80年代のアメリカ映画から抜け出てきたかのようなファッションがまぶしい。同棲中の恋人は、原宿系の新たなカリスマとして絶大な人気を誇る“ぺこ”ことオクヒラテツコ。ここ最近、彼女とともにバラエティ番組に出演し、その独特のキャラクターで注目を浴びている読者モデル・りゅうちぇる。TVではカップルでの出演が目立つが、今回あえて、りゅうちぇる単独でのインタビューを敢行した。“ちぇるちぇるランド”に生まれ18歳で上京。ぺこと出会い、芸能界デビューを果たすに至るまでの不思議な運命とは――?

撮影/平岩亨 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

恥ずかしがり屋の少年が…高校デビューで大変身!



――昨年は激動の1年だったのでは?

これまでの20年の中で、こんなに楽しい1年はなかったです。新しい仕事が一気に増えたし、プライベートでも、ぺこりんと一緒に暮らし始めてもうすぐ1年…そう考えるとホントにすごい1年でしたね。

――この「すごい1年」に至るまでの、りゅうちぇるさんの20年についてじっくり伺います。まず、お約束ですがご出身は?(笑)

ちぇるちぇるランドです!(笑)

――それは世間でいうところの「沖縄」ではなく…?

いやいや、ちぇるちぇるランドですから! まあ…南の方ですね(笑)。

――小さいころはどんなお子さんでしたか?

僕、5人兄弟の末っ子で、一番上の姉とは15歳も離れてるんです。小さいころから自分では何もできないけど、お兄ちゃんやお姉ちゃんが全部やってくれるって感じでした。

――典型的な甘えん坊の末っ子タイプ?

いまでもそうです。他人と接してても、甘えられそうなところを探して、スルスルっと入りこんじゃう(笑)。

――性格的には?

小中学校と恥ずかしがり屋でしたね。年上に囲まれて育ってきたから、同級生とどう接していいかわかんなくて…。職員室で先生たちとお話ししながら、親が迎えに来るのを待ってましたね。

――クラスの中でも目立つ存在でもなく?

小学生のころは、おバカというか変な子でした。僕自身は覚えてないんですけど「手紙回して」と言われて、後ろの席に回すんじゃなくて、自分の机の上でクルクルと手紙を回してたらしいです(笑)。

――いまのような、明るくて目立つ存在になったのは…

高校からですね。まさに“高校デビュー”って感じで、ガラッと変わりました。オープンな性格になって、自分でミニコンポを学校に持っていって、音楽に乗って踊ったり。

――急激な変化のきっかけは何だったんでしょう?

さっきも話したんですが、年上に囲まれて育ったからか中学のころは、どこかで周りを見下してるようなところがあったんですよね。みんなオシャレもしないし、話題もつまんないし。そのころから、絶対に高校では楽しくDKするんだって決めてました。

――すいません、「DK」というのは…

あ、「男子高校生」の略です(笑)。イケイケなDKになりたくて、沖縄…いや、ちぇるちぇるランド(笑)、ちぇるちぇるランドで一番、制服がオシャレな高校に行くんだって決めて、めっちゃ勉強しました。

――念願かなって希望通りの高校に?

はい! そこですぐにTwitterを始めて、自撮りの写真やコーディネートをアップしたりするようになりました。




ギャル男系に流れた過去も…?



――そもそもファッションに目覚めたのは?

小さいときから好きでしたね。ランドセルも「絶対に水色がいい!」って自分で決めてましたし。小学生から中学に上がったころにはジャスティン・ビーバーが大好きになって…。

――ジャスティンのブレイクがローティーンのころなんですね!

日本で有名になる前から、『GOSSIPS』という雑誌を読んで知ってたので、前髪とかマネしてました。ただ、そのころはオシャレが好きというよりも、ただジャスティンが好きという感じでした。そこからギャル男系のファッションに流れて…(笑)。

――ギャル男?いまの姿からはなかなか想像できないですが…。

中学のころ、『Men's egg』を読んで厚底はいたり、日サロに通ったりしてました(笑)。ブランドで言うと「COCOLULU」とか好きでしたね。中2くらいで化粧も始めました。最初は眉毛いじったりとか、小麦ファンデでしたけど。



――現在のようなファッションに至ったのは?

