「お願い だれも 息をしないで」――。映画『ちはやふる −結び−』は、広瀬すずが演じる主人公・綾瀬千早の、祈りのような言葉で幕を開ける。これは2007年の年末に連載が開始された原作漫画『ちはやふる』第1話の最初のセリフでもある。それから10年、連載は200回に達しようとし、物語はいまなお瑞々しさと力強さを持って進んでいる。原作者・末次由紀はこの10年の月日、千早をはじめ、魅力的な登場人物たちの成長をどのような思いで見つめているのか。そして、末次が考える結末とは…?

取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

原作とは異なる展開でも、『ちはや』らしさが表れている

千早をはじめ、競技かるたに青春を燃やす人々の熱きドラマを描いた『ちはやふる』(講談社)ですが、2016年の実写映画『ちはやふる −上の句−』『下の句』の2部作に続く形で、完結編となる『結び』が公開となります。千早たちの高校最後の夏が描かれますが、原作者として映画をご覧になっていかがでしたか?
漫画とはまた違ったストーリーラインを作っていただいて、びっくりする部分があったり、新しいキャラクターがいたり…。いろんなやり取りが生まれていて、端々が新鮮で、私自身、驚きながら楽しむことができました。
作品の生みの親である先生が、驚いたシーンもあったのですか?
真島太一(野村周平)が部を辞める決断をする部分は、難しいだろうなと思っていたところで、どんなさじ加減で描かれるのかと見守っていました。あまり重くなりすぎず、恋愛に寄りすぎずに、人生の葛藤という点で一度、かるた部から離脱するというのが「こういう選択肢もありかな」と思って、見てもらえるんじゃないかと思いました。
部を辞めた太一が名人の周防久志(賀来賢人)のもとを訪れ、かるたや己に向き合っていく一方で、瑞沢高校のかるた部は、太一抜きで全国大会を目指します。
千早の苦しさ、部員たちの「でも真島の意志を尊重したい」という思いがかみ合ったシーンに仕上がっていて、原作とは違う感触を得られるんじゃないかと。小泉徳宏監督による、恋愛に寄りすぎないバランスが素晴らしかったなと思います。
原作では、太一が千早に自分の想いを伝えたうえで、部から離脱します。そういう意味で、先生は意識的に恋愛部分の比重をより大きくしたのでしょうか?
そうですね。あそこは「こんな展開見たくない!」という読者もいるのを覚悟して描きました。ただ、映画は「楽しい」と思いながら見てもらえる2時間にしてほしかったので「つらい…」という比重が高まりすぎるのは、私自身もイヤだなと思っていたんです。
原作では話数を重ねることで「つらい」という感情の先で、太一や千早が手にする感情をじっくりと描けますが、映画は約2時間ですべてを描かないといけないということもあり…。
原作ほどは「つらい! もう見てられない!」とならずに「あぁ、わかるかも。頑張れ!」と思える作りになっていて、よかったです。
映画で描かれるのは千早たちの最後の夏ですが、原作のそれ以外の部分も含めて、さまざまな要素が巧みに抽出されています。先ほどおっしゃった太一の離脱シーンなど、今回の映画化に関して、末次先生から小泉監督や制作サイドにリクエストなどは出されたのでしょうか?
いや逆に、原作にこだわらず、作り直してくださってかまわないとお伝えしていました。「面白くなるなら、何でもしてください。監督の描くカタルシス(※モヤモヤした感情がスッキリと解放されること)のある物語に構成し直してくださって全然OKです」と。
全面的に小泉監督を信頼して任せると?
実際、原作では別のキャラクターが言っている言葉を、映画では別の人物に言わせたり、原作とはまったく違う状況で(原作の)やり取りが再現されていたりしていて、決してすべてが原作に忠実というわけではないんですよね。でも、原作のすべての要素を余すところなく抽出していただいて、原作者として想像以上の映画になっていました。
映画には登場しない人気キャラクターも多数いますが、彼らが原作で口にする大事な言葉、感動的なセリフが、映画で別の登場人物の口を通して表現されることに、原作ファンは「あぁ、ちゃんと出てきた!」と喜びを感じると思います。
エッセンスを大事にしてくださってるんですよね。誰が言ったかではなく、この言葉で、クスッと笑える、これを言って生き生きとするのが『ちはや』だよね?と思ってもらえる。原作にはない新しい登場人物も出てきますけど、あぁ、小泉監督はしっかりと『ちはや』を理解してくださってるんだなと感じました。

