何かと角界を騒がせ続けた横綱・朝青龍。だが、その最後の取組は実にあっけないものだった。平成22年初場所(両国国技館)の千秋楽。相手は同じ横綱・白鵬--。
 その2年前には、あわや乱闘かとのにらみ合いまで演じた因縁のライバルである。そのときの取組で朝青龍は引き落としで勝利した直後に、土俵に手をついた白鵬の頭を駄目押しの一突き。これに白鵬もすぐさま立ち上がると、憤怒の形相で肩からぶちかました。
 朝青龍の駄目押しについて当時、北の湖理事長は「勝負に徹してのこと」と擁護の姿勢を見せたが、世間的には「横綱としての品格を欠く」と朝青龍への非難が高まり、その後は“ヒールの朝青龍とベビーフェースの白鵬”という構図が確立されていく。
 他でも両者の間では「千秋楽相星対決」「優勝決定戦で勝った朝青龍がガッツポーズ」「立ち会いの変化で優勝決定戦に進出した朝青龍が、同じく変化で白鵬に敗れる」等々、時に物議を醸しながらも大相撲ファンの記憶に残る多くの闘いが繰り広げられてきた。

 その一方で、これは朝青龍の性格からくるものなのだろう、早々と優勝の行方が決まった場所では気の抜けたように敗れる場面も見られ、最後となった取組前の時点で朝青龍は白鵬に対し本割6連敗。それまでの横綱同士での連敗ワースト記録は男女ノ川が双葉山に喫した7連敗であった。
 朝青龍の場合、対白鵬連敗中にも優勝決定戦では2度の勝利を収めるなどさすがの勝負強さは見せていたし、ラストマッチの前日には既に日馬富士を下して優勝を決めていた。
 それでも負ければワーストタイ記録という不名誉を浴びることには違いないし、そのことはきっと本人の頭にもあっただろう。
 だがこの日、朝青龍はついぞ横綱の意地を見せることはなかった。
 「取組前の気合入れで“せいゃあ!”と一声発しながら左手でまわしの上から腹をたたき、腰を落として周囲をねめつける。そんな朝青龍おなじみの所作がこの日は見られませんでした。これは恐らく横綱になってから初めてのことでしょう」(スポーツ紙・大相撲担当記者)

 テレビ中継の解説者までがそんな朝青龍の“異変”を指摘し、どこか実況アナのテンションも低い中で時間いっぱいとなる。
 立ち合いではまず朝青龍が先に突っかかるも、息が合わずに仕切り直し。
 後から振り返ればこれも「朝青龍の気合が高ぶって先に立った」というものではなく「立ち合いに集中できず、息を合わせられなかった」というふうに受け取れる。
 二度目の立ち合いで行司の軍配が返る。当たり負けた朝青龍は下がりながら白鵬の内股に右脚を差し込もうとはするが、これも「内掛けで投げる」という攻めの姿勢からのものではなく、相手の突進をこらえるためでしかなかった。
 しかしそんな中途半端な動きでは、白鵬の突進を止めることなどかなうはずもない。脚を差し出し半身になった朝青龍を、白鵬はここぞとばかりに攻め立て、一気呵成に寄り倒した。
 「勝ちたかったけど、先に優勝を決めたから気持ちが乗らなかった。こんな経験は初めて」とは朝青龍の取組後の弁である。 そして、その“原因”はすぐに明らかとなった。千秋楽から4日後に発売された週刊誌で「同場所7日目の深夜、朝青龍が泥酔して暴行事件を起こした」ことが大々的に報じられたのだ。
 当初は「マネジャーへの暴行」とされたが、後にその相手が以前からの朝青龍の知人であり、また関東連合の系譜に連なる芸能スポーツ界にも広く人脈を持つ人物だと判明。そのため“裏事情”への憶測も広がったが、しかし全容が明らかになる前に双方で示談が成立する。
 朝青龍も事件について多くを語らないまま、横綱審議委員会からの「引退勧告」(これが出されたのは大相撲史上初のこと)を受け入れる形で引退を表明した。初場所優勝からわずか2週間足らず、2月4日のことであった。
 この引退によって相撲界は白鵬の一強時代に突入。無人の野を行くがごとく、優勝回数を積み重ねていくことになるのだった。