高1くらいですね。きゃりーちゃん(きゃりーぱみゅぱみゅ)が出てきて、原宿ブームが起こったんです。男の子でも、こんどうようぢくんとか青文字系のモデルさんが活躍するようになって、以前は渋谷の方が好きで「原宿なんて超ダサい!」とか思ってたんですけどね(笑)。そこに自分なりにアメリカンな要素を加えて、いまのような系統になりました。

――地元でそういうオシャレをしてると周りから浮きませんでしたか?

めちゃくちゃ浮いてましたね。みんな、島ぞうりとハチマキにタンクトップとかでしたから(笑)。遊びに行ったりするとジロジロ見られましたね。

――髪を染めたのは?

中2かな?(笑)

――早いですね。ご両親には何も言われませんでした?

うちの親、めっちゃゆるいんですよ(笑)。というか、わりとオシャレにはうるさくて、金髪にしても、似合わないと「似合わない」ってハッキリ言われて、変えさせられるんです。それも黒髪に戻すんじゃなくて、白くさせられれたり…(笑)。なかなか、ぶっ飛んだ親なんです。

――学校は…?

マズかったです。でもそれも、親が「こっちの方が似合ってるから」って言い張って(笑)。



初の原宿上陸で号泣「竹下なう!」



――子どものころの将来の夢は?

本当に小さいころは「扇風機になりたい」とか言ってました(笑)。しかも(手を回して)「ブーン」とか練習までしてた…(苦笑)。その後、オシャレに目覚めてからは、アパレル系の会社に勤めたいなって思うようになりましたね。

――アパレルで働きたいと思うようになってからは、上京は当然の選択肢に?

そうですね。とにかく東京に出て「アパレルで働く!」とだけ決めてました。高3のときに上京して、原宿のアパレルショップで採用の面接をしてもらいました。「3月に上京して、すぐに働けます」って。実際、高校を卒業して3日後には上京して、そのお店で働き始めました。

――それまでにも何度か、東京には遊びに来てたんですか?

ディズニーランドが好きで遊びに来て、そのときに何度か寄ってました。

――初めて原宿を訪れたときのことは覚えてますか?

いまでもハッキリと! 感激して泣いちゃいました。竹下通りの入口を見つけた瞬間、涙が止まらなくなって、興奮して友達にテレビ電話で「竹下なう!」って(笑)。一軒ずつすべてのお店を回って、地元の焼肉屋でバイトして貯めた金で持ちきれないくらいの服を買いました。ハリキリ過ぎて、帰りに竹下通りの坂道でコケて…(苦笑)。

――卒業後の東京行きについて、周りの反応は?

地元ではみんな「東京は怖い」ってイメージを持ってるんです。うちの高校でも、東京に出るのは僕ひとりだけで「ホントに行くの?」って感じで。両親も心配してましたけど、僕の夢は揺らがなかったので、渋々ですけど「じゃあ、行ってくればいいさぁ」って送り出してくれました。

――夢を抱えて上京して…

あぁ、いま上京したときの思い出がフッと頭に蘇りました。ちぇるちぇるランドから飛行機で飛び立つ瞬間、少しだけ寂しくなったんです。

――18年間ずっと住んできて、家族や友達のいる故郷を出るわけですからね。

東京に着いたのは夜だったんですけど、街のネオンが明るいんですよ。それを見てすごく気分が上がって。「東京にはいろんなキラキラした人が集まってるんだな。このキラキラに負けないように自分も輝こう」って思いました。

――そんな夢の街で実際に働き始めて…

まず僕にしてみたら、電車があるってことだけでも「すごい!」 って感じなんです。乗り方もイマイチわかんないし、「メトロ」と聞いて、空飛ぶのかと思ったし(笑)。でも、出会うひとはみんな、いいひとばかりでした。大げさじゃなく、いいひとにしか出会ってないし、支えられてここまで来たなって思います。

――すっかり東京に慣れました?

原宿はもう庭ですね。行くと落ち着きます。慣れって怖い(笑)。でも銀座は、仕事行ってもドキドキするし、新宿はいまだに怖くて行けない! 1回だけ歌舞伎町に行ったら、2分くらいで「ホスト興味ない?」って声を掛けられて……超怖いイメージがあります(笑)。

――原宿で働き始めてから、芸能界に入るまでの経緯は?

「社員目指して頑張るぞ!」 と働き始めたんですが、急に読者モデルにスカウトされたんです。それまでは全然、モデルやりたいなんて思ったことはなかったんですが、やってマイナスになることなんてないだろうと思って、何でもやってみようって。