手足の長い美しい立ち姿、クールな眼差し。舞台『スリル・ミー』で演じる頭脳明晰で容姿端麗な「彼」のイメージにぴったりとはまる柿澤勇人。しかし芝居の喜びを語る笑顔は、別人のように無邪気で屈託がない。浄瑠璃と三味線の人間国宝を曽祖父と祖父に持つサラブレッドでいながら、芸ごととまったく関係ない少年時代を過ごしていたという柿澤。ミュージカル俳優になるまでの驚きのストーリーを紐解いていく。

撮影/アライテツヤ 取材・文/江尻亜由子

サッカー少年の心を揺さぶった『ライオンキング』

高校1年のときに観た劇団四季のミュージカル『ライオンキング』に衝撃を受け、「シンバを演じたい」と俳優を志したそうですね。
当時はプロサッカー選手を目指していたんですけど、その夢が難しいなと思い始めて悩んでいた時期でもありました。
幼少からサッカーに打ち込み、名門・都立駒場高校に推薦で入学するほどの実力だったとか。
それまでサッカーしかやってこなかったので、正直、ミュージカルに興味はありませんでした。芸術鑑賞の課外授業なので行かなきゃいけない程度の気持ちだったんですけど、オープニングでいきなり心をつかまれて。終演後すぐ担任の先生に「これやりたい」って言ったんですよね(笑)。
何がサッカー少年の心を揺さぶったのでしょう?
「何が」というのはわからないですが、動くものがあったんです。まぁ若かったというのもありますし。それまで歌も踊りも芝居も何もしたことない人間が、どうして「これ、できる」と思ったのか、今でもすごく不思議なんですけど。
「できる」と思ったんですね。
できると思ったんですよね、なぜか(笑)。歌に関しては小学校のときに合唱部にいたり、ピアノを習ったりはしてたんですけど、芝居なんてしたこともなかったのに。今はもう、「できる」なんてそんなこと言える自信はまったくないです(笑)。
ちなみに担任の先生はどういう反応だったんですか?
「バカじゃないの!?」って(笑)。その後も、「お前はもっと現実を見ろ」といったことをずっと言われてました。
でも先生にそれを伝えるというのが、素直というか。
すごく親身になってくれる先生だったんです。ただ僕がいたのは体育科だったので、だいたい半分以上が体育大学に進んで、教職をとる人も多くて。もちろんスポーツ選手になる人もいるけど、それはごくわずかで、あとは選手をサポートするトレーナーになるとか。僕みたいなのは、最初で最後なんじゃないですかね(笑)。
もともと、人前に立つことは好きだったんですか?
そうですね。どっちかといえば目立ちたがりだったし、男なら誰でもイキがるときはあると思います(笑)。
何かしらで目立ちたい気持ちはあって、それが中学まではサッカーでした。高校でサッカー強豪校に進学したら、僕よりうまいヤツがいっぱいいて、上には上がいることを思い知ったんですが。
曾祖父の清元志寿太夫さんは浄瑠璃の語り手、祖父の清元榮三郎さんは三味線奏者で、ともに人間国宝でいらっしゃるんですよね。柿澤さんご自身は、小さい頃に芸ごとはされていないんですか?
清元というのは、邦楽で歌舞伎の長唄と三味線をやっている流派みたいなものなんですけど、継がなければいけない、という宿命はないんです。父や曽祖父が関わる舞台はよく観に行っていて、もしそのときに「歌舞伎って面白いな」と思っていたら、今頃違う人生だったかもしれないですね。
小さい頃からそういう環境だと、舞台で人の前に立つことに対し、身近な感覚があったのでしょうね。
そうかもしれないですね。ちなみに家元の息子の尾上右近は僕の5つ下で、「けんけん」と呼んでいて、同じ学校で弟のようにかわいがっていて。彼は家を継ぎ、尾上右近というすごく立派な名前をもらって、このあいだもスーパー歌舞伎II『ワンピース』に出てましたよね。最近ご無沙汰なんですけど、いつか役者同士、共演できたらいいなと思います。

