日本を代表するフィルムメーカーであり、Jホラーブームの火付け役、そして舌鋒鋭い映画評論家でもある黒沢清。東京藝術大学大学院映像研究科教授として後進の指導にも当たっている彼は、間違いなく日本映画界の最重要人物の一人だろう。

『回路』(00年)でカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞、『トウキョウソナタ』(08年)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞、『岸辺の旅』(15年)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞するなど、その名声は日本のみならず世界に轟いている。彼の熱狂的支持者は“キヨシスト”と呼ばれるほど。

そう! 今や、映画界でクロサワといえば黒澤明ではなく黒沢清なのである!

一部の映画ファンの中には、「話がモヤモヤしててよく分からない!」だの、「何だかコムズカシイ感じでイヤ!」だの、ややもすれば哲学的にも見える作風に生理的嫌悪を抱く方も少なくないご様子。ハイ、おっしゃる通りです。

だが、好きな映画監督にジャン=リュック・ゴダールとスティーヴン・スピルバーグを挙げている黒沢清は、ゴダール的なヌーヴェルヴァーグ気質(コムズカシイ感じ)とスピルバーグ的なハリウッド気質(エンタメな感じ)を持ち合わせた稀有な作家。特に近年は、扱う予算が増えてきたこともあってか、よりハリウッド気質な作品も増えてきているのだ。

という訳で【フィルムメーカー列伝 第八回】は、筆者も敬愛して止まない異能の映画作家、黒沢清について考察していきましょう。

立教ヌーヴェルヴァーグ一派としてデビュー

黒沢清は、いわゆる立教ヌーヴェルヴァーグの一人。立教ヌーヴェルヴァーグとは、立教大学で「映画表現論」の講義を担当していた蓮實重彦(映画批評界のドンである!)の薫陶を受けた一派のことで、その後の日本映画の屋台骨を支える人材を数多く輩出している。

ざっと挙げるだけでも、

青山真治(代表作に『EUREKA ユリイカ』、『サッド ヴァケイション』など)
周防正行(代表作に『Shall We ダンス?』、『それでもボクはやってない』など)
万田邦敏(代表作に『ありがとう』、『接吻』など)
塩田明彦(代表作に『害虫』、『どろろ』など)
森達也(代表作に『A』、『​A2』など)

という豪華さ!

黒沢清は1983年にピンク映画『神田川淫乱戦争』でデビューすることになるが、美術を万田邦敏が担当し、周防正行や森達也(森太津也 名義)がチラっと出演しているなど、立教ヌーヴェルヴァーグ人脈が色濃い作品になっている。

『神田川淫乱戦争』とは何とも凄まじいタイトルだが、当時は低予算ながら一定数の観客動員が見込めるポルノ作品で商業映画デビューを果たす、というのが映画監督の一般的ルートだったのだ。

続いて撮った作品が、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。これもポルノとして作られたものの、最終的にセックスシーンが大幅に削られて一般映画として公開された作品(伊丹十三が演じる大学教授の変態っぷりが凄まじい!)。

1989年には、黒沢清がかねてより撮ってみたかった“ホラー映画”に挑んだ『スウィートホーム』が公開される。巨額の制作費が投じられたビッグバジェット・ムービーで、バンドREBECCA(レベッカ)のヴォーカリストNOKKOや、宮本信子、山城新伍、古舘伊知郎などが出演。

この作品をきっかけにして、黒沢清は名実ともに人気監督の一人となる……はずだった。しかしその後、黒沢がビデオの発売権を巡って製作プロダクションを提訴するという騒ぎになり、“扱いにくい監督”のレッテルを貼られてしまうことに。

彼は映画界から急激にフェードアウトしてしまうのである。

華麗なる復活、そしてJホラーの火付け役へ

その後黒沢清は、『勝手にしやがれ!! 脱出計画』、『勝手にしやがれ!! 強奪計画』など、哀川翔を主演としたVシネマ(劇場公開しないレンタルビデオ専用のオリジナルドラマ)に活路を見出す。他の監督とは一線を画す独特な演出ぶりにコアなファンからは耳目を集めていたものの、彼はまだマニアックな存在でしかなかった。

雌伏の時を経て、その実力が国内外に広く知れ渡るきっかけとなったのが、1997年に公開された『CURE キュア』だろう。

この作品は、マインドコントロールによる猟奇殺人を描いた新感覚のサイコサスペンス。ちょうど、オウムによる一連の事件によってマインドコントロールという言葉が一般に浸透した時期と重なることもあり、大きな注目を集めた。

黒沢清監督自身は、この映画の着想を『羊たちの沈黙』から得たとインタビューで答えている。「犯人が捕まるまでではなく、犯人が捕まってからが怖い」というストーリー構造にインスピレーションを受け、この傑作は誕生した。

2000年には「インターネットを介して、こちらの世界と死者の世界との回路が開かれる」という現代的なプロットを用いて本格的なホラー映画に挑んだ『回路』、2006年にはホラーと恋愛映画を融合させた意欲作『LOFT ロフト』、2007年には葉月里緒奈演じる幽霊がひたすら怖い『叫』などを発表。Jホラーブームの一翼を担った。

※具体的なJホラーの特徴については、拙稿の「【3分で分かるJホラー講座】メイド・イン・ジャパンの恐怖が世界を包み込む!!」をご笑覧ください!

