つまり、ファンダムの「熱狂するファンたち」は、ファンオブジェクト(有名人、ブランド、組織、娯楽。映画、本、音楽といったファンが熱狂する対象)が自己のアイデンティティそのものになっているのではないか。以前のファン活動は、あくまで「趣味」であり、誰か(何か)のファンであるということは、アイデンティティの「補完」でしかなかった気がする。

 自己のアイデンティティの形成や強化には「他者」の存在が欠かせない。他者に認められるかどうか、あるいは「どう見られるか」によって、アイデンティティが確立していくものだからだ。

 インターネットやSNSでファンダムの範囲が広がり、多数の「他者」(ファン仲間)と交流を持つことで、ファンとしての(ファンオブジェクトと一体化した)アイデンティティはますます強化されていく。そしてそれにより、ファンダムの熱狂がさらに加熱していく。

 そんな時にファンオブジェクトが意にそぐわない発言や行動をしたり、企業が勝手に商品の仕様変更をしたりすると、ファンは自己のアイデンティティが傷つけられたり、壊されたと感じる。それゆえ、たとえそれがファン以外にとっては些細なものであったとしても、「反乱」「不買運動」「炎上」といった、企業や有名人にとっておぞましい現象が起きてしまうのだ。

 ただ、ファンはむやみにファンオブジェクトの提供者である企業に反抗することはない。明らかに「ファンを利用している」とわかっているイベントやキャンペーンであっても、進んで参加したりもする。それが楽しめるものであり、企業の意図が理解できるものであれば構わないのだ。ただし「利用される」かどうかは、ファン自身が決める。企業やファンオブジェクトのためになるというよりも「自分が気に入るものであるか」が問題なのだ。

 ファンダムとうまく付き合うには、「ファンになってみる」しかないのかもしれない。一緒にファン活動をするという意味ではない。企業の広報や開発担当者が「ファンの気持ちになって考える」習慣をつけるだけでもいい。そのためにはまず、少しでもファンダムの生態や価値観を知ろうとする姿勢を持つことが重要なのだろう。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『ファンダム・レボリューション』
-SNS時代の新たな熱狂
ゾーイ・フラード=ブラナー/アーロン・M・グレイザー 著
関 美和 訳
早川書房
304p 1,700円(税別)