わずか半年のレッスンで難関を突破、劇団四季の一員に

芸の厳しさを知るご家族からは「サッカー日本代表になるより難しい」と、劇団四季への入団を目指すことを猛反対されたそうですが、どうやって説得したんですか?
家族との約束としては、まず大学に進学してくれ、と。僕、ちゃっかり勉強してたので(笑)、運良く都立大学の指定校推薦がもらえたんですよ。それで、大学に通いながら半年間、劇団のオーディションを受けるために養成所に通ったんです。家族には「自分でアルバイトしてお金をためるけれど、もしも足りなかったりしたときは助けてください。絶対に結果を出すので」って頼んで。
だからもし劇団四季のオーディションを落ちたら、もう諦めようかなと思っていました。それが受かっちゃったもんだから。やってみるもんだなって。
『ライオンキング』をご覧になったのは高校1年のときで、そこから高校時代にはどういうレッスンをされてたんですか?
高校3年間は、サッカーしかしてなかったです。
えっ、そうなんですか?
劇団四季に入ると決めても、サッカーをやめようとは思わなかったんですよ。なぜならそこでも親にはすごく迷惑をかけていたから。幼稚園から入れてもらった学校が、本来ならエスカレーター式で大学まで行けるところだったんです。
それなのに僕は「プロになりたい」と、サッカーの強豪校に入るために、そこを出たんです。だけど、高校に入ってすぐに自分にはサッカーの才能がないんだとわかって……。だからといって、「サッカーやめて『ライオンキング』目指します」とは言えなかったんですよね。
ご両親に迷惑をかけられない、と。
そうですね。プロサッカー選手にはなれないかもしれないけど、全国高等学校サッカー選手権大会に出ることがまず夢だったので、そこに向かってチームメイトとがんばろう、と。だから高校3年間は一切、ミュージカルのレッスンはしてないんですよ。
そうなんですか……!!
レッスン期間は大学に入ってからの実質半年間です。1、2限の授業だけ受けて、午前中で大学を切り上げ、午後からは池袋の養成所に通っていました。
そこでのレッスンは何をされてたんですか?
踊りの基礎の基礎だったり、発声だったり。自主練では、歌の練習ばかりしてましたね。
まったくのゼロからたった半年間で、倍率100倍以上の難関を突破し、劇団四季の養成所に入所するって、どういうことなんでしょう……。サッカーをやっていたことで、体の基礎ができていたとか?
うーん、当時は体を鍛えていたので今より10kgくらいあって。だから、体つきがよかったんでしょうね。もう、ホントにそのときの勢いを、今でも欲しいなと思うんですけど。タンクトップ1枚で「俺は絶対負けない、絶対受かってやる!」っていう、根拠のない自信があって。でも、劇団四季においては、それはすごく大事だったんだと思います。
ただ、研究生扱いなので即戦力ではなく、試験を受けながら1年間ふるいにかけられるわけです。僕の期だったら、最初は70人くらいいたのが最終的には半分以下になる。養成所を卒業して初めて団員として扱ってもらって、その後も舞台に出るにはオーディションを受けなきゃいけないという、厳しい日々でした。

