「あのさあおじちゃん? 今日もボクじゃましないでおりこうに見てるから、高座見てってもいーい?」
「あのさァ、これ食べていい? 父ちゃんの給料(ワリ)から引いといてね」
「おじちゃん、見えないからだっこして〜」


最強の甘えん坊・信之助登場


雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第4話は、三代目有楽亭助六と小夏の息子・信之助が中心となるエピソードだった。厳格かつ偏屈な師匠・有楽亭八雲も、信之助にだけは厳しくすることができない。子供に頬ずりする八雲なんて、誰が想像できただろうか。万人をデレさせる可愛い悪魔ぶりを見せつけたのがAパートだった。
Bパートでは助六と小夏が、その信之助の幼稚園で開催された落語会に出演する。ここでは子供に絶大な人気のある噺「寿限無」を通じ、父・二代目助六から薫陶を受け、本当は誰よりも落語好きであったはずの小夏の芸についての思いが描かれることになる。子供を軸としてすべてが展開した回だった。原作では7巻前半に相当する部分だ。

にほんごであそぼ


寿限無寿限無五劫の擦り切れ、で始まる謎の呪文を全国に広めたのが、NHK教育テレビ(Eテレ)で現在も放送中の子供向け番組「にほんごであそぼ」である。2003年の開始からしばらくの間レギュラー出演していたのが、5代目柳家小さんの実の孫である落語界のプリンス、柳家花緑だった。「にほんごであそぼ」には他にも講談界から3代目神田山陽、狂言界から2世野村萬斎らが出演し、古典芸能独自の言い回しなどを披露して日本語に対する関心を掻き立てる役を担っていた。いくつかあった定番フレーズのうちの1つが寿限無だったのである。あっという間に子供たちの間に広まり、学校寄席に行くと持ちネタにない噺なのに寿限無をやらされる、と落語家がぼやく事態となった。
アニメでは助六が子供番組に出演中している場面が数秒だけ出てきた。原作でも1カットだけ描かれており、手書き文字で台詞が「らくごであそぼーっ」と記されている。実はこれ、雲田が「にほんごであそぼ」から思いついたものなのだとか。後述する雲田と花緑の対談で確認できた。

Eテレの落語家


人気落語家がNHKの子供番組にレギュラー出演した例は意外と多い。あの立川談志も、1964年から67年にかけてNHK「まんが学校」の司会を務めている。ただしこれは教育テレビではなく総合の方で、新真打として人気が急上昇していた談志の看板を当て込んだものだろう。子供に漫画の描き方を指導する、という番組の趣旨としては共演の漫画家・やなせたかしの方が主であった。
花緑の「にほんごであそぼ」以前で重要なのは「おかあさんといっしょ」で番組内に自身の名を関したコーナーを持っていた古今亭志ん輔である。公式サイトのプロフィールによれば朝太を名乗っていた1982年4月から真打昇進後の1999年3月まで17年に及ぶ。ブタくん、ヘビくんらのマペットとの掛け合いをするだけではなく、子供向けにアレンジしたネタを披露して、幼い落語ファンを獲得すべく奮闘した。後に志ん輔は神田連雀亭という二ツ目専門の寄席設立に尽力し、これによって若手落語家が上がれる高座の数は格段に増加した。自分の若手時代の経験から、活動の場を広げること、若いファンを増やすことの重要性をよく承知していたゆえの行動だろう。
Eテレといえば、個人的には9 代目林家正蔵も印象深い。こぶ平と名乗っていた時代、グッチ裕三主演の「ハッチポッチステーション」でマペットのジャーニー・タビスキヤネン3世の声優を務め、ショーの間の寸劇を盛り上げた。正蔵には声優仕事も多く、「ハッチポッチステーション」自体は落語と直接関係ないが、クレジットで名前を覚えてこぶ平=正蔵に親しみを抱いた幼年視聴者も多かったのではないか。
こうして見るとブームと言われる現在の落語界も、幼年向けの布教ではまだまだ手薄の印象がある。志ん輔、花緑の跡を継いでEテレの星になる落語家がこの先出てきますように。

