San Francisco Suicide Club(サンフランシスコ自殺クラブ)」とは、1977年〜1983年の間にアメリカ・サンフランシスコで実在していた秘密結社。その名前とは裏腹に1人の自殺者も出さなかったという、謎の秘密結社の活動とはどのようなものだったのでしょうか。

San Francisco Suicide Club

http://www.suicideclub.com/

「San Francisco Suicide Club(サンフランシスコ自殺クラブ)」は、創設者ゲーリー・ウォーン氏と3人の友人たちによって1977年に設立されました。「Suicide Club」という名前はイギリスの作家ロバート・ルイス・スティーヴンソン氏の「Suicide Club」からとったものですが、フリースクール・ムーブメントの一環として生まれた団体で、クラブ名とは裏腹に自殺者は1人も出ていません。

参加希望者は散発的に行われる「入会セレモニー」で会員権を得ることができます。開催されるイベントはニュースレターをもじった「Nooseletter(絞首刑レター)」で告知され、メンバーになると好きなイベントに参加したり、イベントそのものを提案することができるようになります。絞首刑レターは以下のようなもの。



また、クラブ内にはトップダウン型の組織や選挙・委員会・規則などはなく、イベントの強制参加もありません。サンフランシスコ自殺クラブは「Fill in the blank yourself(自分自身を埋めよう)」を目的に掲げた、いたずら好きな人が集まるクラブというわけです。

サンフランシスコ自殺クラブでは、「ゴールデン・ゲート・ブリッジでシャンパン付きディナー」「チャイニーズニューイヤーパレードで宝探し」といった通例イベントを実施。他にも「裸でサンフランシスコのケーブルカーに乗る」「墓地・下水トンネル・深夜の金融街でゲームを行う」「廃墟ビル・廃病院などの探索」」「統一教会やアメリカ・ナチ党集会への潜入」といった活動を行っていました。時にはアメリカ洞窟学会と共同でパロアルト洞穴の探検を行ったこともあるとのこと。



イベントによってはケガの恐れがあるものや、法に触れるものもありましたが、サンフランシスコ自殺クラブには多くの"自殺志願者"が集まりました。1983年に設立者のウォーン氏が亡くなったことで、設立から5年でクラブは活動を停止しましたが、その後も多方面に影響を与えたとのこと。クラブのイベントの1つでもあった、看板に反対意見を書き足す「看板解放戦線」は、カルチャー・ジャミングの1種として続けられ、「Chinese New Year Treasure Hunt」もサンフランシスコの通年行事の1つとして残っています。

電子フロンティア財団の共同創立者ジョン・ギルモア氏が自殺クラブの会員だったほか、「跡を残さない」がコンセプトの「バーニングマンフェスティバル」は、自殺クラブの元会員たちが設立した「Cacophony Societ(不協和音協会)」に影響を受けたもの、ということです。