先日行われたリオオリンピックの閉会式。安倍首相がマリオに扮するなど、日本の引き継ぎセレモニーが上々の評価を得た。そして、この閉会式で音楽監修を担当したのが、椎名林檎である。
ところで、この椎名林檎とaikoは、デビュー前から良きライバルだった。

ちなみに二人がデビューした1998年は、実力派の女性シンガーソングライターが次々とメジャーデビュー年。宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、MISIAらも98年デビューである。

95年のヤマハコンテストでグランプリを受賞したaiko


小学校時代から歌手を目指し、高校時代からピアノを習い、作曲をし、バンド活動に精を出していたaiko。
1995年、19歳の時にヤマハ音楽振興会が主催するコンテスト「ティーンズミュージックフェスティバル」に出場。自分で作詞・作曲したオリジナル曲『アイツをふりむかせる方法』でグランプリを獲得した。同曲はデビュー後のアルバムにも収録されている。

同年の「ティーンズミュージックフェスティバル」で、aikoは、エフエム大阪のプロデューサーに声をかけられ、短大卒業直後からラジオの音楽番組のパーソナリティーに抜擢。
デビュー前の無名シンガーの飾らない自然体の語り口がうけて、aikoはいくつかの番組を掛け持ちするほどの人気DJになった。

バンドのボーカルとして福岡から全国大会に進んだ椎名林檎


その「ティーンズミュージックフェスティバル」の同じ決勝大会、渋谷公会堂のステージにいたのが、椎名林檎である。
子どもの頃からピアノとクラシック・バレエを習っていた林檎は、中学からバンドを組み、高校時代は軽音楽部に入部、曲づくりやライブハウスでライブをするなど活動を広げていた。

当時高校生だった林檎は、『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドのボーカル兼ギター担当として「ティーンズミュージックフェスティバル」に出場。福岡地区大会で1位をとり全国大会に進出したが、結果はいくつかのバンドと共に奨励賞に甘んじた。

林檎は「ティーンズミュージックフェスティバル」でaikoに会った日のことを、のちに雑誌でaikoへのコメントとして「一生忘れません」と語っている。
オリジナル曲をソロで伸び伸びと歌うaikoの姿に、刺激を少なからず受けたのだろう。その後、もっと曲を書きたい、音楽をする時間を増やしたいと高校を中退している。

優秀賞を分かち合った椎名林檎とaiko


翌年、96年に行なわれた、ヤマハ主催のアマチュアミュージシャンコンテスト「ミュージッククエストジャパンファイナル」で、2人は再会。
椎名林檎は、バンドとして福岡大会にエントリーしていたが、複数のレコード会社から声をかけられ、また大会関係者の勧めで決勝大会ではソロに転じ、初めて椎名林檎の名前でソロとして出場した。

決勝大会で林檎は『ここでキスして。』を、aikoは『ひまわりになったら』を披露し、共に優秀賞を受賞した。いずれも、のちに世に出ることになったオリジナル曲だ。シンガーソングライターとして2人がどれだけ成熟していたかがわかるエピソードである。
ちなみに、林檎とaikoをおさえてグランプリを獲ったのは、林檎と同郷の谷口崇だった。

同じ98年、運命のようにメジャーデビューを果たす


そして、この「ミュージッククエストジャパンファイナル」には大手のレコード会社が多数審査や協賛として参加しており、2人はメジャーデビューの大きな一歩を踏み出すことになった。

そして1998年5月に林檎は『幸福論』で、7月にaikoは『あした』でデビューした。ちなみに『あした』は、aikoの持ち歌で唯一、自分で作曲していない曲である。
2人とも本格的なデビューまでは、本人たちの意思と違う大人の事情などもあり、葛藤や悩みもあったと言われている。本人たちが意識しているかどうかは別として、今も良きライバルと言えるのではないだろうか。
(佐藤ジェニー)

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