快進撃を続ける吉永泰之・富士重工業社長。

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■米国販売が初の50万台超へ

「蛻変(ぜいへん)」

富士重工業の吉永泰之社長は今年のキーワードにこの言葉を挙げる。蛻変とは、蝉の卵が幼虫になり、さなぎになり、羽化して成虫になっていく様子をいうが、環境に対応しながら形を変化させながら成長させていくという意味だ。吉永社長は社員に向けた新年の挨拶でこの言葉を言った後、「仕事のやり方を変えながら脱皮し、変化して前に進もう」と訴えた。

富士重工は現在、飛ぶ鳥を落とす勢いというぐらい好調で、いちばん元気のある自動車メーカーと言っていい。昨年のグローバル販売台数を見ても、91万3000台と前年に比べて10.1%も伸びているのだ。「100万台が見えてきた」とは吉永社長の弁だが、特に米国は絶好調で、「昨年は初の50万台を超え、今年は2020年の目標台数にほぼ近い数字になる」という。

もちろん業績もうなぎ登りで、2015年3月期第2四半期決算を見ても、売上高が前年同期比16.4%増の1兆3102億円、営業利益が同23.2%増の1856億円、純利益が13.2%増の1130億円と、どれも大幅増となっている。営業利益率に至っては14.2%と、業界トップのトヨタ自動車(10.4%)を大きく上回り、自動車メーカーでは考えられない数字だ。その決算会見に臨んだ吉永社長の顔から思わず笑みがこぼれたほどである。

■吉永社長は強運の持ち主なのか?

筆者は1980年代後半の田島敏弘社長以降、歴代社長のこの種の会見に出席しているが、経営陣の顔から笑顔が出るということはなかった。なにしろ、同社の業績は赤字か、かろうじて黒字を確保する程度で、いつも経営陣は眉間にしわを寄せていた。

文字通り、吉永社長の時代になってその流れが大きく変わったわけだ。それは、同社の株価を見れば一目瞭然だろう。社長に就任した2012年6月末当時の株価は637円だったが、14年12月にはなんと4617円をつけた。長い間ずっと3ケタで自動車メーカーの中で低位だった株価が急上昇して、日産自動車、ダイハツ工業、スズキ、ホンダをごぼう抜き、トヨタに次ぐ2位にまでなってしまったのだ。

「吉永社長は非常に運を持った社長で、ツキにツキまくっていると言っていいかもしれない」とはある業界関係者。

その端的な例と言えるのが、中国進出の件だ。富士重工は2000年後半から中国での現地生産を模索し、相手国政府に働きかけを行っていた。しかし、なかなか認可が下りずに吉永社長時代に入った。結局、その認可は下りなかったが、米国の販売が好調になり、重点を米国に置くことにした。

「もしあのときに認可が下りて、中国に工場を建てていたら、今頃大変なことになっていたかもしれない。その後の日中関係で、進出した日系メーカーはどこも苦労していますからね」と財務担当の高橋充取締役専務執行役員は打ち明ける。

その他、吉永社長時代になって、好転した事例がいくつかあり、その吉永社長を後継者に選んだ森郁夫前社長は最後に最高の仕事をやってのけたと言えるかもしれない。

■立ちはだかる不吉なジンクス

ただ、これまでの自動車業界の歴史を振り返ると、どの自動車メーカーにも絶好調な時期があった。例えば、長年再建に苦しんできた三菱自動車もそうだ。90年代初め、「RVブーム」に乗って300万円以上する「パジェロ」が飛ぶように売れた。しかも、多くの購入者がオプション用品をつけ、なかにはその金額だけで100万円を超える人もいたほどだ。当時の中村裕一社長は「2位の日産自動車の背中が見えてきた」と喜んでいた。

ところが95年に社長をダークホースで腹心の塚原董久氏に譲ると、それまでいい流れだったのが急に逆回転し始めてしまった。相次ぐ不祥事によって、会社が窮地に追い込まれ、いつ倒産してもおかしくない状況に陥った。

このように自動車業界は栄枯盛衰の激しい業界だ。しかも、富士重工の場合、あるジンクスとも闘わなければいけない。それは「立派な新本社ビルを建てると、会社が傾いていく」というものだ。これまで新本社ビルを建てた多くの企業がジンクス通りになっている。あのトヨタ自動車でさえ、新本社ビルを建設した数年後に、リーマンショックの影響で巨額の赤字を計上。社員の中には「もしかしたら」と思った人もいたそうだ。富士重工は昨年8月に東京・恵比寿に立派な新本社ビルを建設した。

いまのところ富士重工には死角のようなものは見当たらないが、「好事魔多し」という言葉もある。現在、中期経営計画「際立とう2020」を進めており、あらゆる面で際立とうというのが目標である。販売台数目標については計画を上回るスピードで推移しているが、販売店の対応やアフターサービス体制などまだまだ不十分で、"際立つ"ものとはほど遠い。

それは吉永社長も十分承知している。そのため、「蛻変」という言葉を使って、社員に奮起を促したわけである。「好調なときほど危険だ」とは昔からよくいわれている教訓だ。

(ジャーナリスト 山田清志=文)