このクラスのブラジル人選手がJリーグ入りするのは、2000年代前半のエジムンド(2001〜02年東京ヴェルディ、2003年浦和レッズ)以来ではないだろうか。

 2017年度のブラジル全国リーグの得点王にしてMVPが、2018年、日本に上陸。名古屋グランパスでプレーする。


名古屋グランパスへの入団が確実となった元ブラジル代表、ジョー

 ジョーは身長191cm、体重80kg。圧倒的に空中戦に強く、ポストプレーもうまい。大柄だが敏捷性もあり、巧みな駆け引きから最終ラインの裏へ抜け出し、落ち着いてシュートを決める。左利きだが、両足と頭で点が獲れるオールラウンド・タイプのストライカーである。2014年ワールドカップ(W杯)のブラジル代表。そして2017年の活躍により、代表復帰の可能性も高まっている。

 2017年10月以降、イタリアのナポリをはじめ、ドイツ、中国などのクラブからオファーを受けていたが、推定移籍金1100万ユーロ(約14億8000万円)で名古屋グランパスが争奪戦を制し、年俸は、税抜きで1000万レアル(約3億4000万円)と報じられている。

 これまでのキャリアは波乱万丈だった。

 13歳でサンパウロの名門コリンチャンスの下部組織の門を叩き、2003年、16歳3カ月でデビュー。ビッグゲームで貴重な得点をあげて「ジョイア」(宝石)と呼ばれた。2005年にCSKAモスクワ(ロシア)へ移籍するとゴールを量産して欧州でも注目を集め、2008年7月末、移籍金1900万ポンド(当時のレートで約40億円)でマンチェスター・シティに入団した。

 ブラジルU-23代表にも招集され、この年の北京五輪に出場して銅メダルを獲得している。しかし、その後はイングランドでの生活とチームのプレースタイルへの適応に苦しむ。エバートン、ガラタサライ(トルコ)へ貸し出されたが、プレー内容は低調だった。2011年7月、失意のうちに帰国し、南部の名門インテルナシオナルの一員となる。

 この頃から酒量が増え、練習の遅刻や、遠征に参加しないなどの問題行動が目立つようになり、2012年5月、事実上の戦力外通告を受ける。それでも、アトレチコ・ミネイロに拾われると、一時的にコンディションを回復し、ロナウジーニョらと強力攻撃陣を形成した。

 2013年のコパ・リベルタドーレスでは7得点をあげて得点王となり、優勝に貢献。ブラジル代表にも復帰し、この年のコンフェデレーションズ・カップに出場して日本戦とメキシコ戦で得点をあげた。

 ところが、「夜の帝王」ロナウジーニョとピッチ外でも親交を結んだことから、飲酒と夜遊びの悪癖がぶり返す。愛想をつかした妻に離婚を切り出されて、またヤケ酒を飲む、という悪循環。2014年W杯にも招集されたが、いいところがなかった。

 大会後、気落ちしてさらに生活が乱れ、2015年6月、当時、アトレチコ・ミネイロを率いていたレヴィー・クルピ(元セレッソ大阪監督。2018年はガンバ大阪監督に就任)から戦力外を言い渡されてしまう。

 その後、UAEのクラブを経て、2016年2月、中国リーグの江蘇蘇寧に入団。しかし、ここでも精彩を欠き、5カ月で退団する。突出した才能を持ちながら私生活の乱れで何度もキャリアを台無しにしたことから、「第2のアドリアーノ」と呼ばれた(アドリアーノは、2000年代中盤にインテルとセレソンで圧倒的なパワーでゴールを量産して「インペラトーレ(皇帝)」と呼ばれた巨漢CF。父親を亡くしたショックから酒に溺れ、30歳で表舞台から姿を消した)。

 ところが、彼は”アドリアーノ”にはならなかった。妻の勧めでキリスト教福音派の教会に通うようになり、以後、酒を断って妻とも復縁。2016年末、古巣コリンチャンスと2年契約を結ぶと、心機一転、フィジカルトレーニングに励んでコンディションを取り戻す。

 前述のように、ブラジルリーグでは34試合に出場して18得点をあげて得点王となる活躍で優勝の立役者となり、MVPにも選ばれた。

 ブラジルリーグのレベルは、欧州主要リーグとJリーグの中間くらいと言っていいだろう。ジョーがJリーグの水準をはるかに超える能力を持っているのは間違いない。

 とはいえ、彼とて日本での成功が約束されているわけではない。まず、家族を含めて日本での生活に適応し、チームが求める役割をよく理解し、実践する必要がある。また、ネイマールのように1人で点を獲ってくるタイプではないから、彼が望む場所に望むタイミングでパスを出してくれる相棒が必要だろう。

 2017年に続いて2018年も好調を持続し、Jリーグで大爆発すれば、4年ぶりにセレソンへ復帰してW杯ロシア大会に招集される可能性は十分にある。

 2018年、日本のファンは、10年前に欧州ビッグクラブが40億円を費やして獲得したほどの逸材でありながら、その後、私生活の乱れから2度も戦力外通告を受け、にもかかわらずどん底から這い上がってきた男の「奇跡の復活劇」を目にすることになるかもしれない。

◆福田正博が力説する、川崎フロンターレのJ1初優勝がもつ大きな意味>>

◆最後までストイックな加地亮。契約を残しながら引退を決断したわけ>>

■Jリーグ 記事一覧>>