「用具係 入来祐作 〜僕には野球しかない〜」 打撃投手としての初日の感想―――“死ぬかと思った”―――

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戦力外通告――これは、プロスポーツ選手であれば、誰もが経験しうることだ。先月また、1人の男、しかも最多勝を取ったこともあるほどの投手が、戦力外通告を受けて現役生活に別れを告げた。

男の名は、藤井秀悟。2001年にヤクルトスワローズで最多勝を取り、チームの日本一にも貢献した選手だ。また、選手としてだけでなく自身の書くブログが話題になることも多い(最近だと、元極楽とんぼの山本が写っていて話題になった)。そんな彼らしく、ファンへの引退報告もブログで行い、多くの野球ファンの感動を誘った。

さて一部報道では、藤井氏は引退後、巨人の打撃投手になるのではないか言われている。
この打撃投手の仕事を簡単に言えば、「打撃練習をするバッターに対し、打ちやすいようにボールを投げる」仕事だ。これだけ聞くと簡単なように思える。ましてやプロでも活躍したレベルであれば、取るに取らないことではないか、と。

しかし、『用具係 入来祐作』という本を読むと「打撃投手は簡単」という考えが誤りであったと気づかされる。
入来祐作」とは、巨人にドラフト1位で入団し、2001年に13勝を上げるなど活躍を見せた選手(この年、終盤まで最多勝争いをしていたが、1勝の差で先述の藤井氏に敗れて最多勝を逃している)。その後、2008年に横浜ベイスターズ(現・DeNAベイスターズ)から戦力外通告を受け、打撃投手、用具係と裏方に従事し、来期からはソフトバンクホークスで3軍の投手コーチになることが決定している。

さて、そんな入来氏は、本文中で打撃投手としての初日の感想をこう表現している。

―――“死ぬかと思った”

現役時代、どちらかというとタフな印象であった入来氏がこう吐露するには、肉体面と精神面のそれぞれで理由がある。

まずは、肉体面。打撃投手はたった30分で150球以上を投げなければいけない。つまり、1試合を完投するくらいの球数を肩を休む間もなく投げなければならないのだ。これほど投げた後の疲労は“現役時代の投げ込みの疲労度などかわいいもの”と感じるほどであったらしい。

次に、精神面だ。これは、現役時代とは違う投球に対する意識が大きく影響する。当たり前のことだが、現役時代は打者にヒットを打たれてはいけない。つまり、打たれないためにはどうするべきかだけをひたすら考える。しかし打撃投手は、打者に気持ちよく打ってもらうために投げなければならない。この真逆の行為は、“精神的にとてもキツい”ものになる。

さらに文中では、打撃投手時代の相当な苦労が語られている。

入来氏は選手時代から、血行障害の後遺症に悩まされていた。その影響で、打撃投手を務めている際も相当な痛みが伴う。このような状況下で無理して投げていたために、とうとうイップス(心の病からくるもので、ほとんどストライクも投げられないような状態のこと)になってしまったのだ。

入来氏ほど名の知れた投手がここまで追い込まれてしまうほど、打撃投手は過酷なものなのである。

そんな追い込まれた状況での入来氏の姿には、教訓になるものがあった。入来氏は、ボールを投げられないのなら、ということで、道具の片付けや球拾いなどの雑用を几帳面に的確にこなしたのである。思うようにいかない状況で、小さなことでも正確に行ない続けるのは、とても難しいことだ。だが、それを確実にこなした入来氏だからこそ、打撃投手から用具係、さらには別チームに投手コーチとして引き抜かれるまでの高い評価を受けたのではないだろうか。

さて、先述通り、藤井氏も打撃投手になるのではと報道されていたが、過去に何度か肘の故障を経験していることもあり、必ずしも簡単な道ではないだろう。
しかし、最多勝を獲得したほどの経験と、入来氏のような実直な姿勢を持ち合わせることが出来れば、必ず打撃投手としても(また、それ以外の仕事であっても、第二の野球人生が)上手くいくと信じている。

藤井氏が今後どんな道を選ぶにしろ、まずは現役生活、お疲れさまでした。
(さのゆう)