第1回12球団合同トライアウトが11月9日、静岡・草薙球場で開催された。プロ野球への生き残りを懸け、必死にアピールする選手の姿を、今年も5000人のファンが見守り、多くのテレビカメラが追った。

 参加者は投手34人、野手25人の計59人。参加者は当日になってみないとはっきりせず、出場が予想されていた吉川大幾(2010年、中日ドラフト2位)や藤江均(2008年、横浜ドラフト2位)の名は、今回のリストには載っていなかった。

 リストの中でまず目を引いたのは、弱冠20歳の若さでDeNAを戦力外となった北方悠誠だった。佐賀・唐津商業から2011年ドラフトで1位指名を受けて入団しながら、北方はわずか3年で居場所を失うことになった。

「自分の中では外れの外れで指名された1位ですから、ドラ1のプライドみたいなのはなかったし、3位入団ぐらいの気持ちでやってきました」

 将来性を買われて入団し、昨年オフに派遣された台湾のウインターリーグで158キロをマークして、今季は中畑清監督からクローザー候補と期待されていた。それでも戦力外通告を受けたのは、制球難が理由だった。今季途中にはサイドスローにするなど、試行錯誤を繰り返しながら、結局、元のオーバーハンドに戻す混迷の1年だった。

「どんなふうに投げたら、元に戻れるのか......。どうやったら、新しい自分を見つけられるのか......。僕、イップス(※)なんですよ。思ったところに投げられない。ボールが指にかからなくなって、リリースポイントがわからなくなった。メンタル的な問題があったのかなと思います」
※精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、思い通りのプレイができなくなる運動障害

 フォームに悩む間に横浜にあるイップス研究所に通って原因を探し、通告を受けてからトライアウトまでの時間は、あえて硬式球を手にせず、水泳を行なったり、重たいボールを投げ込んだりしていた。

「投げることで悩んできた。それならこれまでやっていなかったことをやって、違う感覚を養った方がいいのかなって」

 打者4人とカウント1−1から対戦するトライアウトでは、やはり制球難が顔をのぞかせ、ふたつの四球を与えてしまう。復活をアピールできたとは言い難い結果だった。

「いい勉強ができた1年間だった。新天地のオファーがあるなら、自分ができることを精一杯やりたい」

 このオフに大量解雇を断行したDeNAの選手で、トライアウトに参加した中には37歳のベテラン、藤井秀悟の名もあった。愛媛・今治西高から早稲田大に進学した彼は、1999年ドラフト2位(逆指名)でヤクルトに入団し、2008年にはトレードで北海道日本ハムに移籍。2010年からは巨人、そして2012年からDeNAと渡り歩き、通算83勝を挙げた。藤井にはまず、高卒3年目の選手が戦力外となることについて訊ねた。

「ベテランとして、高卒で入った子はもっともっとチャンスがあればいいのになと思いますし、若手のチャンスをつまないように育ててあげて欲しいなという気持ちがある。育成枠の制度も意味合いが大きく変わってきている。ケガのリハビリで育成契約を結ぶケースも増えていますが、ケガの選手にとってはチャンスがつながることではあるけれど、もともと育成で入った選手にしてみれば、それだけチャンスが減ることになる。難しい問題ですね」

 藤井自身は2013年シーズン終盤に左ヒジの違和感で降板して以来、一軍マウンドに立つことがないまま、このオフに戦力外通告を受けた。

「左ヒジに問題はありません。このトライアウトは、自分が『まだ投げられますよ』ということを証明し、不安要素を取り払ってもらうチャンスと思っていました。一軍で投げていない間は、何を言っても、ヒジが悪いんじゃないかと思われてしまいますから」

 藤井のトライアウトは変化球主体のピッチングで、ふたつの四球と、ふたつのゴロアウトに終わった。

「可能性がある限り、チャレンジしていきます」

 藤井の直前にマウンドに上がったのが、同じ37歳の江尻慎太郎だ。仙台第二高校を卒業後、2年間の浪人生活を経て早稲田大に進学した苦労人で、大学野球部の2年先輩が藤井だった。江尻は2001年のドラフトで日本ハムに自由獲得枠で入団。2010年にトレードでDeNAに移籍し、今年はソフトバンクに所属していた。その江尻は、奇しくもDeNAの藤井と同じ「00」の背番号を背負ってきた。

 江尻のトライアウトはMAX145キロのストレートで押す投球で、一本のヒットも許さなかった。終了後は晴れやかな表情で、トライアウトを振り返った。

「藤井にいい形でバトンを渡せて良かった。38歳の変化球投手なんて、誰も興味ないでしょう(笑)。(ソフトバンクの日本一も)二軍で自分の役割が果たせたことで、少しは貢献できたという思いはあります。NPB(日本野球機構)の球団から声をかけてもらえたら」

 2005年に希望枠で北海道日本ハムに入団し、1年目に12勝を挙げて新人王に輝いたのが八木智哉だ。2013年に糸井嘉男とともにオリックスにトレードされた。しかし、移籍後1勝も挙げられないまま、戦力外となった。

 無安打に抑えたトライアウト後、報道陣に簡単にコメントを残すと、ゆっくりとロッカールームへ歩いていった。

「いやー、良かったっしょ? スライダーと真っ直ぐしか投げていないけど、左右の打者に、いい高さに投げられた。あとはオファーを待つだけっすね。野球がやれるならどこへでも行きます」

 今季からヤクルトに所属していた真田裕貴も、2001年にドラフト1位で球界に身を投じた選手だ。2008年まで巨人に在籍したあと、横浜にトレードで出され、2011年オフにはメジャーへのポスティング移籍を目指した。その際、米国でトライアウトを受験したが入札に参加するメジャー球団はなく、2012年シーズンは古巣の巨人に復帰(その年のオフに戦力外に)。翌年は台湾の兄弟にテスト入団し、リーグ新記録となる32ホールドの活躍をみせ、「中継王」のタイトルも獲得した。

 今季はヤクルトに所属したが、またしても1年で退団する憂き目に遭う。

「プロ入りして13年、シュートボールで飯食ってきましたから、トライアウトでもシュートを多投しながら、しっかりゴロを打たせるようにイメージして投げていました」

 ヒット性の当たりは1本。右打者へのシュートを有効に使っていた。

「独特の雰囲気、独特の緊張感がトライアウトにはある。カウント1−1から限られた打者との対戦でアピールするのは難しいですが、結果を残せたので納得しています」

 例年、国内外の球団首脳陣やスカウトが集結するものの、この舞台から契約に結びつくケースは極めてまれだ。それでも選手は一縷(いちる)の望みを託し、トライアウトに参加する。

 その一方で、この場にはプロ野球選手の引退後の活動を支援する団体の関係者、野球用具メーカーの関係者たちも足を運び、プレイを終えた選手に声をかけている。

 トライアウトは、戦力外となった選手たちが現役生活に区切りを付け、セカンドキャリアに向け第一歩を踏み出すケジメの舞台でもあるのだ。

柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji