大塚家具会長 大塚勝久(おおつか・かつひさ)●1943年、埼玉県生まれ。69年大塚家具センター(現大塚家具)を創業。2009年に長女の久美子氏に社長を譲るが、14年に会長兼社長として復帰。15年1月取締役会で社長を解任され、現職。

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「娘たちと対立するのは辛い。自分を責めるしかない」創業会長は、親族同士の「経営権争い」をそう語った。なぜ5人の子どもは二手に分かれてしまったのか──。

■どちらが社長でも経営の根本は同じ

──会長はなぜ、つい最近まで沈黙を守ってきたのですか。娘に対してどのような思いがあったのですか。

今回のことは、親子の戦いなんかじゃない。親馬鹿と言われるかもしれませんが、久美子社長が自分の意思でやっているとは今でも思えないのです。家族や社員になぜ相談しないのか。誰かに吹き込まれているんじゃないか、そう思えてならないんです。経営に対する考え方が対立しているなんて言われていますが、そんなに違いません。

──それはどういうことなんですか。

久美子社長はカジュアルな店、入りやすい店づくりをしたいと言っていますが、これまでだってそうした考え方も取り入れて店づくりをやってきているんです。世間では私が会員制にこだわり、入りづらい店となっているなんて話が報道されていますが、全くの誤解です。会員制でやっていたことはありますが、何年も前から「会員制」という言葉も使わないようになり、受付で住所や名前を書いていただくやり方は10年ほど前にやめています。それに商品だって変わっていません。大塚家具に来たら必ず満足していただける店づくりをやってきていますし、さまざまな商品を揃えています。ところがなぜか、私は高級品ばかり扱おうとし、久美子社長はIKEAさんやニトリさんと対抗するような商売をする話になっている。私が社長をやってきたときも久美子社長が2009年に社長になってからも大塚家具の根本はほとんど変わっていないのです。

──久美子社長の経営者としての手腕についてはどう思っていますか。

もちろん久美子社長の経営手法に異論がないわけではありません。私は社長を交代するときには久美子社長がうまくやっていけるよう十分配慮しアドバイスもしてきたつもりです。ちょうど会員が200万人を突破したとき、会員を中心に営業ができるようにチラシを減らして新聞で広告を打つようにしたり、団塊の世代がリタイヤしてテレビを見る人が増えたためテレビ広告を積極的に打てるようにお膳立てしました。しかし久美子社長はそういう戦略的な広告をやめてしまった。1年目はリーマンショック後で円安から円高に変わりましたので「値下げして在庫を早めに処分したほうがいい。しっかり宣伝すれば売り上げは逆に伸びる」とアドバイスしたのですが、値下げだけして宣伝が不十分だったから売り上げが大幅に下落してしまった。

──14年7月に久美子社長が解任されていますがこれはどのような経緯なのでしょうか。

その前年に取締役会で「業績回復に向けた助言を全く聞いてくれないのなら、代表取締役会長として責任がとれない」と話をしたのです。その後、社外取締役などが、その機会をつくることを含めた提言書を初めて私に書いてきた。しかし、なかなか話を聞く時間がとれないため、経営会議を立ち上げてやれるようになり、進歩したのです。ところが14年の4月ごろから消費税導入後の駆け込み需要の反動などで受注が大きく悪化したにもかかわらず、久美子社長は販売管理費を抑えるために広告をやめたんです。これで足もとの受注件数は下がり、秋以降の売り上げが落ち込むのは目に見えている。強い危機感を持った幹部社員や役員から「何とかしてほしい」という声が上がり、どうしようもなくなって久美子社長に「せめていくつかの権限を渡してもらえないか」と相談したんです。久美子社長からは「それはできない」ということで、結局、社員たちの意思を汲むためにやむをえず社長をやめてもらうことになりました。

──大塚家具の原点、創業の精神とはどのようなものなのか。

私は桐箪笥の街として有名な埼玉県春日部市で生まれ、10歳ぐらいから箪笥職人をしていた父の仕事を手伝い、それこそ資材の調達から販売、資金調達、経理までなんでもやりました。父は名人と呼ばれる箪笥職人だったのですが、いくらいいものを作ってもそれだけでは適正な価格では売れない。職人の仕事をきちんとお客様にわかってもらうためには、よさをきちんとお客様に説明する対面販売が必要だと思ったのです。それが大塚家具の原点です。

いい家具を作っているのは価格競争力のある大手だけではない。多くは中小です。そして「いいものを安く提供する」というのはそう簡単なことではありません。いいものほど仕入れ価格は高いのですから。たくさん売ったからといって急に安くできるものでもない。実績を積んで初めて価格が下がるのです。それに場所と建物、商品と社員がついてこなければ商売としてはうまくいかない。どれ1つ欠けてもうまくはいきません。大塚家具が売らずに一体だれが匠の高度な技術を持つ中小の国内外家具メーカーを支えていくのでしょうか。今業績を落としてしまっていますが、そうしたことをしっかりとやっていくことが大塚家具の今後の成長につながっていくはずです。

──今後大塚家具をどのような会社にしたいのでしょうか。久美子社長にはどんなことを期待していますか。

私は価値のあるものを提供したいと思っています。安価なものであれば深い知識や経験のない社員でも対応と販売ができます。形は一緒ですから。しかしそんな家具をリユースなんてできますか。大塚家具はいいものを販売し、それを下取りして修理し、リユースする。数年で使い捨てるのではなく、長く使える家具。しかも所得の高い人もそうでない人もいい商品が使える。そんな時代がこれからやってくる。匠の職人が作った長く使える家具を提供することが社会のためになると考えているのです。そして社員たちが夢を持てる会社にしたい。だから将来は、会社を安心して任せることのできる人に社長をやってもらうのが一番いいと思っています。いずれはプロパーの社員にも社長をやってもらいたいと思っています。コーポレートガバナンスを強化するために社外取締役を増やすことも提案していますし、今後は経営と執行をわけるかもしれません。久美子社長には、社員の気持ちを考えると大塚家具の経営から身を引いてもらわなければならないと思いますが、娘であることには変わりありません。大塚家具の経営から身を引いても1人の親として応援していくつもりです。

(松崎隆司=構成 村上庄吾=撮影)