引退する天龍源一郎や安生洋二との秘話、そして“故郷”への変わらぬ思いを熱く語ってくれた

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今やすっかりお茶の間の人気者になった高田延彦が、映画『スーパーヒーロー大戦GP仮面ライダー3号』(3月21日ロードショー)に出演し悪の大幹部「ブラック将軍」を演じている。

幼い頃の仮面ライダーごっこ、引退する天龍源一郎や安生洋二との秘話、そして、かつてプロレス界に物議を醸したツイッター発言の真相を明かす!

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―今回、仮面ライダーの映画に出演されますが、子供の頃はご覧になっていたんですか?

「見てた! 一番ハマった世代じゃないかな。カードが欲しくてライダースナックを何個買ったかわからない。ライダーごっこもよくやった。毎日のように農家の納屋に登って「変身、トーッ」って飛び降りたり。仮面ライダーのおかげで高い所から跳べるようになったんだよ」

―若手時代のミサイルキックはそのおかげですか(笑)。出演オファーが来た時はどう思われましたか?

「迷うことなく受けたよ。もちろん、自分が子供の頃に憧れていた作品に参加できる喜びもあるし、眦墜讃譴任老遒烹渦鵑離據璽垢妊瀬ぅ筌皀鵐鼻Εッズ・カレッジ(レスリングを採り入れた子供の体育イベント)を開催しているから、小学生の子供たちと触れ合う機会が多いんだ。子供たちが「ブラック将軍だ!」って反応してくれたら嬉しいよね」

―ブラック将軍は悪の組織ゲルショッカーの大幹部ですけど。

「大幹部に見えないかもね。顔がベビーフェースだから」

―確かに、悪役顔じゃないですよね。

「かなり優しそうなブラック将軍に見えるかもしれないね(笑)。ブラック将軍は全編にわたって登場するわけじゃないから集中して見てほしいな。後半ではひとつ見せ場があるので!」

―ブラック将軍は、ハッスルの高田総統を彷彿(ほうふつ)させます。

「“悪のテンション”を自然体でやると、どうしても総統と一緒になっちゃうんだよ(笑)。それこそ数十m先にいる相手を威嚇(いかく)する怒鳴り声のテイストは同じになっちゃう。しょうがないよね、私がやってんだから」

―衣装も似てますし。

「最初に衣装合わせをした時、普通に「これ総統だな」と思ったよ」

―さて、ライダー映画への出演と聞いて思い出されるのが2012年のツイッターでの発言です。「強さを追求しないプロレスイベントなんて単に身体の大きなやつらの仮面ライダーごっこ以下だよ」と呟(つぶや)かれました。

「今さらその話題なの?(笑)」

―ぜひとも今回はそこに触れたいなと思いまして。なぜ、ああいうツイートを?

「もう覚えてないよ。話題の鮮度もゼロに近いんじゃないかな?」

―そこをなんとか絞り出していただけませんか(苦笑)。

「Show君(インタビュアー)はいつもそうだよね。薄れた記憶を絞り出すのには相当なカロリーを使うんだよ。このインタビューは脳トレみたいになりそうだな…それにさ、今頑張っているニュージャパン(新日本プロレス)にとって耳障りなことを言わなきゃいけないし、私の印象が悪くなるだけだもの、コレ」

―高田さんの魂ある言葉なら読者に伝わります!

そうだなぁ…なんであんなことをツイートしたんだろうね(笑)」

―というと?

不愉快な思いをしたファンには悪かったと思うよ。大人なんだから、もうちょっとオブラートにくるんでやらないとイカンよね。せめて「レベルの高い仮面ライダーごっこ」ぐらいにしておかないと…ちょっと飲みすぎた」

―酔った状態でのツイートでしたか(笑)。

NWF(*)好きの友人たちと一杯やってたら、プロレスの話が膨らんじゃったんだよ。気持ちよく床について、朝起きたら『おい、こんなことを呟いたのか、私は…』と」

*NWF=70年代から80年代初頭までアントニオ猪木が保持した新日本プロレスの看板タイトルだった

―覚えてなかったと。ちなみに深夜1時13分のツイートです(笑)。この発言は結構、物議を醸しました。今のプロレス界を背負っている人たちにとっては「今さら高田延彦に言われたくない」という思いもあったでしょうし。

「それは知らないけど、ちょっとストレートに言いすぎました。だけど、今あらためて当時を振り返って自己分析してみると(発言の)根っこというか前兆があったね」

―前兆?

