現場となった井の頭公園の様子

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 1994年4月に発生し、多くの謎を残したまま2009年に公訴時効となった「井の頭公園バラバラ殺人事件」。4月で事件から21年、時効から6年が経つことになる。この事件は、発生当時から謎が多く、未解決事件としては「世田谷一家殺害事件」や「八王子スーパーナンペイ事件」と並んでミステリーが多いことで知られている。

 前回お伝えしたように、事件21年目にして判明した新事実があった。殺害された建築士のKさん(35歳=当時)は、「人違い」によって殺された可能性があるのだ。本来、被害者となるはずだったのは、顔も背格好も年齢も瓜二つの露店商・Aさんだった。一体、どういうことなのか。真相の核心に迫る!

 1994年当時、日本の繁華街の至るところには、ヒッピー風のツーリストを装った外国人露店商がなぜか激増していた。その多くは某国の若者たちで、彼らは兵役を迎えるまでの間の余暇を利用して世界中を旅し、現地でにわか露天商をやっては、旅費を稼いで旅を続けるというスタイルで過ごしていたのである。今回、筆者はA氏に直接、当時の話を聞くことができた。

「当時、私は露店の仲間内ではいわばこの界隈では顔役だったんです。そうした中、外国人がいきなり現れたら商売敵でしかないよね。早い話が縄張り争いみたいなものが起きた。あいつらはルールも何も無視して、どこでも商売を始める。露店商とはいえ、ルールがあるからね」

 そこで彼らを、自分たちの縄張りである都心部から締め出すために、A氏は“その筋”の関係者の力を借りつつ、徹底抗戦を試みたのだという。だが、その最中でA氏はあることに気づく。A氏らが“単なる露店商”であると考え、排除しようと考えていた相手は、なんとヒッピーを装った、某国の特務機関に属する工作員たちだったのだ。要は、情報収集や特殊工作のために、身分を偽って入国していた“プロ”の活動を、はからずもA氏は妨害するという、実に大それたことをしでかしてしまっていたのである。

 だが時すでに遅し。彼らの徹底排除を目論んでいたA氏は、逆に四六時中監視され、その命を狙われることとなる。

「隠密行動だったはずなのに、情報が漏れたようで。結局、その筋の関係の人たちもこの件から手を引いてしまったんです……」(A氏)

 そこで、A氏は身の危険を察知するや、当時、倉庫として借りていた吉祥寺界隈には立寄らず、都内にある数箇所のビジネスホテルを転々とし、以後、ひっそりと息を潜める生活を余儀なくされたというのだ。

事件前からKさんの知人に何度も声をかけられていた

 それでも“追っ手”の影は、A氏の行く先々に姿を現せ、その機を狙う素振りを見せていたという。東北の催事場で店を開いたときに監視されたかと思えば、翌日、九州の縁日で店を広げるなり、おかしな外国人たちが自分を監視している。日本中、どこへ出向いても、A氏の周囲には、必ず彼らの姿があった。「もう駄目だと思った」(A氏)と、感じることは少なくなかったという。だが、そんなA氏が日を追うごとに緊迫した状況へと追い込まれる中で、ある事件が発生する。そう、「井の頭公園のバラバラ事件」である。

 事件の当夜、工作員たちから逃れるべく、A氏はそれまでと同様、都内のビジネスホテルに潜伏していた。そのため、A氏本人は、件の事件について、警察報道がなされた後で、テレビで知ったそうである。

「ワイドショーか何かで見て、私が事務所として使っていた家のすぐ近くが画面には映っていて……被害者の方の映像を見たときは、背筋が凍る思いだったよ。そして、“あぁ、この人は私と間違われて殺された”と確信しました」

 A氏が本来いるはずだった吉祥寺界隈には、事件の被害者となってしまったKさんが居合わせてしまったのである。

 そもそも、殺害されたKさんの自宅と、A氏が倉庫代わりに借りていた物件は目と鼻の先。地元・吉祥寺駅界隈では事件前からA氏は何度もKさんの知人らに声をかけられ、その間違えを指摘した後でも、「こんなにそっくりな人がいるなんて……」と驚かれたという。つまり、こうした背景から鑑みれば、KさんはA氏の代わりに、外国人工作員らの手によって、殺害されたのではないかという疑惑が浮上するのだ。

A氏にまつわる驚きの後日談があった!

 巷では、死期の近くなった人間が、自分と瓜二つの人間を目撃するという「ドッペルゲンガー現象」が、都市伝説的に広まり、定着している。そういう意味でA氏は、Kさんにとって、同時期にそれも自分の生活圏の中に、明らかに実在するというドッペルゲンガー的な存在であったと言えるだろう。事実、それを一方的に目撃してしまったであろうKさんは死んで、事件発生までKさんの姿を見たことすらなかったA氏は、今なお、ひっそりとその余生を過ごしている。

 無論、それが一人の尊い命を奪ってしまう出来事であった以上、第三者である我々が、単に「ドッペルゲンガーによるもの」と片付けてしまうことは、憚られてしかるべきことかもしれない。しかしながら、少なくともこの偶然が重なる確率は、少なくとも、ドッペルゲンガーを見るのと同じか、それ以上に低いものであると言えるだろう。真相については、藪の中であるが、時効が成立し、事件が完全なる闇へと葬られた今、我々はこの数奇な巡り合わせについて思いを馳せつつ、ただ、Kさんのご冥福を祈るばかりである。

 後日談について、付記しておきたい。

 A氏は井の頭バラバラ事件から数年後、家族が殺人事件に巻き込まれるという事態に遭遇している。A氏の家族が殺害されてしまったのだ。

 殺されていないほうの、もう一人のA氏の家族は容疑者の“情婦”と報道されたものの、実は容疑者グループに誘拐された状況、つまりは被害者であり、報道とは大きく異なるものだった(しかし、不可解な裁判によって、A氏のこの家族には有罪判決が下された)。

 容疑者は、海外に逃亡中でいまだ逮捕されていないが、殺された被害者の遺体はバラバラにされたうえに遺棄されていた……奇しくも、A氏は再びバラバラ事件と関係することとなってしまった。2つのバラバラ事件の関係性はまったく不明であるが、はたして本当に偶然だったのだろうか……。

(取材・文/猪俣進次郎)