演劇をやる上で「言葉」が一番大事だと教えられた

2007年に劇団四季の養成所に入所し、同年デビュー。翌年には、念願である『ライオンキング』のシンバ役を射止めるなど、立て続けに主演を務める活躍ぶりで。
運がよかったんですよね。(劇団四季の演出家で故・)浅利慶太先生って、いわゆるスター主義じゃなくて、やれると思った人はすぐに抜擢するんですよ。力不足だと思っても、伸びると思ったらすぐ抜擢するという、素晴らしい方です。
初めて主演させていただいた『人間になりたがった猫』のライオネル役は、市村正親さんがやってらした役。突然「この役を勉強しておきなさい。いつか絶対やるから」って言われたときは驚きましたね。「いやいや、すっごい踊る役ですよ?」って(笑)。でも実際にその後、バレエダンサーがやるようなその役をやっちゃいましたから。
見込まれていたんですね。
劇団四季以外のところでは、そういう抜擢の仕方は難しいと思うんですよね。興行的にも。人で売っていない劇団四季だからこそできること。それは役者にとっても利点だと思うので、僕はいいときに出させてもらったと思います。
その後、2009年に劇団四季を退団されたのは、どういう経緯だったんですか?
『春のめざめ』で主演に抜擢していただいたことが、ターニングポイントになりました。若者の性の目覚めを描いた、トニー賞を何部門も獲った作品です。ブロードウェイのカンパニーのスタッフが演出してくださったんですが、劇団四季のメソッドとは違って、とにかく感情を出すという手法でした。
それが僕にとってはすごく面白かった。「こんなアプローチもあるんだ」と。役者って何だろうなと考えるようになったんですよね。それで、劇団四季を辞めて、またイチから勉強しようと大学に戻りました。
大学には籍を置いたまま休学されていたんですよね。
そうです。復学して2年生のときにほとんどの単位を取って、3年生のときに今の事務所に入りました。そこで最初に立たせてもらった舞台が『スリル・ミー』。稽古場にもMac book Airを持っていって、行き帰りの電車で卒論を書いていたことを覚えています(笑)。
その後もさまざまな舞台で活躍されていますが、劇団四季時代の経験が、今の活動のベースになっている実感はありますか?
あります。劇団四季は、言葉を大事にする劇団です。演劇をやる上で言葉は一番大事で、脚本家のセリフ、言葉を届けるのが役者の仕事だと思うので。劇団四季で3年間、徹底的に学んだことで、僕のベースになっていると思います。
声を届けるというのは、滑舌のことですか?
滑舌というよりも……意識ですね。滑舌が悪くても、言葉を伝えるのが上手い方はいらっしゃって。ビジュアルとか見せ方とか、役の雰囲気でごまかして、なぁなぁでやってる人もいるんですけど。
技術というより、意識なんですね。
意識だと思います。前に飛ばすか、飛ばさないか。もちろん技術も大事で、劇団四季のように2000人のお客さんの前だと、一番奥の席にまで届けないといけないから、喉を枯らさないための発声トレーニングもしなくちゃいけないですし。もちろん、技術のことばかり考えて舞台に立っていたら、それは役なのかどうかもわからないですけど。
ただ、演劇をやる上で言葉が絶対に大事だということを、劇団四季で学べてよかったなと思います。言葉を伝えないと、お客さんにフラストレーションが溜まってしまう。それは(演出家の故・)蜷川(幸雄)さんも同じことをおっしゃっていましたね。