「実はこの年の春あたりにニュージャパンからオファーがあったんです(試合ではなくセレモニー出演)。結果的にはお断りしたんだけど。そのオファーに対してイエス・ノーを出す前に、いま一度私が思うニュージャパンを一考してみたんだ。結果、脳の隅っこで自分の「故郷」に対するジレンマの小さな種火が生まれたんだろうな。そしてその種火があの晩、ツイートに化けたんだよ」

―どのような種火だったのですか?

「また外野のオッサンがなんか言っとる!なんて思われそうだが…私のクオリア(感覚的な心象風景)を言葉で表現するならば、「故郷の景色がガラッと変わってしまった」ということだよ。いちOBとしての故郷に対する物足りなさだね。

創業者(アントニオ猪木や山本小鉄)の思いが今は反映されていないんじゃないか? (旗揚げ当時)なぜ小さなプロレス団体が、大胆にも百獣の王であるライオンをシンボルマークにして「キング・オブ・スポーツ(スポーツの王様)」の看板を掲げて歩き出したのか? そしてなぜ格闘技界のみならず「世間」を強く意識しながら団体の生命線たるカラーをつくり上げてきたのか?

今はその片鱗(へんりん)が見えてこない。「俺たちはこの看板を受け継いでいるんだぞ」という意識が足りない気がするよ。私は入門してあのライオンマークを身につけることが嬉しくて、用もないのにTシャツに腕を通して(道場のある)等々力(とどろき)の街を歩いたもんだよ」

―その意見に共感する人も多いと思いますよ。

「当然、時代に応じたマイナーチェンジはアリだと思うし、才能あふれる選手たちがリング上でのパフォーマンスに集中できる環境が整っているのも素晴らしいことだと思う。

だけど、それはそれ。質の高い人材、素材がそろっているなら尚更、もっと振り幅のあるスケールの大きな選手が出てこないとイカンよ。確かにビジュアルがよくて仕事もうまいんだろうけど、内向きに小さくまとまっている気がする。

リスクを背負ってプロレスラーの強さを世の中に知らしめる作業もしないと、プロレスに興味のない人々にまで到達する爆発力は生まれないと思うよ」

 

―な、なるほど…。

「1994年に安生(あんじょう)洋二がヒクソン・グレイシーの道場に行った。もちろん賛否両論はあろうが、これも「プロレスラーが『キング』を獲りにいく」という非常にわかりやすいケースだよ。安生の心意気には少なからずライオンマークの遺伝子が入ってるし、その影響を受けてるんだよ。あのライオンマークをみんなの力で磨いて、もっとピッカピカに輝かせてもらいたいね」

―今年はその安生選手、そして天龍源一郎選手が引退されます。

寂しいね」

―天龍さんとの試合は、プロレス大賞年間最高試合賞をとってますよね(96年9月、神宮球場)。

「天龍さんとのシングルマッチ2試合はプロレスラーになって本当によかったと思える、夢のような時間・空間だった。実際に肌を合わせてぶつかった感覚は今でも忘れられないよ。天龍さんと神様に感謝してる。

あの人はリングに上がれば、試合会場全体を自分の持っている薫りというのかな、空気に染めていく独特な力を持っている。私もそれを体得しようとイメトレしたけどなかなかできなかった。あんなすごいプロレスラーはもう出てこないだろうな」

―98年の年末、高田さんと天龍さんの対談を都内のホテルでやったんですけど、対談終了後、「酒持ってこい」となって、その場にいた全員がヘベレケになるまで飲まされたんです。天龍さんは、酒が回るように高田さんの頭をつかんでシェイクしてました。

「あのシェイクは効いたなぁ、今でもダメージが残っているよ(笑)。あの人、絵に描いたようなガキ大将だよね。

思えば、天龍さんと会う時はいつも飲んでた気がする。マジメな話をするのも照れくさいし、体育会というより、完全に昭和の「格闘会」飲み。二度と戻れないあの時間も私には大切な宝物だね」

―ちなみにこの対談の時、ホテルから「もうお酒はありません」と言われました。まだあったんでしょうけど。

「ホテルそのものが危険だと思われたんだろうね(笑)」

 

―そして高田さんの弟子の筆頭といえる安生選手の引退。彼の入門から30年くらいのお付き合いですか。

「彼との歴史は濃いからなー。やっぱり「よくぞ残ってくれた」ってことじゃないかな。いまだに入門を許可してないんだけどね(笑)」

―そうなんですか?

