期待通り(?)、映画『娼年』の冒頭から松坂桃李は一糸まとわぬ姿で、激しい息づかいで女性と交わる。終始、物語の中心にあるのはセックス。娼夫となり、さまざまな性的嗜好を持った顧客に買われ、めくるめく性体験を繰り広げる。メディアの記事には「過激!」「セックスシーンが―」といった煽情的な宣伝文句が並ぶ。松坂は「入り口は『エロッ!』でも『松坂桃李、どこまで見せるの?』でもいいんです(笑)。そこから徐々に本質的な部分――“やわらかい”部分を感じてもらえると思います」と、不敵な笑みを浮かべる。

撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
スタイリング/KAWASAKI(マイルド) ヘアメイク/高橋幸一(Nestation)

『娼年』をきちんと映像で残したい気持ちがあった

石田衣良さんの小説を原作に、名門大学に通う森中 領(リョウ)が、娼夫として肉体の触れ合いを通じ成長していく姿を描く本作。2016年に、今回の映画でメガホンをとった三浦大輔さんが演出を手がけ、松坂さん主演で舞台が上演されました。
舞台は、自分の持てるものをすべて出しきった――そういう場だったなと思います。
当時、舞台のチケットは即完売で、当日券を求めて長蛇の列ができました。また、舞台上で大胆なセックスシーンが展開されることで大きな話題を呼びました。松坂さんの周囲の反応はいかがでしたか?
前情報を何も入れずに見た人からは「どう見たらいいのかわかんなかった」と言われました。ある程度、物語を知っていたり、原作を読んでいたという人からも「メチャクチャ笑ったよ!」と言われたり、いろんな声をいただきました。
舞台が終わったときの心境を「無になった」とおっしゃっていましたが、「無になる」というのは具体的には…。
ざっくり言うと、『あしたのジョー』(講談社)の最終ページのような感じですね(笑)。
燃え尽きて真っ白な灰になった?(笑) そこまでの状態になった作品をもう一度、今度は映画で作るという話が来たときの心境は?
いやぁ、大変でしたね(苦笑)。舞台と映像は別のものですが、同じ作品をもう一度、あの熱量で…。そこまでモチベーションを上げていくって非常に難しいだろうと。なかなか、その場ですぐに「おっ! わっかりましたー!」とはいかなかったですね。
それでも「やろう」と思えたのは?
三浦さんが「これでようやく『娼年』が完成する」とおっしゃっていて。たしかに映像作品ということで、より繊細な部分をカメラで狙うこともできるし、自分の中にもきちんと映像としてこの作品を残したい、という気持ちはありました。
映画化ということで、メディアでの情報量は舞台以上に増えたかと。映画化決定の一報から「ポスタービジュアル」、「予告編」と情報が解禁されるたびに、大きなニュースとなりました。松坂さんのセックスシーンがかなり強調される部分もありますが…。
それはもう、始まる前からわかっていました。案の定、映画化が発表されたときも、メディアのみなさんの取り上げ方は「エロ!」「セックス」という部分でしたけど、そりゃそうだろうって(笑)。でも、それはラッキーなことだなと。
ラッキー?
やっぱり、バジェット(予算)の小さな作品は、なかなかメディアに取り上げられにくい現状があるんですよ。それをこれだけバンッ!と取り上げてもらえる作品に出られるのはラッキーです。
取り上げられることに意味がある?
そこで「エロ」であれ、取り上げていただけるってすごく大きいんですよ。この作品、入り口はそれでいいと思うんです。「エロッ!」でも「松坂桃李、どこまで見せるの?」でも。むしろ「すごく深い作品だ」と思って入ってくる人のほうが少ないだろうと(笑)。
たしかに。
この作品、開始15分くらいでだんだん感覚が麻痺し始めるんです(笑)。表面的な部分から入って徐々に、より深い本質的な部分――人間の“やわらかい”部分を見ていただけるだろうと僕も三浦さんも現場で確信していましたし、実際、完成した映画を見てもそれを感じました。
私の周囲でも、普段そこまで映画を熱心に見に行くというわけではない知り合いから、「どうなの?」と聞かれることが多いです。
「どうなの?」って、どういう「どうなの?」なんですか?(笑)
ぶっちゃけ、「松坂桃李、どこまで見せるの?」「どこまでやるの?」という意味です。
いやぁ、いいですねぇ! 「マスコミのみなさん、サンキュー!」って感じです(笑)。
いまさらですが、カメラの前ですべてをさらけ出し、女性と交わるという部分に関して、恥じらいやためらいは?
それはまったくないですね。舞台は生で、お客さんの前でそういうことをしているわけですし(笑)。
とはいえ、映像ですと細部までアップで映るわけです。それこそ、リョウという役柄を演じているとわかっていながらも、役を超えて「松坂桃李がセックスしている」という感覚で見る方もいるかもしれません。
それは受け取る側の自由ですね。映画の醍醐味は、「答え」が作り手側だけのものではなく、いろんな解釈、批評、感想があることだと思います。「松坂桃李ってこんな感じでするの?」と思う人がいても、それはそれでいい。お金を払って観に来てくださるので、どう受け取るかは自由です。