キャパ2000人の大劇場から、100人の小劇場へ

世界各国で上演が相次ぎ、異例のロングランを記録している話題作――ミュージカル『スリル・ミー』の出演者は「私」と「彼」の2人、そして1台のピアノのみ。1920年代のアメリカで実際に起きた少年誘拐事件をベースにした、究極の心理戦が繰り広げられる。シンプルであるがゆえに緊迫した空間。息もつかせぬ100分間。栗山民也が演出するこの舞台に、柿澤は2011年9月の初演から「彼」役で出演している。
今年12月に再演が決まった『スリル・ミー』について伺っていきます。2011年の初演では、どのような経緯で出演が決まったのでしょう。
オーディションです。劇団四季を退団して、1年半くらいの期間が空いてからの舞台でした。じつはそのあいだにすごく大きな劇場でのお話もいただいたんですけど……最初に『スリル・ミー』を上演したのは、今はなき西麻布のアトリエフォンテーヌという、キャパ100人程度の劇場なんですね。それで「あぁ、こっちをやりたい」と思いました。
小劇場での作品をやりたい、と。
それまで劇団四季で2000人の大劇場でやらせていただいていたのが、いきなり100人の小劇場。しかも2人芝居で100分間。役者にとってすごく贅沢ですよね。
100人だったら、なんならお客さんのことも考えなくても、(役者)2人だけのことを考えて普通にしゃべっていても聞いてもらえるから。逆に、声を遠くに飛ばそうとして大げさになっちゃうと、「なんだその大劇場の芝居は」って思われたりするので。
『スリル・ミー』の一番の魅力は、2人だけの空間をお客さんが覗き見しているところだと思うんです。劇場が小さければ小さいほど、いい気がするんですよね。
不安や怖さは感じなかったですか? お客さんとの距離があまりに近いことだったり、役者さんが2人しかいないことだったり。
最初はちょっと戸惑うというか、お客さんのことを意識しすぎてしまうことはありました。「わからないな」と思いながらやっていたことも、いっぱいあったし。でも再演を重ねていって、1回ペアも変わって、尾上松也と一緒にやったあたりからかなぁ。栗山さんのおっしゃる「2人だけのことを考えてれば、お客さんのことなんて考えなくていい」という言葉の意味がわかってきて。
栗山さんからは「考えなくていい」とまで言われるんですね。
そうなんです。でももちろん、言葉は伝えなくちゃいけないから。ボソボソ言って「2人の空間です」なんていったって、それは演劇として成り立たないわけですけれども。それまでは「お客さんに届けろ」ってまったく逆のことを言われてたのが、「感覚としては2人だけの空間でいい」っていうのは、なんていうか……。楽しいとか面白いとかじゃなくて、癖になる感じですね。
しかも100分間なので、変な話、100分間集中すれば終わるんですよ。あっという間に終わるので。
100分間、「あっという間」ですか。
休憩もないですし、楽屋にも戻れないですし、水を飲めるのも1回あるかどうか。だから僕は、大好きですね。13時に開演したら、15時には楽屋に戻れるので(笑)。はははっ。
初演のときのこと、覚えていらっしゃいますか? それまでとまったく違う状況の舞台に立ってみて。
初演のときは、まず台本のホン読みを細かくやって。初演を産むっていうのはすごく大変ですし、「どうなるんだろう」っていう不安もあります。でも今振り返ると、すごくいい時間だったなと思いますね。
しかも最初は100人の小屋だったので、細かい芝居も全部見られてるんですよね。マッチの擦り方とか。僕はそのときまで、マッチを使ったことがほとんどなかったから。小学校の理科の実験くらいじゃないですか(笑)。
たしかに、そうですよね。
だからすぐ栗山さんに言われたんです。「お前、マッチ使ったことないだろう?」「いい俳優は、もっとカッコよくマッチを擦れるんだけどな」って。それがすごく悔しかったんだけど、おっしゃる通りで、すべて見抜かれてるんですよね。だから公演期間中、タバコを吸うときはライターではなくマッチを使っていました。
お客さんからも、それが見えてしまう距離ですもんね。
本を閉じるときも、暴力的に閉じるのか、音を立てないように閉じるのかで、お客さんに与える印象が全然違うじゃないですか。そういうちっちゃーいところまで意識して芝居できることが、すごくうれしかったですね。
それこそが、劇団四季をやめてトライしたいことだった?
劇場が大きければ大きいほど、「こんなこと普段しないじゃん」っていう芝居が必要になってくるんですよね。僕が、大きな劇場でやるときにイヤなのが、「そんなの伝わらないよ」って言われること。「大劇場なんだから、そんな細かい芝居しないでわかりやすくやってよ」みたいな。
でも『スリル・ミー』は違った。ちょっと下を向くとか脚を組むのも、自分は意味を持って芝居しているし、そういう部分まで見てもらえるのがうれしかったんですよね。

