食事に含まれる毒素の99.99%は自然毒〜エームス・ショック

 農薬が嫌われるのは、言うまでもなく毒性の心配であるからでしょう。毒物がかけられた食品を食べて大丈夫だろうか、という心配をしてしまうのは無理もありません。

 しかし、知識があればそうした心配が杞憂か、はたまた本当に心配すべきことなのか分かります。さらに、自分たちがいかに「常識」という名の幻想にとらわれてきたのか自覚できることもあります。

 そうした幻想の1つは、我々がふだん「無毒の食品を食べている」という誤解です。

 ここまで読んで「ちょっと待て! ふだん自分が口にしているものは危険な食品なのか? だったらやっぱり無農薬がいいのか?」と思われた方、もう少しお付き合いください。

タピオカの原料に含まれる毒

 以前の記事「植物を作り変える人類を待っていた落とし穴とは?」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46410)では、人間がわざわざ毒を選んでたしなんできたことを書きました。大根おろしやワサビの類は、アリルイソチオシアネートを、からしはカプサイシンを含みますが、その毒物が生みだす辛味を人間は昔から楽しんできたのです。

 そんな食べて楽しむ毒物だけではなく、我々が普段食べる食品には量は少ないながらも、いくつもの有毒な天然物質が含まれています。にわかに信じがたい、ひどい例もあります。

 アジア・南米・アフリカで広く栽培され、アフリカの一部地域では主食となっている「キャッサバ」という芋があります。日本でもおなじみのタピオカの原料です。このキャッサバ、青酸配糖体(シアン化合物)という文字通り青酸カリの親戚みたいな毒物が大量に含まれているのです*1。

 虫などから身を守るために芋自体が毒物をつくって身を守っているわけですが、その量は(キャッサバを主食とする)現地の人の1日分の食べる量で半数致死量の50%に達するといいます*2。

 そのため現地では、水にさらす、煮沸するなど毒抜きの処理をしてから食べるわけですが、その処理が不十分で中毒事故がしばしば起こり、足の麻痺や最悪の場合、死に至る事故が多発しています。

 また、調理で毒抜きをしても、完全に取り除くことはできません。そのため現地の平均寿命が短い理由はキャッサバを主食にしているからではないかと疑う学者もいます。だからといって、ほかに栽培可能な作物もないので、今もキャッサバが主食になっている地域があるのです。

自然毒は人工毒の1万倍

 キャッサバの例は極端ですが、実は我々が食べる作物では実際どれくらい毒物が含まれているのか調べた学者がいます。アメリカの生化学者、ブルース・エイムス(エームス)博士です。

 エイムス博士は、「エイムステスト」(またはエームズテスト)と呼ばれる簡易毒性試験法の開発でその名を知られています。

 エイムステスト*3とは、物質の発ガン性を調べるもので、変異原性を調べる試験です。シャーレの中で培養したある種類の菌にスポイトで試料を垂らし、その菌の集団の中でどの程度、変異体が生じたかを調べるものです。

 遺伝子の変異はがんの原因となるため、物質の変異原性を評価するために、その物質の発がんリスクを調べることができます(変異原性と発がん性は70〜90%の相関があると言われています)。

 エイムステストは、大変低コストでできる試験法ですが、精度が若干落ちるので、お金と手間のかかる本格的な実験の前に見通しをつけるのに使われることが多いようです。生化学者として多くの国際的な賞も受賞しており、間違ってもインチキな学者ではありません。

 そしてエイムス氏は、アメリカで普段食べられている食品についても調べ、1990年に「アメリカ人の食事に含まれる農薬物質の99.99%が植物由来の天然農薬である」という驚きの調査結果を発表しました(B N Ames etal, Dietary pesticides (99.99% all natural), PNAS 1990-10, vol.87, no.19, pp.7777-7781)。

 99.99%を占める天然農薬に比べて人工農薬は0.01%。つまり、天然由来の自然毒は化学合成で作られた毒物の1万倍も含まれているということになります。これに対し、残留農薬は1万分の1と桁違いに少ないのです。食生活が違うので日本では若干事情は違うかもしれませんが、そう大きな違いはないはずです。

 ここまで差があると、農薬ばかりを過剰に気にするのは果たして科学的に妥当なのか疑わしくなってしまいます。

 前掲の記事でも述べたように、動物や植物は、人間に食べられるために生きているのではありません。そして彼らの中には毒物を体内に保有して食べられないように身を守る者もいます。当然、人間が食べる時のために人には無毒な毒物を保有しようなんてことは考えません。

 だから人間は、フグを食べる時に毒の含まれている部位を研究して、毒の含まれる部位を食べないようにしたり、品種改良によって栄養価が高く、毒性の少ない植物を選抜したりすることで、工夫してきたのです。

じゃあ、なぜ食べても平気なの?

