「くまのプーさん」の実写映画が人気です。しかも公開以来、30〜40代の男性観客の来場が増えているといいます。彼らはこの映画になにを求めているのでしょうか。ライターの稲田豊史さんは「最近は『とにかく動け』と煽る風潮が強い。そこに疲れた人が、プーさんの『何もしなくていい』という主張に共感しているのではないか」と分析します――。

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『プーと大人になった僕』

■製作国:アメリカ/配給:ディズニー/公開:2018年9月14日
■2018年9月22日〜23日の観客動員数:第1位(興行通信社調べ)

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■ファミリー客やディズニー好きの女性客ばかりではない

『プーと大人になった僕』が2週連続の1位となりました。同作のモチーフになっている『くまのプーさん』は、A・A・ミルンが1926年に発表した児童小説ですが、多くの人にとって馴染み深いのは、それを原作に1960年代以降製作されたディズニーアニメ版ではないでしょうか。今回の映画版は、プーの親友である人間の少年、クリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)が成長して大人になった後の物語です。

知名度の高いディズニーアニメの実写映画化としては、『美女と野獣』(2017年、興収124億円)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年、興収118億円)などのメガヒット作が思い浮かびますが、『プーと大人になった僕』は2週目で興収12億円超と、そこまでの勢いはありません。

ただ、筆者が意外に感じた点がありました。それは、複数の映画情報サイトが報じている「30〜40代の男性も劇場に足を運んでいる」という事実です。「映画.com」では「劇中の主人公と同世代の30代から40代の働く男性の来場も増えてきているという」、「映画ナビ」では「劇中のクリストファー・ロビン世代の30代-40代の働く男性の来場も増えてきている」と書かれているのです。

アニメ版『くまのプーさん』といえばファンタジーな世界観が特徴ですし、映画本編にはぬいぐるみのような質感のプーたちがCGで愛らしく描かれています。となれば当然、小さな子どもを連れたファミリー客やディズニー好きの女性客ばかりではと考えがちですが、蓋を開けてみると必ずしもそうではなかったのです。

■本作はまごうことなき「サラリーマンはつらいよ映画」

なぜ、30〜40代の男性客が来場するのでしょう。そのヒントは予告編にありました。多くの観客は予告編を観て観に行く映画を決めるものですが、『プーと大人になった僕』の予告編は、「仕事が忙しくて家庭をおざなりにしていた中年の男が、純粋無垢なプーに再会することによって改心し、家庭を大事にするに至る」話だということが、はっきりわかる作りになっています。この時点で、実際に仕事と家庭の両立に悩んでいる30〜40代男性のアンテナにひっかかったと推察されます。

実際に映画を観てみると、時代設定は第二次世界大戦後のイギリスですが、クリストファーが取り巻かれている状況は、現代日本の30〜40代男性サラリーマンとなんら変わりません。業績が悪い部署の管理職であるクリストファーは社長から厳しく経費削減ミッションを課せられ、休日返上でプランづくりに没頭。おかげで妻や娘の信頼を失ってしまってしまうのです。その意味で、本作はまごうことなき「サラリーマンはつらいよ映画」。既婚・子持ちの30〜40代男性は、ここに思い切り共感します。

■『トレイン・スポッティング』の主人公が中年になった

クリストファーを演じたユアン・マクレガーというキャスティングも、30〜40代男性のハートを掴みました。

彼が日本で最初に存在感を見せつけたのは、ドラッグ中毒の無軌道な青年を演じた『トレイン・スポッティング』(1996年)です。公開当時、同作はミニシアターでの上映作品でしたが、大学生の若者を中心にスマッシュヒットしました。その大学生は現在、40代前半です。

また、1999年から2005年にかけての『スター・ウォーズ』新三部作で、マクレガーは主役格のジェダイ騎士、オビ=ワン・ケノービを演じており、現在の30代男性が10〜20代の時にリーチしました。

つまり、かつては不良のヤンチャ坊主として大暴れし(『トレイン・スポッティング』)、その後は堂々とした頼れる騎士として大活躍(『スター・ウォーズ』)したが、現在は"家庭持ちの疲れた中年"。この点も、30〜40代男性がマクレガーに親近感を持ちやすい構造になっています。ちなみに、彼は1971年生まれの47歳。30〜40代男性とまさに同世代です。

■「"何もしない"は最高の何かにつながる」

サラリーマンとして、夫として、父親として、苦境に立たされたクリストファーは、ひょんなことからプーと再会します。会社からのプレッシャーで神経をキリキリさせ常に焦燥感にかられているクリストファーとは対象的に、プーは昔と同じ、のんびりマイペース。経費削減案を記した書類のカバンを後生大事にするクリストファーに向かって、「それって風船より大切なもの?」などと言います。