「安ちゃんが初めて道場に来たとき、「どうせ向いてないから辞めさせよう」って話になった。だから、毎日限界ギリギリのムチャクチャなトレーニングをつけてたの。練習が終わって「明日は来ないだろう」となるでしょ。だけど翌日もケロッとした顔で「おはようございます」って来るんだよ。みんなで目を合わせて「また来た!」って、毎日その繰り返しで。

よくぞ、あの稽古に耐えて食らいついてきた。そしていつの間にか(正式に入門許可してないのに)団体(UWF)の一員になっていた初のケースだよ」

―イイ話ですね!

「(安生vs)チャンプア・ゲッソンリット戦(89年11月、東京ドーム)の頃には見事にハイレベルなオールラウンダーに仕上がっていたよ。彼は努力の人だけど天才肌でもあった。自分がイメージしたことを体で表現する能力も高かったし、人を指導して育て上げる才能もあった。ハッスル全体としてのパフォーマンスにもあらゆるシーンに彼の才能が反映されていた。要は演出家でもあるのよ」

―先ほどお話が出ましたが、安生選手がヒクソンに道場破りを挑んで、血だるまになって返り討ちに遭った時(94年12月)、高田さんは「頭をガーンとハンマーで殴られた気がしたと同時に、これで自分もヒクソンとやることになると思った」と発言してます。

「当時のUインターは「プロレス最強」をメインコンセプトでやってたから。プロレスも面白いけど、同時に外へのチャレンジ(他流試合)も積極的にやっていくと。その中で、93年にホイス(・グレイシー)が出てきて(第1回UFCで優勝した後)「兄のヒクソンは私の10倍強い」なんて言ったもんだからザワついたよね。あの10倍だもの」

―それで、道場破りになったわけですね。

「まぁ、そこに行き着くまでにはいろいろな経緯があったよ。当然、ヒクソンをUインターのリングに引っ張り上げる努力もしたけれど叶わなかった。

そしてあの(道場破りの)日、安ちゃんから国際電話で(結果を)聞いた時のことは忘れもしない。「すみません、やられました」と。この報告を受けた瞬間こそが、まさに私が「ヒクソンを追いかけなければならない立場になった」瞬間でもあった。ある種の宿命を感じたよ」

―それがPRIDEの胎動になったんですよね。他に安生さんとの思い出は?

「ありすぎて選べないな(笑)。とにかく常に近くにいてくれたよ。あの笑顔を見せながらね。引退興行(*)では安生洋二らしく有終の笑顔で締めてもらいたい。

引退後は焼き鳥店をやるために現在修業中らしいから、そっちも成功してもらいたいね。私もチョイチョイ食べに行くよ」

*引退興行は3月19日、後楽園ホールで開催され、眦弔錬孱圍匳弍蕕掘崔砲涼罎涼法安生洋二、出て来いや!」と呼び出し役を務めた

―最近、プロレスの話をされる機会は少ないですが、またツイッターでの爆弾発言を期待してます!

「飲んでツイートするのはもうやめるよ!(笑)」

■高田延彦(たかだ・のぶひこ)

1962年生まれ、神奈川県横浜市出身。81年、新日本プロレスでデビュー。UWFインターナショナルなどを経て、97年には PRIDEでヒクソン・グレイシーと対戦。2002年、田村潔司戦で現役を引退。現在はタレントとして活躍する一方、高田道場代表。子供たちの体育イベン ト「ダイヤモンド・キッズ・カレッジ」を全国で開催している

(取材・文/“Show”大谷泰顕 撮影/乾 晋也)