ホラー映画の旗手と呼ばれる黒沢清だが、実は非ホラー映画も数多く手がけている。

工場で働く青年と、自殺で息子を失った中年男の擬似的父子関係を描く『アカルイミライ』、ごく普通の家庭がひょんなことから崩壊し、そして再生するまでを描いた『トウキョウソナタ』、死者となって帰って来た夫と妻の純愛を描く『岸辺の旅』……。

一貫しているのは、どの作品もディスコミュニケーション(相互不理解)の物語だ、ということだ。人間と人間ならざる者(幽霊 etc.)とのディスコミュニケーションは当然として、父子、家族、夫婦というミニマルな単位でも断絶とその回復を描いている。おそらく黒沢清の作家的テーマといえるだろう。

静ひつな恐怖を呼び起こす黒沢演出の特徴とは?

静ひつな恐怖を呼び起こす黒沢清の演出は、極めて独特だ。その特徴をいくつか挙げてみよう。

特徴1:廃墟

黒沢清といえば廃墟、廃墟といえば黒沢清!

彼の映画にはいつも独特の“不穏さ”がつきまとうが、そのえも言われぬ不気味さを増幅する装置として廃墟が登場する。朽ちた外壁、隙間に差し込む光、そして静寂。近年でも、世界70か所以上にも及ぶ廃墟にカメラを向けた『人類遺産』というドキュメンタリー映画が製作されるほど、そのビジュアルは圧倒的で、幻想的な魅力を放つ。

もともと彼は、ハマー・フィルム(1950年代〜1970年代にかけてホラー映画を数多く世に放ったイギリスの映画制作会社)に代表されるようなゴシックホラーに憧れていたが、それだと舞台が“田舎にある巨大な洋館”になってしまう訳で、現代日本に置き換えてしまうとチープな作り物感が拭えない。それを回避するために、黒沢清はこの非日常的空間に着目したのではないだろうか?

特徴2:ダークファンタジーな美術&セット

リアリティなんぞ度外視!!! 彼の映画には、ビジュアルのインパクトを優先した美術やセットがよく使われる。

例えば『CURE キュア』には、オールド・ファッションな意匠が選択されている。中川安奈が入棟する病院の建築様式はどう考えても時代錯誤だし(看護婦のカッコウが古すぎ!)、19世紀末に撮られたという催眠術のフィルムなんぞ、ほとんど呪いのビデオ。役所広司に最終的な癒しを与えるのが蓄音機というのもスゴい。大正ロマン漂うデカダンな雰囲気が、この映画に不思議な魅力を付与している。

『クリーピー 偽りの隣人』に登場する監禁部屋に至っては、まるでゴシックホラーに登場する地下墓所のような趣き。「どう考えても日本じゃねえだろ!」という総ツッコミを受けること覚悟で、黒沢清はこのセットを作り上げたのだ。リアリティよりもダークファンタジーとしての強度を優先しているのは明らかだろう。

特徴3:唐突な暴力、唐突な死

「血まみれカットは早めに1回やっておけ!」が黒沢清の信条らしい。ただ会話しているだけの何気ないシーンでも、突然殺人を犯すカットを挿入することで、観客は「いつ、恐ろしいシーンが来るか分からない〜!」という予測不明状態となり、緊張状態を持続させることができるからだ。

だから黒沢映画では、唐突に暴力と死が襲いかかる。『CURE キュア』で、警察官がなんの前触れもなく拳銃で人を撃ち殺すシーンはその典型例といえるだろう。

特徴4:車内シーン

黒沢清が撮る車内シーンは非常に独特だ。例えば、『アカルイミライ』では 車に乗っているシーンが常にスプリット・スクリーン(分割画面)になっている。分割させることで、藤達也とオダギリジョーが微妙な関係であることを、映像表現として暗示しているのだ。

もう一つ特徴的なのは、車窓に流れる風景をクロマキー(映像の一部を透明にして別の映像をはめ込む技術)や、スクリーンプロセス(撮影された映像をバックに流してその前に登場人物を配置し、それを同時に撮影する技術)を使って見せていること。ハリウッド黄金期によく使われた古典的撮影技術だ。

意図としては「車中という密室を孤独の象徴として描きたいから」ということらしいが、今でもコレを使用している映画監督は黒沢清くらいだろう!

日常が非日常に侵食される世界を描く姿勢

『黒沢清、21世紀の映画を語る』という書籍の中で、黒沢清は理想とする映画の機能について語っている。

その一節を引用してみよう。

「映画作りとは「存在していること」と「見ること」とのぎりぎりのせめぎあいのことかもしれない、と僕は時々思うのです。(中略)たとえば、閉まっているドアの向こうは、観客には絶対に見えません。

でも、観客はそのドアの向こうにまで世界が広がっていることを知っている。だからうまく撮れば、「あのドアがいつか開くんじゃないだろうか」「そこには我々も想像しなかった世界が広がっているんじゃないだろうか」「そしてもしドアの向こうからいきなりそんな未知の世界が押し寄せてきたならば、主人公は身も凍るような恐怖を体験するんじゃないだろうか」

(中略)これが僕が理想とする映画の最上の機能です。

平たくえいば、日常が非日常に侵食される世界を描きとること、それこそが黒沢清監督が目指す映画的地平なのだといえるだろう。それをホラーというアプローチで撮るのか、家族ドラマというアプローチで撮るのか、それは題材次第なのだ。

9月9日からは、前川知大が主宰する「劇団イキウメ」の人気舞台を映像化した『散歩する侵略者』が公開されている。地球征服を目論む謎の侵略者の出現によって、地球に未曾有の危機が襲いかかるというストーリー。まさに日常が非日常に侵略される世界を、SFスリラーというアプローチで描いた作品といえるだろう。

黒沢版『宇宙戦争』を、スクリーンでぜひ体感してみてください!

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