[画像] 【3割打者を考える(4)】平均打率に大きな変化なしも「4割打者」はなぜ絶滅?

なぜ「4割打者」は出現しなくなったのか―

 3割打者は「打率」が考案された野球の創成期から、打者の目標となる数字だった。そして野球機構の運営者は、投打のバランスを「望ましい状態」で維持するため、用具、マウンドの高さ、ストライクゾーンなどを微調整し、100年以上もそのバランスを維持してきた。

 そのためリーグ平均打率は.260前後で推移し、「3割打者」は1世紀前のタイ・カッブの時代から、イチロー、秋山翔吾が活躍する今まで、変わらない価値を維持している。

 しかし、それでも疑問が残る。リーグの平均打率は大昔から.260前後なのに、MLBでは、1941年、ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムズが、456打数185安打で.401を記録したのを最後に、76年間4割打者は出現していない。

 なぜ「4割打者」は出現しなくなったのか?

「ナイトゲームが増加したことで、投球が見えづらくなって打者が不利になったのさ」
「1950年代に西海岸にもMLB球団ができて、移動距離が増えたことが問題だ」
「154試合制から162試合制になったのが大きいのでは?」
「投手が速球主体から、多彩な変化球を投げ始めたことで、打者は不利になったのだろう」

 どれも一理ありそうだが、答えにはなっていない。この間も、リーグの平均打率は.260前後で大きく変わっていないのだ。打者が極端に不利になったわけではない。ではなぜ――?

打率トップと最下位の打者の差に変化

 大の野球ファンだったアメリカの古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドは、「Full House(日本での書名は「フルハウス 生命の全容」)」という著書の中で「なぜ4割打者は絶滅したのか」を全く違う観点から説明した。

 グールドによれば、4割打者が消滅したのは、投打のレベルが上がったことにより打者の「標準偏差」の差が縮まったからだという。「標準偏差の差」とは難しい言葉だが、図にするとわかりやすい。

 20世紀初頭、MLBはまだ球団数も16球団に過ぎず、選手数も少なかった。投手も打者も実力はまちまちで、剛速球投手や強打の野手もいたが、今の水準ではMLBには遠く及ばないレベルの選手もいた。打者の平均打率は、現在と変わらないが、実力差は大きかったのだ。だから飛び抜けた実力の持ち主が4割を打った。

 しかし現在は30球団。選手数は多く、競争も激しい。その中から上がってくる選手の実力は拮抗している。打者だけでなく投手のレベルも上がった。リーグの平均打率は変わらないが、選手の実力差は縮まり、突出した選手は出にくくなっている。

 1901年のアメリカン・リーグの首位打者はフィラデルフィア・アスレチックスのナップ・ラジョイで打率.426。最下位はミルウォーキー・ブルワーズ(現在のチームとは別)などでプレーしたジミー・バークの.226。その差は.200だった。一方、2017年のアメリカン・リーグの首位打者ヒューストン・アストロズのホセ・アルチューベは打率.346、最下位のトロント・ブルージェイズのホセ・バウティスタの打率は.203で、その差は.143。現代の野球で首位打者と最下位打者の打率の差が.150を大きく超えることは稀だ。

今後4割打者誕生は? NPB100打席以上で唯一の4割を記録した近藤

 MLBは、1947年まで有色人種の選手を排除していた。またマイナー組織も未整備だった。しかしMLBはジャッキー・ロビンソンを手始めに黒人選手やヒスパニック系の選手を大量に受け入れた。また戦後、各球団は全米にあった独立リーグを傘下に収め、マイナー組織を整備。さらに1950年代に入ると、未開の地だった西海岸に進出した。1960年以降はエクスパンション(球団拡張)が起こり、MLBはそのすそ野をどんどん広げていった。これとともに、MLBでプレーする選手のレベルは高まり、均質化していったのだ。

「4割打者」はまだリーグ、機構が小さく、選手も少なくて実力差が大きい時代の産物なのだ。

 MLBだけではない。KBO(韓国プロ野球)の唯一の4割打者・白仁天(打率.412 元東映、ロッテ)もリーグ創設年の1982年に出ている。NPBには4割打者はいないが、創設年の1936年春夏シーズンにはタイガースの小川年安が.477の高打率を記録。当時、個人記録を表彰していなかったが、実質的な首位打者だった。その後、KBOもNPBも整備が進み、選手の数が増えるとともに、4割打者は「遠い夢」になったのだ。

 しかし「打率4割」は、不可能な数字と決まったわけではなく。そのあたりに壁が作られているわけではない。事実.390台まで肉薄した選手は何人かいる。

 2017年、日本ハムの近藤健介は231打席167打数69安打、打率.413を記録した。これはNPB史上最も多くの打席に立っての4割だ。他に100打席以上で4割を記録した選手はいない。

 日本のプロ野球も大好きだったスティーブン・ジェイ・グールドは、2002年に死去した。最晩年、イチローの活躍に驚いていたという。近藤健介には、グールドが生きていたら著作を書き直したくなるような活躍を期待したいものだ。(広尾晃 / Koh Hiroo)