10歳のときにバルセロナに入団した久保建英(くぼ・たけふさ/14歳。現在はFC東京U−15に所属)をはじめ、9歳でレアル・マドリード入りした中井卓大(なかい・たくひろ/12歳)、10歳でエスパニョール入りしたタルハニ存哉(ありや/12歳)など、ここ数年、海外クラブの下部組織(カンテラ)に入団する若年層の日本人選手が目立っている。それも、ひと昔前には日本人選手にとって"遠い存在"だったバルセロナやレアル・マドリードなど、世界的な名門クラブにも迎え入れられているのだから驚きだ。

 なぜこうした状況にあるのか。その要因について、中井のレアル・マドリード入りをサポートした高橋尚輔氏(イープラスユー/欧州クラブの育成機関への入団を希望する選手たちのサポート企業)は、「選手の実力はもちろんですが、海外クラブに入団するための正しい情報の取得や、その過程を踏める環境が、日本でも整ってきたことも大きい」と分析する。

 そして、そんな日本人若年層の海外挑戦は、欧州に限らず、南米にも広がっている。アルゼンチンのクラブの中で「ビッグ5」に数えられるインデペンディエンテU−18には現在、金久保陸生(かなくぼ・りくお/17歳)、千葉真登(ちば・まさとう/17歳)らが所属。それぞれ、現地でも高い評価を得ている。

 また、「キング・カズ」こと三浦知良を筆頭に、かつては数多くの日本人選手が"学びの場"として足を踏み入れてきた「サッカー王国」ブラジルにも、同様の存在がいる。昨秋、ブラジル・サンパウロの名門、SCコリンチャンスの入団テストを突破した蒔田泰広(まきた・やすひろ/17歳)だ。

 蒔田は、8次まである難関セレクションを見事通過。現在、就労ビザ申請中のため、公式戦などの試合に出場することはできないが、コリンチャンスの下部組織の一員として日々トレーニングに励んでいる。

 南米のトップクラブであるコリンチャンスでは、毎回100人を超えるブラジル人選手たちが入団テストに参加するという。だが、合格者が出るのは、稀(まれ)だ。にもかかわらず、蒔田は日本人という"ハンデ"がありながら、そのテストを突破。1次セレクションの際には、あるコーチによって、わずか30分間のプレーを見ただけで、チーム練習への合流を言い渡されている。さらに蒔田は、名門パルメイラスの入団テストでも合格寸前まで至っており、それらのことは、まさしく彼の実力の高さの証明と言えるだろう。

 蒔田は、中学校卒業と同時にブラジルへ渡った。中学校時代は、テクニックには定評があったものの、名門高校やJユースなどから声がかかることはなく、地域のトレセンにも選出されたことのない、無名の選手だった。

 蒔田が中学校時代に所属していたヘラクレス大磯Jrユース(神奈川県)の小林哲也代表は、当時の蒔田についてこう語る。

「もともとドリブルの技術は、秀でていました。対戦相手からネイマールをもじって『ヤスマール』と呼ばれるなど、そのプレースタイルは際立っていましたね。試合中にヒールリフトをしたりして、対戦相手の監督からは『まるでサーカスだね』と言われたこともありました。それで、全国レベルの高校と練習試合で対戦したときなどは、何度も削られていました。それでも、蒔田は自分スタイルを貫き通していました。そのため、守備の意識が低く、他にもいくつか欠点が目についたのは確かです。ゆえに、日本のチームからは声がかからなかったのかもしれません」

 しかし、ブラジルに渡ると蒔田の評価は真逆だった。小林代表が続ける。

「(ブラジルでは)欠点を修正するのではなく、いいところをとことん伸ばしていこうとする点が優先されるのでしょうね。コーチたちも皆、そんな観察眼を持っているのかもしれません。蒔田のコリンチャンスの入団テスト突破を受けて、日本の指導者と海外の指導者では、選手を見るポイントが違うんだな、と改めて痛感させられました」

 そうしてブラジルでチャンスをつかんだ蒔田だが、どんな思いを持ってブラジルでプレーしていくのか。

 ブラジルは、年間数百人もの選手が海外クラブに移籍する、世界でも有数の"選手輸出国"である。それだけに、ヨーロッパ以上にシビアな査定が下される。選手たちはそれぞれ、身体能力はもちろん、個人の技術、戦術、ゴールなどの結果に対して厳しい評価を受け、ダメ出しされれば、即プレーする場所を失ってしまう。蒔田が語る。

