7月、爽快に波に乗る少年の話を。16歳のプロサーファー村田嵐は、12歳にして本場アメリカでのU-14、U-18の国際大会で優勝。日本サーフィン界の将来を背負って立つ一人とされる。2016年にプロ資格取得後、翌17年の中学卒業とともにある決断をした。

「高校には行っていません。サーフィンで行けると思っているので」。出身地の三重を離れ、千葉の海をホームにプロの道を歩む。若き日の選択の背景にはどういったものがあるのか。サーフィンが正式種目となった東京五輪への思いも聞いた。

撮影 岸本勉 中村博之(PICSPORT)/動画編集 田坂友暁(SpoDit)/構成 編集部



10代前半にして国際大会で結果。「トレーニングに自信がある」。



ーーサーフィンを始めたきっかけは?

父がロングボードをやっていて、(子供の頃)それを見て気持ちよさそうだなと。6歳の頃に初めて海に行って、そのころから海や海水浴が好きだったんですよ。父の姿を見て「サーフボードに乗れたら、気持ちよさそうだな」と思ったんですよ。父と二人でロングボードに乗ったりしていましたから。何より、サーフィンがカッコいいなと。そこから始めました 。



ーー楽しそう、カッコいい。そういうことが原点だった。

小さい頃からカッコいいものが好きだったんですよ。だからこそ続けられています。サーフィンの他には、スケボーや格闘技をカッコいいと感じて。今でも柔術はトレーニングの一環としてやっています。

ーー2014年、12歳で早くも結果が出ます。オーストラリアで開催された「RIP CURL Grom Seach」で、同世代の世界トップレベルサーファーを抑えて優勝しました。

自分に自信があったのは、しっかりとしたトレーニングをやっていた点です。小さい頃から周囲よりやってきた。だからパワーが違う。そう思っています。

ーーその後、2016年に難関であるJSPA(日本プロサーフィン連盟)公認のプロテストに合格しました。そのときの思いとは?(2018年度現在、男子ショートボードには117名のプロがいる)

合格時よりも、実際のところ嬉しかったのは、その後でしたね。応援してくださっている方々から、メールや電話で多くのお祝いのメッセージをいただけたので。



ーープロ資格取得のみならず、サーフィンを初めて6年で若くして世界の舞台で結果を出しています。どんな感覚なのでしょう。

優勝したときの嬉しさは、今も以前も同じです。常に嬉しく、何度やっても嬉しいです。「今までやってきたことの成果が出た」と考えます。そして努力の分だけ上に行けるとも思うんです。さらにここでもやはり、周囲の方々の反応が喜びをより大きくしてくれます。そういう方々がいてくださることに感謝しています。

学校には行っていません。大きな決断ではありませんでした。



ーーふだんの生活はどのように?

2017年(15歳のとき)に郷里の三重から千葉に移った後は、こういった日々を送っています。朝起きて、海に入って、上がる。その後、足腰のパワーをつけたり、バネをつける筋力トレーニングを。午後は少し休んだ後に、夕方に再び海に入りますね。さらに週3回で夜は柔術に行っています。



ーー学校は?

高校には行っていません。大きな決断ではありませんでした。学校が嫌いなんですよ。勉強も嫌いです。自分自身が”サーフィンでやっていける”という自信がありますので。半分は家族からの教えですね。 周囲の若い選手は(サーフィンはたくさんやっているものの)、トレーニングはそれほど必死にやっていない。だからやれば、突き抜けられるだろうと。そういうアドバイスもあって、 何年後かをイメージしながら必死にやっています。

ーー学校に行っていない、ということで孤独な部分もあるのでは?

周囲にサーファーの仲間がいます。彼らに褒められたり、叱られたりしながら上手くなっていると感じます。 怖い先輩はいます。自分のサーフィンがだめだったときには相手にしてもらえなくて。でも成績が上がっていったら、どんな怖い先輩でも話してくれるようになってくるんです。

父・保司氏とともに。


ーーもちろん、アマチュアのサーファーのお父さんの影響が大きい。

確かに、トレーニングは父に言われてやるという部分は大きいですよ。三重から一緒に引っ越してきて、日々を見守ってくれています。最近はフォトグラファーでもある父が僕のサーフィンの動画を撮ってくれて、それを見ながらたまにアドバイスをくれます。ただ、自分のサーフィンスタイルは自分で作っていっていますね。撮ってもらった動画を見ながら、自分で考えます。

ーーどんなスタイルのサーフィンを?

“スプレー”という水しぶきを、トレーニングを生かしてより多く出すことを考えています。全体的なことをいうと、波があればリラックスして、脱力感を出せる。そうなれば10%の力で100%出せるのが自分のスタイルで。波がないときが課題なんですが、そのときは120%を出す姿勢でいます。そこを見てほしいです。普段の練習から、いい波でも悪い波でも対応できるようにしていますから。

ーー自分が判断して、行動する。自分のスタイルをつくる。その点は他の同世代よりは先に進んでいると思います?