 それでも完全に無害な農作物は作れないのです。にもかかわらず、我々が毒にあたって死なないのはなぜでしょうか?

 簡単です。1つには、毒物と言っても摂取量が少ないなら健康に影響を与えない上に、体に良い場合もあること。上述のように、大根をすりおろすときに生じるアリルイソチオシアネートなど典型的ですが、大量摂取に問題はあっても、調味料として使う程度の少量なら、むしろ「大根おろしに医者いらず」と言われるほど健康によい食品の側面を持ちます。

 アルコールもかなり毒性が強く、酒は全て有毒であると言えますが、少量なら百薬の長と言われます。もっとも、こうしたケースはあまり多くありません。圧倒的に多くは、通常の摂取量では毒性を発揮するに至らないだけです。

 もう1つは、人間はある程度の毒を摂取しても問題ないように解毒能力を備えているからです。多くの食べ物に毒が含まれているなら、人類も進化の途上で毒に適応する能力を身に付けてきたわけです。たいていは肝臓で無害化されて体外に排出されます。

 解毒の仕組みは、酵素によって行われ、いわゆる化学反応の「酸化、還元、加水分解」が体内で行われ、尿などに混じって排出されます。

 たとえば中毒を起こすことで有名なシンナーの成分であるトルエンは、短時間の暴露であれば、めまいや頭痛などを引き起こし、吸引による中毒では神経障害や腎障害、肝障害、血液障害、重篤な場合には死に至ります*4。

 トルエンはそのままでは水に溶けにくく、汗や尿として体外に出すことができません。そこで、肝臓で代謝され、別の物質に変換されます。代謝にはいくつかのルートがありますが、最もメジャーな経路では、いくつかの化学反応を経て、安息香酸という物質に変換されます。安息香酸はさらにグリシンという物質と抱合して、馬尿酸になり、尿中に排出されます*4。

 このように「酸化、還元、加水分解」で行われる解毒は第1段階(第義衄娠という)で、これでダメなら第2段階(第響衄娠)で抱合と呼ばれるアミノ酸や硫酸、グルクロン酸などとの結合で無毒化し、アセチル化やメチル化によって対処します。ほかにも人体にはいろいろな解毒能力が備わっています*5。

人間は知恵を以て毒を制する

 もちろん、毒物の摂取量が水準以上になれば、人体に悪影響を及ぼすわけですが、人間が対処できる毒物の種類は多岐にわたるようです。しかも、かなり融通が利くようで、自然の毒物と似たような構造を持っている、自然界に存在しなかった化学合成された毒物も同様に扱われ、無害化されます。

 農薬の多くは、こうした自然界の毒物をモデルにしています。何度も書きますが、自然界の毒物は当然人間の都合など構ってはくれません。しかし農薬の場合は化学構造の決定に人間がかかわっています。当然ですが、農薬の開発者は、農薬が農作物に散布され、その農作物を人間が口にすることを念頭に置いているわけです。

 化学のプロフェッショナルたちは、いかに人間にとって無害で、対象害虫や細菌には有毒で(選択性が高く)、かつ環境に残留しないようにと知恵を絞っています。そして、安全を担保するための明確な「基準」を設けています。

 こうして世に出された人工の毒物1に対し、人間の都合お構いなしで植物が作った天然毒は1万倍ある──このことを踏まえて、冷静に考えてみる必要はありそうです。

【参考文献】

*1「キャッサバ芋による青酸中毒の防止に期待」ワイリーサイエンスカフェ

*2「イラスト図解 農業のしくみ」有坪民雄 日本実業出版社

*3「エイムステスト:突然変異の検出方法」役に立つ薬の情報〜専門薬学

*4「化学物質評価研究機構 有害性評価書 -トルエン
主な代謝経路についてはp12、ヒトの健康への影響はp36を参照

*5「トキシコロジー」日本トキシコロジー学会教育委員会編集 朝倉書店

筆者:有坪 民雄