ただいまご紹介にあずかりました、新婦の腹違い・種違いの兄、フモフモでございます。福原家、江家を代表いたしまして、一言ご挨拶申し上げます。

本日はご多忙の折、愛と宏傑君のために、このような大勢の方にお集まりいただき、誠にありがとうございます。先ほどより皆様からのご祝辞、激励のお言葉、温かい心遣いの数々を頂戴し、感謝の念にたえません。

ツイッターで「息してるか?」と蘇生役を買って出ていただいた方。メールで「元気出してください、まだ羽生クンがいますよ」と励ましていただいた方。はてなブックマークで「フモフモ憤死」とめでたき席に似つかわしくない心配ブコメをいただいた方。そして、本日の媒酌の労をおとりいただいた週刊文春様。多くの方々の支えによって、私どもはこの日を迎えられました。

私は愛とは腹違い・種違いの兄として生を受けました。テレビで「泣き虫愛ちゃん」の活躍を知り、「自分はこの娘の兄だ」と電撃のように出生の秘密に気づき、以後その成長を見守ってまいりました。私自身も学生時代は卓球に打ち込み、愛と同じ空の下でラケットを振るったものですが、あの頃の空、夏の風、ガタついた体育館の床、人気のない更衣室、転がったボール、ひとつひとつ拾い集める気だるさ、幼き愛、すべてを昨日のように思い出します。

6人しかいない卓球部の6番目の選手として私は青春を過ごしました。当時のあだ名は「ラスボス」。シングルス・シングルス・ダブルス・シングルス・シングルスという順番で編成された団体戦において、6人目で登場する私を指したものです。一番強いという意味ではなく、コイツが引っ張り出された時点で大体詰んでおり、コイツが負けたらお開きという意味でございました。

その頃の私は毎日、愛を想ってボールを打ちました。大きく左右にボールを振っては、愛の小さな手が届かずに空を切るさまを思い浮かべ、それを心のつながりとしました。今日は愛に勝ったぞ。まだ愛には負けないぞ。テレビで芸能人と戯れる愛の姿を台の向こう側に思い描き、負けて悔しがる愛をボールの向こう側に思い描きました。

やがて私がラケットを置き、愛を眺めるだけの存在となってからも、愛の微笑ましさ、自然と沸き起こる慰めの気持ち、そして仄かな想いは強くなる一方でした。私は今でも理想の女性を問われた際には一途に「卓球の愛ちゃん」と答えつづけています。理想の男性を問われる機会があれば、気の多さを窘められるのかもしれませんが、女性の理想(※妥協の幅は広いが)に関しては揺らぐところはありません。ちなみに、ももいろクローバーZの有安杏果さんとウチの愛は、ソックリだと思います。

<2012年、名乗ることもできないまま愛の手を握った日>


こう言うと身内の自慢のようで憚られますが、愛は日本の奇跡だと思っております。あの幼い少女が、テレビの中でスターダムに押し上げられ、大衆の好奇に翻弄されながら、しかし真っ直ぐに育ってまいりました。偉ぶるわけでも、ひねくれるわけでもなく、ひとりの人間として、誰とでも誠実に向き合える女性へと成長してまいりました。まっこと奇跡と思います。

選手として、愛はオリンピックに出ました。ロンドン五輪では団体銀メダルを獲得しました。先日の世界選手権でも団体銀メダルを獲得いたしました。「夢の夢の夢」だった世界で大きな成果を残しております。しかし、私にとって一番の勝利は2012年の全日本選手権女子シングルスの優勝であります。13度目の挑戦での初の栄冠。あの勝利こそが、兄としてもっとも嬉しく、忘れ得ぬものでありました。

有名だから、人気があるから、自分は代表に選ばれているのではないか。どれだけ世界ランクを高めようとも、当時の愛は自分自身を認められずにいたように思います。二度の五輪で結果を出せず、三度目の五輪に再び挑もうという時期。強く自分を責め、激しくもがいていた時期に得たタイトル。五輪の銀メダルすら、あの勝利の余韻のようにさえ思われるのです。