「つらいときもあいつが支えてくれた」松下洸平との絆

舞台『スリル・ミー』では、「私」と「彼」のペアを異なるキャストが演じる。ペアごとに作品の印象がガラリと変わることも、長年愛される理由なのだろう。2011年の初演から、2012年、2013年と柿澤とペアを組む「私」役は松下洸平だったが、2014年に初めて相手役が変更に。2018年版では、柿澤×松下ペアがふたたび舞台に立つ。
2人しか登場人物がいない中で、セリフが飛んでしまったり、歌が出てこなかったりっていうことは……?
ありますよ。
あるんですか。そういうときは、どうするんですか?
僕は役柄上、ミスをしても顔に出すことができないから、だいたい松下洸平のせいにします(笑)。歌詞が出てこなくて「やっべぇ、出てこねぇ」と思いながら、自分が歌わなきゃいけない番なのに、洸平の胸ぐらつかんで「歌えよ」みたいな。最低ですよ(笑)。
なるほど(笑)。
マッチを手渡さなきゃいけないところで、間違って全部床に落としたこともありました。でも、自分で拾ったらカッコ悪いから全部洸平に拾わせて、それをずっと見てるっていう(笑)。
そういうハプニングは舞台にはつきものだから、いかに役として乗り切るかが勝負だと思う。まぁ僕はミスっても、松下くんに処理してもらうんですけどね(笑)。
松下さんとの信頼関係があってこそ、ですね。
初演から一緒にやってましたし、もう本当に信頼してますね。『ラディアント・ベイビー 〜キース・ヘリングの生涯〜』という舞台でも、洸平とは恋人役を演じたんですけど、僕が本番中に怪我をしてしまって。調子が悪くてつらかったときも、あいつが支えてくれたので、そこでも絆は深まったし。
洸平とは芝居に関して、すごく話が合うんです。「この人の芝居はいい」「あの人の芝居は、俺はちょっと苦手だわ」というときも、感覚が似ている部分がある。彼自身、いい作品にすごく出ているし、常にいい芝居を見せてくれるんですよね。
プライベートで会うことも?
もちろん。普段からしょっちゅう飲みに行ってます。
飲みに行くときは、どういうお話をされるんですか?
いやもう、ここでは言えないような(笑)。芝居の話はほとんどしないですね。酔っ払ってくると、くだらない話ばっかりしてて。
柿澤さんの相手役が尾上松也さんに変わった2014年のキャスティングは、ファンのみなさんも驚かれた方が多かったと思います。柿澤さんご自身はどう受け止められました?
僕は松也、洸平は小西遼生くんと組みましたけど、僕はうれしかったですよ。役者の宿命として、絶対に、作品と役にお別れしなきゃいけないときは訪れると思うんですよね。でも、舞台だと運良く再演というものがある。
しかも『スリル・ミー』は、僕は何年もできると思っているので。また洸平とやれる、と思ってたんですよ。だからこそ、松也との共演にも本気で取り組むことができた。洸平も、遼生くんと僕は全然違う役者だから、そこはそこでいろいろ感じただろうし。洸平とまた共演するためにも、僕にとってはすごくいい経験でした。
今のお話を伺って、12月の再演がますます楽しみになりました。最後に意気込みをお願いします。
僕と洸平は、初演の立ち上げのときから携わらせていただいて。ちょうど僕たちがオーディションを受けたのが、東日本大震災の翌日だったんです。節電中の暗いスタジオで、栗山さんとプロデューサー陣がいて。役者は何人か集まったんですけど、街は誰もいなくて閑散としていたし、夜になると真っ暗だった。
そんな中でオーディションを受かったのが、田代万里生くん×新納慎也くんのペアと、僕たち2人だったんですね。そこから、盛り上げてくださったお客さん、育ててくれたお客さんがいて、劇場も変わっていって。
今回の池袋(東京芸術劇場シアターウエスト)は、『スリル・ミー』にぴったりな劇場だと思います。何回も再演しているとはいえ、やっぱり新しい『スリル・ミー』を僕たちは見せなければいけないし。成長した姿を見せないとやる意味がないので、若干のプレッシャーはあるんですけど、がんばりたいと思います。
柿澤勇人(かきざわ・はやと)
1987年10月12日生まれ。神奈川県出身。B型。2007年に劇団四季の研究所へ入所し、2008年に『人間になりたがった猫』で初主演。2009年末に劇団四季を退団。2011年に舞台『スリル・ミー』に出演して以降、『海辺のカフカ』、『デスノート The Musical』、『ラディアント・ベイビー 〜キース・ヘリングの生涯〜』、ミュージカル『フランケンシュタイン』など数多くの舞台に出演しているほか、映画やドラマでも活躍。

出演作品

ミュージカル『スリル・ミー』
【東京公演】2018年12月14日〜2019年1月14日@東京芸術劇場シアターウエスト
【大阪公演】2019年1月19日〜20日@サンケイホールブリーゼ
【名古屋公演】2019年1月25日@芸術創造センター
■出演■
私役:成河 × 彼役:福士誠治
私役:松下洸平 × 彼役:柿澤勇人
ピアノ伴奏:朴 勝哲
原作・脚本・音楽:Stephen Dolginoff
演出:栗山民也
翻訳・訳詞:松田直行

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、柿澤勇人さんのサイン入りポラを抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
受付期間
2018年9月18日(火)12:00〜9月24日(月・祝)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/9月25日(火)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから9月25日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき9月28日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
  • 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
  • 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。
  • 当選結果に関してのお問い合わせにはお答えすることができません。
  • 賞品の指定はできません。
  • 賞品の不具合・破損に関する責任は一切負いかねます。
  • 本キャンペーン当選賞品を、インターネットオークションなどで第三者に転売・譲渡することは禁止しております。
  • 個人情報の利用に関しましてはこちらをご覧ください。
ライブドアニュースのインタビュー特集では、役者・アーティスト・声優・YouTuberなど、さまざまなジャンルで活躍されている方々を取り上げています。
記事への感想・ご意見、お問い合わせなどは こちら までご連絡ください。