そんなプーや少年時代のクリストファーが唱え、劇中で幾度となく登場する最重要キーワードが、「"何もしない"は最高の何かにつながる」です。ちょっと哲学的な響きもあるこの言葉ですが、原作の『くまのプーさん』がお好きな方なら、有名な「"なにもしない"をしている」を思い浮かべたかもしれません。「"なにもしない"をしている」は、余白やプロセスの重要性を示したプーの名言です。

そんな原作『くまのプーさん』については、複数の識者が中国の道教(タオイズム)との共通性を指摘しています。タオイズムには「行(おこな)ったり、引き起こしたり、作ったりしない」という「無為(ウーウェイ)」と考え方があります。筆者なりに言い換えると、「一生懸命がんばりすぎると混乱するから、考えすぎないで自然に従えば、いい結果はおのずとやってくる」「ものごとはひとりでに、起こるべくして起こるものだから、無理に状況に介入してはいけない」といったニュアンス。これは「"何もしない"は最高の何かにつながる」にそっくりです。

■著名経営者の「マッチョイズム」には、もうウンザリ

一方、そんなプーのような考え方、およびタオイズムとは真っ向から対立する主張が、現在30〜40代を中心とした著名実業家たちによる、マッチョイズムに満ちた仕事論です。彼らが唱えるのは「"何もしない"と、何も生まれない」。完全に「"何もしない"は最高の何かにつながる」の逆です。

彼らは、「所属する会社に運命を委ねるのはダサい」と言い切り、「個人をブランド化しろ、興味のあることを片っ端からやれ」と檄を飛ばし、「血を流せ、汗をかけ」と煽ります。社会のシステムが腐っているならシステムごと作り変えろと叫び、スピードと量を両立させるんだと尻を叩き、非効率を徹底して排除しようとします。未来のためのTo Doリストを作らせ、「すぐやれ、今すぐだ!」と急き立てます。SNSを活用するのはいいとしても、「炎上を恐れるな」とまでプレッシャーをかける人もいます。

「切り拓け、道を作れ、とにかく動け。そうしないと生き残れないぞ!」。彼らのそんな言葉は毎日のようにSNS上でシェアされていますし、それらが載っている雑誌や書籍の広告も盛んです。視界に入らない日はないといってもいいでしょう。

しかし、筆者を含めた30〜40代男性の中には、「正直、そんなノリにはついていけない。もうたくさんだ……」と辟易している人も結構な数いるのではないでしょうか。すべての人間がそこまでアグレッシブでパワフルなわけではないからです。

30〜40代男性の多くは、毎日限界まで働きづめで、個人のブランド化や社会システムの変革などという高邁な理想について、考える時間も心の余裕もありません。家のローン、子供の教育、妻のケア、親の介護で頭はいっぱい。税金は上がる一方だし、老後には不安しかありません。ものすごく疲弊しているのです。

■くまのプーさんは「何もしない」を肯定する

また、30〜40代の多くは、バブル崩壊後の就職氷河期を経験した「ロスジェネ」です。彼らの想いを代弁すると、以下のようになるでしょう。

「死ぬ思いで受験勉強していい大学に入ったのに、就職活動は大苦戦。やっと入れた会社で10年も20年も身を粉にして働いてきた。にもかかわらず、今になって"会社に期待するのはダサい"だなんて、そりゃないよ。今さら個人の能力で生き残れとか言われても……」

でも、彼らはそんな内なる声を決して口に出しません。否、出せません。アグレッシブでパワフルなマッチョたちから、より一層バカにされるからです。そんなとき、『プーと大人になった僕』の「"何もしない"は最高の何かにつながる」は、救いの声として響きました。

■ビジネスマッチョイズム旋風に対するささやかな抵抗

「"何もしない"は最高の何かにつながる」はマッチョたちからのプレッシャーをことごとく受け流してくれます。既存のシステムを無理に変えなくていい。能力が備わっていないなら、無理にやろうとしなくていい。焦らなくてもいい。30〜40代が密かにそうしたいと思っていた、しかしマッチョたちがバカにする「何もしない」を、プーは全肯定します。そして物語は、「"何もしない"は最高の何かにつながる」をきっちり体現する形で、最高のハッピーエンドを迎えるのです。

『プーと大人になった僕』の30〜40代男性からの支持は、吹き荒れるビジネスマッチョイズム旋風に対する、彼らのささやかな抵抗です。同じ千数百円を払うなら、圧の強い啓発書で自分に気合を注入するより、小さなクマに優しい言葉をかけてもらいたい。この国のサイレントマジョリティである30〜40代男性は、それほど疲れています。

映画には「マッチョなヒーローがパワフルに世界を変革する」以外の穏やかなエンディングの形も、あっていいはず。本作はそれを示しているのです。

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稲田 豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター
1974年、愛知県生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編著に『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、編集担当書籍に『押井言論 2012-2015』(押井守・著、サイゾー)など。

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(編集者/ライター 稲田 豊史)