昭和元禄落語心中寄席


さて、前回もお伝えしたように1月31日は東京の新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場の3定席において、「昭和元禄落語心中寄席 新宿・浅草・池袋落語まつり」が開催された。そのうち新宿末廣亭では、仲入り後にトークコーナーが設けられ、主任を務めた柳家花緑と、漫画の作者である雲田はるこの公開対談が行われたのである。
自身も原作が好きで、前日に10巻をすべて一気読みしてきたという花緑の言葉は、会場を埋め尽くしたファンの心を最初からがっちりと掴んでいた。雲田の落語鑑賞遍歴、原作に出てくる落語31席(全31話であり、1話につき1つの噺という計算になる)はどうやって選んだのかといった方向に話が及んだあと、突如花緑が訴え始めた。
今回の企画では落語協会から各演者に「この噺をやってもらいたい」という形で出演依頼があったのだという。花緑の場合は「紺屋高尾」、持ちネタでもあるからもちろん大丈夫だ。
しかし、あれ。
ちょっと待てよ。
原作ファンである花緑は気づいた。実は紺屋高尾は原作に出てくる31席には含まれていないのである。出てくるのはアニメ第1期第7、8話。それも高座に掛けられたわけではなく、登場人物が歩きながら稽古をする場面などで少し触れられただけだった。
みなさん、と花緑は叫ぶ。
昭和元禄落語心中寄席の演目を見て「あの噺がない」と思いませんでしたか。
紺屋高尾は別のときにちゃんとやります。もしみなさんがよかったら「あの噺」を今日はやりたいと思うのですが。
そう、「野ざらし」です!(万雷の拍手)
確かにそうなのである。「野ざらし」は「八雲と助六篇」において重要な位置を占める噺なのであった。それが無いのではせっかくの企画も画竜点睛を欠く。
無事に観客から演目変更を認められた花緑は、あー、よかった、と溜息をついたあと、こう言って対談にオチをつけた。
「でも僕、野ざらしはあまり得意じゃないんですけどね」

今回の噺


今回の噺は寿限無の他、助六が高座に掛けた「時そば」と八雲が信之助の「寿限無をやってほしい」との声を無視して演じた「明烏」である。
「時そば」は上方落語の「時うどん」を東に輸入して改作した落語で、そば屋の勘定をうまくだました男の真似をしようとした主人公が失敗する噺だ。後半に出てくるそば屋がとにかく不味いというところで笑いが起きる噺なので、演者は皆ここを工夫する。爆笑派の落語家で得意にしている人は多いが、機会があったらぜひ聴いていただきたいのは、落語芸術協会・瀧川鯉昇のそれだ。鯉昇は古典落語を自分なりに作り直すことも多い演者だが、現在「時そば」は「蕎麦処ベートーベン」の題名で掛けられている。もはや原型も留めないその改作ぶりにぜひ驚いていただきたい。
「明烏」は八代目桂文楽(先代。故人)の十八番で、真面目一辺倒の若旦那を吉原に連れていき、世慣れた男にしてしまおうという企みを描いた噺だ。これまた多くの演者が得意としているが、個人的には落語立川流・立川談四楼のそれがお気に入りである。あの手この手で若旦那を騙そうとする源兵衛・太助のキャラクターが良く「今俺たちはかつてない遊びを経験しようとしてるんじゃないか」と浮かれるあたりは本当に盛り上げる。

次回の「昭和元禄落語心中」では助六がついに師匠・八雲と待望の親子会にこぎつける。「助六再び篇」の転回点となるエピソードである。お見逃しなきよう。

恥ずかしながら私も落語会の主催をしています。もし機会があればご覧ください。
近日の落語会は、まず本日。落語立川流の新鋭二ツ目(しかし40代で入門したので年齢はもう真打級)の立川寸志が笑える噺だけで100席口演を目指す「寸志滑稽噺百席」の第1回である。演者を見守っていただけるお客様を現在募集中。


次週10日は同じく落語立川流真打の立川談慶が、落語と漫談、トークライブと盛りだくさんの内容でお客様をもてなす「談慶の意見だ」。トークゲストに立川談志長男・松岡慎太郎氏が登場し、父に関する秘話を披露する予定である。こちらも貴重な機会につきぜひご来場を。



(杉江松恋)