難しいことは考えませんよ。何のスポーツでも、自分がやってることが好きじゃないと出来ないと思うんです。勝ちたいから、やってます。だから考えられるんです。



サーフィンの楽しみ方も「この先の姿を想像すること」



ーー勝ちたいからサーフィンをやる、という話が出ました。では一般の人たちがサーフィンをやってみるにあたって、アドバイスをするとしたら?

サーフィンは始めて最初の頃はテンションが上がるんですが、ちょっと上手くなると、技ができないことが悔しくなる。そういうときに、何をしたらいいかなと考えることが楽しくなる。次から次へと技が増えていくことが楽しいんですよ。

ーー考える楽しみ、想像する楽しみ。そういう話でもあります。

僕自身、小さい頃から常にトレーニングをしているんですけど、想像することは大切ですよね。『どうしたらあのエアー(波から空中に飛ぶテクニック)を飛べるようになるんだろう』と考えたり。まあ、僕の場合は海にいないときも常にサーフィンのことを考えているのですが…。



ーーただ、そうやって想像すること以前に、まったくやったことがない人からすれば、ちょっとハードルが高い面もあるかもしれません。道具を揃えたり、サーファーならではの細かい流儀がありそうだったり。

自分ひとりでサーフボードやウェットスーツ買ってうまい人たちの中に入っていくのもいいと思うんですけど、何よりやりたい気持ちがなきゃ、できないと思うんです…例えば、奥さんとか彼女とかに、サーフィンが上手くなって、自分の技術を見せるということを考えれば、サーフィンをやりたい気持ちで頑張れるんじゃないかと思います。大人から始めても 、ある程度はできるようになると思います…ただ競技レベルでは小さい頃からやっていないと出来ないと思いますが。

ーー想像、ということでいうと、2020年には東京五輪があります。出場枠は男女1人ずつです。どんなイメージがありますか?

日本にはサーフィンがめちゃくちゃうまい人がいるなかで、あと2年で追いつけるか。わからないけど、2年後まで自分がどれだけパワーアップしていければ 出場できるだろう、と日々考えています。



ーーサーフィンが東京五輪の正式種目として採用決定したのが、2015年9月でした。そのときの思いとは?

出場して活躍出来れば、自分自身が有名になれる。そして何より、たくさんの人にサーフィンの魅力を伝えることが出来るチャンスだと思いました。サーフィンはなかなかテレビなどで多くの人に見ていただける機会がなく、トップ選手でも名前や競技成績が知ってもらいにくいスポーツですからね。

ーー不安や課題ももちろんある。

ケガをしたらどうなるだろうという不安があるくらいですね。絶対に自分はサーフィンでやっていけると思っています。一方で課題は、試合でミスしたときですね。焦ったり、あるいは諦めたりすることがある。ここは改善しないといけません。

ーー今後の目標は?

今年に関して言えば、オフシーズンにトレーニングをたくさんしてきました。夏から試合も始まるんですけど、「どの大会に勝ちたい」という発想はなくて、とにかく目の前の大会でいい結果を出し続けていきたいです。将来については、じつのところ、細かいことは考えていません。 多分、世界に行って一流になっています。サーフィンは40歳くらいまで現役でやれますから。 毎試合毎試合、自分のサーフィンを信じて出していけば、勝てると思っています。



高校へは行かない決断をした。やりたいことがはっきり決まっているからだ。決断は、後ろには戻らないことを意味する。だから先を想像する。16歳の村田嵐の言葉にはそんな強さを感じた。村田の父、保志氏は「プロ資格を取るまではかなり厳しく指導しました。取得後はアドバイスを送る程度です」という。サーフィンを始めた、最初の道は両親が作ったものかもしれない。しかしスタイルは自分の意志で選ぶから、進める。先に進む力の根底にはシンプルな発想がある。「カッコいいから」、「それをやりたいから」。村田嵐はただただ進む。迷わない。だから強くもあるのだ。



<プロフィール>
村田 嵐(むらた・あらし)
プロサーファー/ショートボード

2002年2月21日生まれ。三重県出身。6歳からサーフィンを始める。2014年、弱冠12歳でオーストラリアでのU-14の国際大会に優勝。翌2015年にはアメリカで最も伝統のあるアマチュアサーフィン大会、WSAのU-14、U-18の大会に優勝。2016年、14歳 にして日本国内にてプロ資格取得。翌17年から拠点を千葉に移し活動を続ける。同月にはJOCジュニアオリンピックカップ大会のBOYS部門で優勝を果たした。160センチ56キロ。