「卓球の愛ちゃん」が「卓球全日本王者の愛ちゃん」になった、そのことは愛にとって大きな赦しを与えるものだったはずです。愛ちゃんだからではなく、卓球が強いから私はココにいていいんだ、と。愛は誠実さゆえに、少しだけ自分を責めるところがあります。自分の居場所を探して所在なく振る舞うところがあります。

このたびの週刊文春での報道におきましても、愛は直撃する記者を誠実に受け止め、大切な人としての宏傑君の存在を語りました。自身のブログでは短いながらも、はっきりとした気持ちを綴りました。いつも通り、愛は何ひとつ悪いことなどしていないのに、お詫びの言葉を添えて。愛は万事この調子です。真っ直ぐ、誠実に、何故かいつも謝ってきました。それだけが心配でございます。

愛、宏傑君、どうか自分たちの幸せを堂々と喜んでください。

人を愛することは、誰に謝ることでもありません。同じ雑誌に記事が載った人たちは、人を裏切ったから謝らざるを得ないだけなのです。幸せになることはお騒がせでもないし、ましてや悪いことではありません。今年は大事な仕事があるので、ゆっくりすることは難しいかもしれませんが、お互いを最良の支えとして、幸せの道を歩んでいってほしく思います。

さて皆様、本日はご臨席を賜りながら、十分なおもてなしもできず、不行き届きの点も多々あったかと存じます。が、私もあえてお詫びは申し上げません。私は今、愛の親族としてご挨拶の機会をいただいておりますが、私のみならず、あなた様も、あなた様も、あなた様も、すべての皆様が愛の親族でございます。愛は妹であり、娘であり、現代の卓球少女たちにとっては姉であります。仮に妻と呼ぶ機会は得られないのだとしても、愛がかけがえのない存在であることは、すべての皆様にとって同じなのです。

宏傑君は夫として愛を支えてくれることと思いますが、人は夫婦のみで生きるものではありません。私はこれからも兄として愛を支えていく所存でございますし、皆様もこれまで通り、いえ、これまで以上に家族として愛を温かく見守っていただければ幸いです。親戚のおばさまとして、孫娘を見守る爺様として、父として、母として、姉として、兄として、まだ未熟なふたりを支え、ご指導をいただけますよう心よりお願い申し上げます。

愛、おめでとう。私に謝る必要はない。

オフィシャルになったのだから、堂々と喜びなさい。

みんなお前の親族なのだよ。

お前が大きくなり、美しくなり、人を愛したことを、皆祝福しているのだよ。

私も、含めて。

最後になりましたが、皆様のご健康とご繁栄、ふたりの末永い幸せを祈り、想いを込めて1曲贈らせていただきます。



『愛、おぼえていますか』

今あなたの声が聴こえる
「記事を読んで」と
淋しさに 負けそうな私に

今あなたの姿が見える
喘いでいる
目を閉じて 抱いている彼氏を

昨日まで 内田で曇ってた
心は今……

おぼえていますか 目と目が合った時を
おぼえていますか 手と手が触れ合った時
それは初めての 愛の柔肌でした
愛 love you、サーッ

今あなたの写真を見てる
中国の記事
身体中が 動かなくなるの

今あなたのブログ読んでる
「ご報告」してる
真実を 突きつける私に

昨日まで 内田で曇ってた
世界は今……

おぼえていますか 目と目が合った時を
おぼえていますか 手と手が触れ合った時
それは初めての 愛の柔肌でした
愛 love you、サーッ

もう ひとりぼっちじゃない…?
結弦が消えたら

おぼえていますか 目と目が合った時を
おぼえていますか 手と手が触れ合った時
それは初めての 愛の柔肌でした
愛 love you、サーッ

もう ひとりぼっちじゃない…?
結弦が消えたら




本日は……まことに…あり…がと…う…ご…ざ……い……ま  し  た