昨年12月、世界的カウンターテナーの米良美一が、クモ膜下出血で倒れていたことが判明しました。「発見が遅れていたら死んでいた」というほどの深刻な病状に、一度は生死の境を彷徨うも、その後奇跡的に回復。今は宮崎県内の実家でリハビリを重ねながら、復帰に向けて準備を進めているそうです。

米良美一のオカマキャラ きっかけとなった事件


さて、そんな米良といえば、オネエ系タレントの一人としても有名。病気になる前までは、さまざまなバラエティ番組に出演し、派手な衣装と制作者サイドの意図を解したひょうきんな言動によって、お茶の間の笑いをさらっていました。
その活躍ぶりから、もともとオカマキャラが売りの歌手のようになっていましたが、バラエティタレント化したのはここ数年のこと。彼の名を世間に知らしめるきっかけとなった、映画『もののけ姫』の主題歌を歌っていたころは、決して今のようなイメージではなく、どちらかというと真面目な好青年といった佇まいでした。
そんな彼の印象を一変させ、世の中に広く“そっち系の人”だと知らしめるきっかけとなった事件が、今から18年にあったのをご存知でしょうか?

『もののけ姫』の主題歌がヒットした1997年、事件は起きた


その事件とは、米良自身が起こした暴力沙汰であり、1997年10月5日に起きました。はじめに前提としてお伝えしておきたいのは、以下に書く詳細は全て、被害者サイドからの証言をもとにしているということ。つまり、米良の口から真相が語られたわけではありません。
しかし、実際に被害届が提出されたという事実、当時ワイドショーや週刊誌で話題となった本件に関して「大筋を認める」という米良サイドのスタンスから、おそらくほぼ事実だと思われます。ことの一部始終はこうですー。

米良美一、自分好みのゲイボーイを自宅に招いたはずが……


この日の夜、米良はとある派遣会社に「出張ゲイボーイ」の出動を要求しました。言うまでもなく、彼の自宅に呼び寄せて、様々な“サービス”を施してもらうためです。デリバリー系のお店ですから当然、寿司やピザを注文するのと同じように、米良はその日、自分が“食べたい”男の子をお願いしたはずです。
どんなオファーを出したかまでは分かりませんが、自分好みな色小姓の到着を前にウキウキだったに違いありません。

「ピンポーン!」。呼び鈴が鳴り、米良は小躍りしながら玄関へ駆けていきます。扉を開けて現れたのは、彼が注文したとおりの美男子。ここまではまだ、上機嫌でした。米良の態度が一変したのはその後。会話もそこそこに、服を脱がすや否や、彼の怒りの沸点は突如、MAXに達したのです。

米良美一もある意味被害者?


後に事実説明をした出張ゲイボーイ・Bくんの証言によると、「20発以上殴られて、僕の靴と1万円札10数枚を投げつけられた」とのこと。服を脱がす前までは無事だったことから、米良はおそらく、Bくんの体に何らかの不満があったのだと思われます。一体、どの箇所だったのやら……。
「アタシが言ってたのと違うじゃない!」と、やり場のない怒りに任せてつい、手が出てしまったのでしょう。期待していたものと違った時のガッカリ感……。暴行事件は良くありませんが、彼もまた、適切なサービスを受けられなかったという意味では、被害者であったとも言えるでしょう。

ゲイボーイを派遣した会社によると、米良は2年前にも同じようなトラブルを起していたことが、新たに分かりました。この暴行騒ぎを受けて、彼はBくんにサービス料金・交通費込みの慰謝料30万2000円を支払うと共に、自らへ謹慎処分を課しています。

米良=ゲイキャラであることが定着している今、被害者感情に最低限配慮さえすれば、何となく、笑い話にもなりそうなこの一件。病気からの完全復帰を果たしたら、元気な歌声と共に、ぜひ、本件の一部始終も聞かせてもらいたいものです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりロマンス~米良美一世界の名歌をうたう