「(ブラジルでは)予想もしていない角度からタックルが飛んできたりして、日々日本の常識では考えられないようなプレーの連続を味わっています。その中で学んだのは、何よりプロ意識の大切さと、目に見える結果を残すことの重要性です。3部や4部のチームでも、結果を残した選手は、すぐにトップレベルのクラブに引き抜かれる可能性がある。僕は、日本でもブラジルでも街クラブからスタートした"雑草"選手ですが、そんなブラジルのシステムを肌で感じてきているからこそ、『結果を残して、必ず這い上がってやる!』という強い意志を持つことができました」

 蒔田のプレーの特長は、圧倒的なスピードと、左右両足でほぼ遜色なく巧みにボールを扱えることだ。中盤の左サイドを主戦場とし、タテに鋭い突破を見せるとともに、時にはカットインから強烈なシュートを放って相手ゴールを脅かす。

 コリンチャンスのU−17世代は現在、「史上最強」といった呼び声があるほどハイレベルなチームで、ブラジル国内屈指の強豪だ。16歳でトップ登録された日系人のファブリシオ・オオヤらを擁し、ブラジルの全国大会で優勝。スペインで行なわれた国際大会に出場すると、バルセロナ、アトレチコ・マドリードなどのユースチームを撃破した。

 まだ試合出場は叶わなくとも、蒔田はそのチームの一員である。ブラジルの将来を担う面々と連日しのぎを削っている。そのU−17チームの指揮を執るマルシオ・ザナルディ監督は、蒔田の将来性を高く評価している。

「(蒔田は)パワー、フィジカルなどにおいて課題はあるものの、スピードとドリブルには魅力的なものがある。高いポテンシャルを秘めた、いい選手だ」

 そんな蒔田のブラジルでの生活をサポートしてきたのは、横浜市で活動する育成クラブ『C.O.J.B.』の代表でもある今野英一氏。今野氏自身、現役時代はブラジルでプロ選手としてプレー。ブラジルにパイプを持っていて、『C.O.J.B.』からもこれまで複数の選手たちをブラジルの各クラブに送り込んできた。今野氏によれば、ブラジルにおけるハングリーかつ厳しい環境こそが、日本人プレーヤーの劇的な成長を促すという。

「日本にいるときから、蒔田はスペースがある場面でのプレーには光るものがありました。そして、本人はプロになるための高い意識を持っていました。ならば、世界水準の国のサッカーを早くから体感することで、大化けする可能性もあるのではないかと思えて、(彼に)ブラジル行きを勧めました。

 ただ、ブラジルに渡った当初は、どう転んでもコリンチャンスのような名門クラブに受かるような選手ではありませんでした。それが、出場機会を得られる街クラブからスタートして、そこで結果を出すことで自信をつけ、厳しい環境の中でのプレーに適応していきました。同時に、常に上を目指すイメージも大切にしていました。(蒔田は)生まれつきの才能に恵まれていたわけではありませんが、目標に向かってブレずに努力できる才能、本番で力を発揮できる才能を持ち合わせていたからこそ、今の地位を手にしたと言えるでしょう」

 蒔田は、こんな未来図を描いている。

「僕の中で、ブラジルはプロとしての土台作りの場であって、『プロとは何か』ということを知り、学ぶための国。プロとして稼ぐ場所ではありません。あくまでも、ヨーロッパのクラブへ移籍するためのステップの場と考えています。とにかく、今はブラジルで活躍して、最短での欧州5大リーグのクラブ入りを本気で狙っています。21歳で迎える2020年東京五輪は当然意識していますし、その代表チームに入るために、今やるべきことをそこから逆算して分析し、日々の練習に取り組んでいます。

 もちろん、まだまだ課題はあります。フィジカルは弱いし、ゴール前で強引にシュートまで持っていけるメンタル面の改善も必要です。ただ、ブラジルでの経験によって、課題が明確になって、(プロとして)通用する部分がわかったことが大きい。エリートではない自分が、日本の五輪代表として東京五輪のピッチに立つ。想像しただけで、わくわくしてきませんか?」

 南米の強豪クラブでは、下部組織からトップチームへの昇格というのは非常に狭き門である。蒔田が進んでいく道のりは、決して平坦ではない。それでも彼のもとには、すでにドイツやイタリアなどの代理人からコンタクトがあるという。

 日本ではまったく評価されなかった"雑草"ドリブラーは、はたして日の丸のユニホームに袖を通して、東京五輪のピッチに立てるのか。蒔田泰広の"サクセスストリー"の続きを期待して、今後も彼の動向を見守っていきたい。

栗田シメイ●文 text by Kurita Shimei