クライマックスは「漫画で果たせなかった無念が晴らせた」

最初に『上の句』『下の句』という形で映画化するという話を聞いたときに、不安はありませんでしたか?
すごく不安でした。原作が長いということもあって、どこをどうまとめるの?と。まだ連載が終わってもない中で、最終的に誰が名人になるのかも明確に示せないという制限もあって…。
できあがった映画はそうした不安を払拭してくれた?
千早たちが頑張っている姿を見せたいということが明確に示されていて。「で、結局、誰が名人になるんだっけ? いや、まあいいや。彼らのうちの誰かが頑張って獲るでしょ? それでいいじゃん」って思えました。それこそ、原田先生(千早や太一の師匠/國村 隼)が獲るかもしれないな…とか(笑)。
原田先生といえば、今回の『結び』で、千早たちの師としてだけでなく競技者としての見せ場がきちんと描かれており、そこも原作ファンは歓喜すると思います!
そうなんですよね!(笑) 映画は、誰が勝った負けたではなく、登場人物たちのこれからを見たいと思わせてくれる作品になっていて。とくに『上の句』『下の句』では、団体戦の面白さやクイーン(若宮詩暢/松岡茉優)の強さ、それに対する千早らしさをすごく大事に描いていただけたなと。
その信頼感があったからこそ、今回はすべてをお任せしようと?
そうですね。今回の映画では「ここで?」というところで、太一と(綿谷)新(新田真剣佑)の2ショットを見ることができて……幸せでした。
クライマックスのシーンも見どころです。
原作では描けなかったし、もう二度と描けない高校3年生の主人公たちの姿を描いていただけて、漫画で果たせなかった無念を晴らすことができました。原作を読んでいる人こそ、楽しんでいただける戦いになっていると思います。

メインキャラ以外でも、描きたいことがいっぱい出てきた

ここから、改めて原作について深く掘り下げてお話を伺っていきます。まず、連載開始から10年という月日が流れました。
10年ですね…。正直、こんなに長くかかるとは思ってなくて、7年くらいかなぁ…?って思っていたんです。
原作ではすでに高校最後の選手権が終わり、現在は名人戦、クイーン戦に向けた戦いの真っただ中です。
いや、それこそ高校3年の夏なんて、あっというまに終わらないと、どれだけ長くなるのか…?と思っていたんですが、編集長が「思う存分、好きなだけ描いていいですよ」と言うので。「え? そうなんだ、描いていいんだ?」って。
なるほど。
描き始めると、メインキャラクター以外の人物に関しても、描きたいことがいっぱい出てきて。「この人のことを描いたら1話が終わった…。でも楽しかった! この子のことを描いたら、まだ描いたことのなかった気持ちが表現できた」「だから、この子にはこんなことがあって…」という感じで。
どんどん描きたいことが膨らんできた?
そのぶん話はどんどん長くなるんですけど、キャラクターの年齢もバラバラなので、性別も年齢も違うみんなの気持ちが描けるんですよね。読者さんひとりひとりで「私はこの人の気持ちが一番わかる!」というのがバラバラなんです。長いぶん厚みのある作品になったし、それは応援してくださるみなさんのおかげですね。
10年ということは、たとえば中3(15歳)のときに読み始めて、高校でかるた部に入った人が、いまは25歳になっているということですからね。
そうなんですよ。さっきの原田先生のこともそうで、ファンの方に「最近、顧問の先生の気持ちがわかるんです」って言われたり(笑)。
千早の師であると同時に、50歳を過ぎても名人を目指す原田先生、ママになっても再び頂点を目指す元クイーンの猪熊 遥、全国大会常連の高校の顧問であり、自身もクイーンを目指す桜沢 翠など、少し年上の登場人物たちが第一線で戦う姿に勇気づけられる読者も多いです。
そうなんですよね。あとは選手たちの親の目線で「みんな、キラキラしていていいわね」という思いで見守る立場になったり。長く連載を続けるってそういうことなんですね。立場が変わっても誰かの気持ちをフォローできる作品になってくれました。高校生たちだけを追って描いてたら、そうはならなかったですね。
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