集中を切らさないために、撮影中はビジネスホテルに宿泊

先ほど「もう一度、モチベーションを上げるのが難しい」ということをおっしゃっていましたが、出演が決まってから、映画化に向けての準備や撮影の過程はいかがでしたか?
基本的な流れは舞台とほぼと同じですから、ゼロからリョウを作るわけではなかったんですが、より繊細なお芝居を求められるというのはありましたね。表情ひとつ取ってもそう。舞台とはまた違った、静かなトーンの中で、針の穴に糸を通すような芝居が要求されました。
とくに気をつけていたことなどは?
具体的にしたことは、撮影期間中、スイッチを切らさないようにと、ずっと渋谷のビジネスホテルに泊まっていました。
繊細な演技が求められるという点で、現場での三浦さんの演出はどのような感じだったのでしょうか?
芝居に関してはまず、三浦さんは嘘をすぐに見抜く人なんです。“嘘をつかない”というのは決して、僕自身が素でいるという意味ではなく、役柄の気持ちとしてそうしているのか? という意味です。そこはスパッと指摘されます。「松坂くん、いまのとこもう1回やるけど、わかるよね?」と。
「わかるよね?」というのは「違うよね?」という意味で?
こっちも「ですよね。わかりました」という感じで、お互いに細かいことは言葉にしないんです。
「もうちょっと切なそうに!」とか、そういう演出があるわけではなく?
ないです。詳細は言わないですね。
ということは、リョウのセックスシーンに関して、ある程度、松坂さん自身が作り上げているということ?
舞台ですでに一度、三浦さんと一緒に『娼年』の土台を作り上げているので、リョウの繊細な部分に関して「いまのはちょっと表現しきれていなかったよね?」という感じで、前提を共有できていたんですよね。だからそこで細かい話はなかったんですけど、三浦さんの求めるレベルの高さを表現するのは大変でした。
俳優として、もちろん演技ではありますが、セックスを通じて何かを伝える、表すというのはどういう行為なのでしょうか?
やっぱりひとつの表現方法…セリフ以外の部分でのコミュニケーションですね。それはこの作品の根幹とも言える部分であり、この映画はその余韻も含めて、セックスで会話をしているようなものですね。
なるほど。
会話のやり取りによる感情ではなく、肉体によるコミュニケーションの中で生まれてくる感情を繊細に描いているし、そういうのって(演技だけでなく普段の日常の中にも)あると思うんです。人の“やわらかい”部分を提示しあうことであり、時にそれが滑稽で笑えたりもするし…。
実際、試写の会場でも随所に笑いが起こっていました。
ですよね(笑)。絶対に笑えると思います。
そうやって肉体によって感情を伝えるという表現方法は、普段のセリフでのやり取りとはまったく異なるものなのでしょうか?
キャッチの仕方が変わってくる部分はありますね。
キャッチの仕方?
ボディコミュニケーションですから、視覚や聴覚を通じて伝わってくる情報ではなく、触覚で受け取るもの――体温であったり、ちょっとした肉体の微妙な動きであったり、そういうものからキャッチする情報がすごく大きい瞬間はあります。
セックスシーンの撮影中、松坂さんの意識、心境はどんな感じなんですか? 冷静に相手を見たり、やるべきことを考えてコントロールしているんですか?
リョウの気持ちが真ん中にある感じですね。彼は広い海のような男だと思うんです。その海を泳いでいるような感覚でした。
劇中で、いろんな女性とさまざまなシチュエーションでセックスをしますが、相手や状況によって、心情や接し方は違うわけですよね?
それはもちろんです。
現場での女優さんとのコミュニケーションで、大切にされていたことは?
そこはやはりすごく大事なところで、距離感というのは人それぞれなんですよね。言葉で言い表せないけど、すごく難しい部分でした。みなさんがまとっている空気の“絶対エリア”みたいなものがあるんですよね。
そこにどれくらい踏み込むべきか? 適度な距離感が…。
舞台のときは、1ヶ月くらいの稽古期間があって、距離感をつかめたけど、映画だとひとりの女優さんと一緒にいられるのは2、3日くらい。三浦さんともクランクイン前から「そこは慎重にいかないとね」という話をしました。
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