母親との確執を明かした土屋アンナ

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土屋アンナが、19歳の時に妊娠を告げて母親から祝福されなかったことから、今も心のわだかまりがあることを明かした。テレビ番組『バナナマンの決断は金曜日!』では、その母娘が水入らずで過ごして本音を出し合うことになり、土屋アンナが正統派モデルからパンク風ファッションや言動へと変貌した理由も語られた。果たして、母親との確執は解けるのだろうか。

10代から雑誌『Seventeen』の専属モデルやロックバンドのボーカルとして活躍していた土屋アンナは、2004年に映画『下妻物語』で女優デビューを果たす。その映画の撮影が終わった頃に、19歳で妊娠した。10月17日に放送された『バナナマンの決断は金曜日!』(フジテレビ系)で、彼女はその時の気持ちを「やったー! おしっ、妊娠したっ! ベイビーちゃん!」と再現して見せた。

だが、その妊娠を所属事務所の社長でもある母・眞弓さんに告白するには勇気がいったようだ。「怒られる」と思い何度も話そうとして、タイミングを逃す。やがて意を決して妊娠を告げると、母は喜ぶどころか「仕事もあるのにどうしようと思ってんの?」と詰め寄った。「やるもん!」、「無理よ、無理!」と毎日のように言い合った。眞弓さんは「喜びたいのに喜べないというのが素直な気持ちだった」、「『仕事を辞めなさい』とも口にした」と当時を振り返っている。

その後、土屋アンナはお腹の赤ちゃんの父親であるモデルのジョシュアと結婚して澄海(スカイ)くんを出産。しかし、2年で離婚する。その3年後にスタイリストの男性とできちゃった婚すると、2010年に心羽(シンバ)くんが産まれる。母親からは「籍を入れない方がいいのでは…」とも言われたが、アンナは「事実、ここにいるのは私の子、2人であって…」と自分の意思を貫いて再び衝突した。

今では子どもも9歳と4歳になった。土屋アンナはどんなに帰宅が遅くなっても、朝は6時に起きて子どもたちの朝ごはんとお弁当を必ず作る。夜は食事の準備ができなければ外食することもあるが、たとえば焼肉を炭火で焼く時も子どもに焼かせる。「やらせてあげるよ。手があたる時もあるけど、熱いって自分で分かんないとダメじゃん」との理由からだ。

また、ある日のライブのリハーサル中には「下の子どもは公園に行って、遊んでる。上の子はお母さんと後から見に来ると思う」というように、子どもたちに考えて選ばせる方針だ。妊娠した時には衝突した母親も、今では娘が子育てしながら仕事ができるように全面的にサポートしてくれる。ただ、土屋アンナは10年前に妊娠を知った母が祝福してくれなかったことが今でも心のどこかでくすぶっている。

その母と娘が約10年ぶりに2人きりで祖父が造った別荘に行き、食事をしながら語り合った。シャンパンで乾杯してお酒も入ったところで、母・眞弓さんが「私は小さい時、歌手になりたかったの」と意外な事実を明かす。しかし、厳格な両親はテレビに出ることを許してくれず、その夢は叶わなかった。さらに眞弓さんは、「自分ができなかったことを自分が産んだ娘がやる。となると、私は疑似体験をする。それは素晴らしいこと」と語った。土屋アンナが歌手として活躍することが母親の喜びなのだ。

しかし母は、10代で正統派モデルとして道を歩み始めた娘が途中からパンク風に変貌したことについて、「豹変する理由が全く理解できなかった。私には反発としか見えなかった」と言う。それに対して娘・土屋アンナは、「なぜやったかというと、私はキレイな服を着て見た目から超イイ人って言われたくない。逆に自分の激しい格好を『イイ奴』って言ってくれる奴がいて、その方が友だちを見つけやすいから」と身を守るための“自分の鎧”だったことを説明した。

娘から意外な本音を聞いた母は、「私は、自分の大事な娘を何で他人の手で変えられてしまうのかな、という怒りがあった。その怒りをぶつけるところをアンナに向けちゃったのかな…」とこぼす。さらに、その娘から10年前に妊娠した時に「あの瞬間、なんで“イエス”って言わなかったのか、その気持ちが欲しい」と言われて、ついに本心を語った。

「世間体を気にしない人間だったのに…この仕事をやっていることによって、世間体を気にした瞬間があった。『良かったね』と言いたかったのに、言わせてもらえない。娘たちのせいにしちゃってる自分に腹が立ったり…、自分にムカつきました」と胸のうちを全て曝け出した母に、土屋アンナは「良い言葉だね…」と笑顔で返した。こうして10年間に及んだ母娘の確執は氷解することとなった。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)