒を見ていたので、息子のことを深く考える時間も気持ちのゆとりもなかった。息子は大人なのだから、自分の道は自分で切り開くだろうと親は思うものだ。

「ただ、いつまでたっても働かないので、だんだん心配になってきて、顔を見るたびに“どうして勤めないの” “早く仕事探してよね”とばかり言っていましたね」

 その後、ときどき数日間のアルバイトをしていた時期もあったようだ。

「夫が警備関係の仕事をしていたつてで、24時間勤務のシフト制の仕事を紹介してもらったんです。息子が34歳くらいのときでした。本人もやると言って働き始めたんですが、3か月でクビになりました。居眠りが多すぎるというのが理由。4年も働いていない身には24時間勤務はつらかったのかもしれません」

 本人が居眠りのことを気にして病院へ連れていってほしいと言いだした。検査をしたが、どこかが悪いわけではなかったという。翔太さんはまた気を取り直して就職活動をし、今度は流通関係の仕事についた。だが些細(ささい)なことで同僚とケンカになり、1年ともたずに辞めさせられた。

「仕事のやり方で言い争いになったようです。話を聞いてみれば身びいきかもしれないけど息子のほうが正しい。だけど会社側は、ことを荒立てたのは息子だからケンカするような人間は雇えないという。一本気なんですよね。それでまた辞めて。私は息子がどうも世渡り下手なのが気になってしかたがなくて、若者サポートセンターとかで相談に乗ってもらえばいいんじゃないかと電話で予約までしたんです。それでも、息子は“わかった”と返事をしながら行こうとしない」

 そうなってもなお、彼女は息子を「ひきこもり」とは認識しなかった。転職を繰り返したり、人間関係でつまずくことは珍しいことではないのだから。

説教してみても堂々めぐり……

 ケンカで解雇されてから、息子はまったく働いていない。家で3食食べているが、親の金を持ち出すことはない。

「働いているときお金を管理してほしいと言われ、小遣い以外は全額預かっていたんです。その預金が少しあるので、お金がいるときはそこから渡しています。めったにお金は使わないし、本人も残額は把握していますが、一生暮らせるわけでもないしね」

 夫は息子に関してほとんど何も言わないそうだ。内心は不安を抱えているのかもしれないが、「本人に任せておこう」というスタンスを貫く。

「主人自身、仕事ではつらい思いをしてきているんですよね。もともとは親の代から続くお店を継いでいたんですが、近所にスーパーなどができたこともあって50歳を前に経営が破綻してしまって。だから仕事というものは思いどおりにはならないし、合う合わないもあると思っているみたいです。私はそんな主人を見てきたからこそ、息子にはきちんと働いてほしいという思いがある。

 主人は今も24時間の警備の仕事をしているんです。80歳近い父親が疲れて帰ってきたとき“おとうさん、お帰り”と言う息子を見ると、複雑な思いにかられます。お帰りと言う側じゃなくて、言われる側にならないといけないだろと心の中で何百回もツッコミを入れてしまう」

 恵子さんは苦笑いしながらそう言った。恵子さん自身も、平日は午後、家業を手伝いに実家に通っている。仕事を選んでいる時代ではない。時折、そうやって愚痴のように息子に説教するが、「わかってるよ」と言うか黙っているかどちらか。暖簾(のれん)に腕押し状態だという。

 息子が何を考えているのかわからない。社会と接点をもとうとしない子どもたちの親は、みなそう言う。だが、そもそも親子はお互いにそれほどわかりあっているものなのだろうか。一般的には、思春期に反抗期があり、それでもなんとなく成長して社会に出て、いつしか親子は精神的にも物理的にも離れていく。子どもが結婚しようが未婚だろうが、適度な距離をもちつつ年をとっていく。親子というのは、そうしたものだと思っていた。

 しかし彼らのようにどこかでつまずくと、親子は距離のとり方がわからないまま年をとってしまう。物理的な距離がとれなければ精神的にも子どもをわかろうとせざるをえなくなる。もしかしたら、どこかのタイミングで突き放したほうが子どもの自立につながるのではないか。

自覚しづらい社会的ひきこもり

 あるとき、どうしたらいいかわからなくなって、役所に置いてあった「ひきこもりの子をもつ親の会」のチラシを手に取った。うちの子もひきこもりなのかもしれないと初めて実感したそうだ。

 ひきこもりというと、何年も自室から出てこず、家族とも会話をしないイメージがあるかもしれない。だが、実際はとても多様である。

 この問題に詳しい精神科医の斎藤環氏は、「20代後半までに問題化し6か月以上、自宅にこもって社会参加しない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第1の原因とは考えにくいもの」として“社会的ひきこもり”という言葉を生み出している。家族とは普通に話ができて、コンビニや趣味の用事で外出をするケースでも社会的接点をもたなければ、これに該当する。

 最近では、本人や周囲にひきこもりの自覚がないまま、援助活動を開始せざるをえないことなども指摘されている。

 まさに翔太さんにもあてはまるのではないだろうか。

 恵子さんは親の会に出席してみて、苦しんでいるのは自分だけではないと知る。まず親が自分の身を省みてくださいと言われ、自分の人生を振り返った。

「子どもたちも小さいときはよく私の実家に行っていた。兄のところは女の子が3人、母も義姉も男の子が苦手だったみたいで、うちの息子は邪険にされていたようです。下の娘は可愛がってもらったんですが、私は、そのことに気づかなかっただけでなく、大人になってからは母と一緒になって息子に小言をいっていた。母が入院したとき、“ボクが行ったって喜ばないよ”と寂しそうに言ったのも覚えています。いろいろなことが積もり積もって、自分の存在意義みたいなものが見えなくなってしまったのかもしれない」

 子どもを2人もうけて、無我夢中で働いてきた人生をこの年で振り返るのはつらいだろうと思う。自分の育て方が悪かったと苦しんでもきた。

「息子の同級生たちはみんな働いて結婚している。そういうのを見聞きすると、どうしてうちの子だけそれができないんだろうと羨ましいし、切なくもなります」

親戚の集まりには平気な顔で参加

 あまりひとりで家から出ることはないが、親戚の集まりなどには親と一緒に出かけるのだそうだ。恵子さんも「なぜかそれは嫌がらない。そこが不思議なんです」と言う。甥(おい)や姪(めい)など10数人の集まりの中でごく普通に話している。小学生の甥っ子に「おじちゃんはどうして働かないの?」と聞かれたとき、恵子さんはどう答えるのだろうと聞き耳を立てたが、息子は「おじちゃんはクビになっちゃったんだよ」と自然に答えていたという。

 親戚は彼とは利害関係がないから、比較的、温かい緩やかな眼差(まなざ)しを彼に向けているのかもしれない。彼はそれを感じ取っているからこそ、気軽に出かけられるのではないだろうか。

「他人同士で群れるのはイヤ、会社などの上下関係もイヤということなのかしら。とにかく暖簾に腕押しで、どうしたらいいかわからなかった。親の会でいろいろな人と話をしても私には焦りがあって、“頭で考えるより行動しなさいよ” “海外協力隊はどう?”と息子にたたみかけたことがあります。でも、いろいろ調べてシミュレーションしては、自分には無理だと思うみたい。最近は、元ひきこもりの方の話も聞くので、私も少し静観できるようになってきました」

 買い物で荷物を持ってくれることもあるし、洗濯物をとり込んでくれることもある。ありがたいと思ったらお礼を言うべきだと親の会で言われ、「ありがとう」と言うようになった。息子の態度は以前から温和ではあるが、お礼を言うようになって、さらに会話は増えた。それでも肝心な自分の将来のことにはまったく触れようとしないところが、恵子さんには歯がゆいのだが。

 今年になって恵子さんは地元で、ひきこもりの子どもをもつ親の会を立ち上げた。もっと地域で集まって解決していく道があるのではと考えたからだ。親たちの小さな会は『NPO法人楽の会 リーラ』へとつながっている。不登校・ひきこもりの子をもつ親の会として、2001年に立ち上がった団体だが、地域ごとに親たちの活動を活発化させようと考え、現在、都内10数団体へと広がりをみせている。

「何ができるかわかりませんけど、同じ悩みをもつ人たちが少しでも気持ちがラクになればと思って」

 親の会のとりまとめは大変な作業だと思う。ひと口に「ひきこもりの子をもつ親」といっても、ひきこもる理由も状態も人それぞれ、親の考え方も千差万別なのだから。

 恵子さんは控えめな口調ながらも、親の会については熱く語った。彼女は息子をかまいすぎないためにも、同じ悩みをもつ人たちのために動きたいのではないだろうか。そして自分が活動している様子を見た息子が、自ら動き出してくれるのを期待しているのではないか。恵子さんは、自らが全力でやるべきことを見つけたのかもしれない。

 ここから翔太さんが何を見つけるのか、第三者の私もその変化が楽しみだ。

【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】

かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