立花 隆氏

写真拡大

Q. 著書『立花隆の書棚』を開くと、写真家・薈田純一さんが立花さんのすべての書棚をレーザー墨出し器を用いて精密に撮影した写真によって、立花さんの20万冊の蔵書をそのままに見ることができます。その桁違いの量には圧倒されますが、これだけ多岐にわたる分野の書籍を読み込むには、例えば一つのジャンルの書籍を初級から上級へと段階的に読んでいくといったシステマチックな方法論があるのでしょうか?

A. 私は、「読書論一般」というものは成り立たない、と思っています。

人は皆、子供の頃からの知的経験を積み重ねて現在に至るわけですが、その知的経験というものは、当然個人差を伴います。ですから、読書論が成り立つのだとすれば、それは「その人にとっての読書論」でしかないということです。

私の場合は、システマチックに知識や情報を積み上げていくという読書はあまりしません。というのも、そもそも「自分がどんな情報を欲しているのか」ということ自体が、自分の頭の中で明確に整理されていないことのほうが普通だからです。

自己啓発の第一歩とは、自分が一体どういう人間で、自分のニーズとは何なのか、それを正しく知ることなのですが、この点に気づいている人はあまり多くないですし、それを知ることは、実はそうなかなか簡単なことではないんですね。

ただ、一ついい方法があります。それは巨大書店に行くことです。私が勧めるのは、まずは1時間くらいかけて売り場全体を歩き回り、その後望むべくはすべての売り場を選り好みすることなく見て回る、ということです。そうすれば、何か気になる本が必ずあるはずだから、少なくとも1冊、できれば3冊買ってみることです。

私は数年前まで立教大学で教えていましたが、学生には新年度の初めにまずこうした指示を出し、その3冊を選んで実際に買おうと決心するに至るまでのプロセスをリポートするという課題を与えていました。学生たちはちゃんとこの課題に取り組みました。なかには、自分の3冊にたどり着くまでに「あのフロアであんな本に出合い、次にこのフロアでこんな本に迷って……」などと、地図入りの力作リポートを仕上げてくる学生もいて、こちらも教えながらずいぶん楽しめました。

Q. 迷うというプロセスを経ながら、自分はいかなる人間なのかに気づいていくということですね。

A. 人間にとって基本となるのは、自分の好奇心です。好奇心こそがいちばん大切なんです。だから、自身の好奇心を意識するために、“アンテナ”を立てて書店の売り場を歩いてみる。そうしてみて、もし何か引っかかってくるものがあるならば、それが自身の好奇心の核となるものだと明確に意識することができるわけです。

若い人は一度、こういうことを自身に課してみるのもいいんじゃないでしょうか。もちろん30代や40代でも大丈夫です(笑)。興味を引いた本があれば、買って読んでみることが大切です。

買う本は、高い本でなくても文庫や新書でいいんです。いま新書は質量ともに豊富ですから、新書と文庫だけに限定しても、ほとんどありとあらゆるジャンルについて刊行されており、なおかつそれぞれ結構面白い。だからいま、手っ取り早くある領域についての知識を身につけようと思ったら、新書、文庫は最適のツールです。

Q. そうした立花さんの半世紀以上にわたる本との格闘が、この書棚一つひとつに詰まっているというわけですね。いまは電子書籍などの新しいメディアも少しずつ増えていますが、これからこうした「知の世界」の形態はどんなふうに進化していくのでしょうか。

A. いま、東京大学本郷キャンパスでは、200万冊の蔵書をただ電子書籍化するのではなく、すべてを電子的に可視化して、まるでリアルな本と同じように扱えるようにする「新図書館プロジェクト」が進められています。いわばバーチャルとリアルのハイブリッド環境という「バーチャルリアリティ図書館」の構築が、約75億円の予算を投じて現実のものになりつつあります。映画『ディスクロージャー』でも、これと同じ世界が描かれていますので、興味のある方はぜひご覧になるといいと思います。

Windows95が登場した1995年、私が東大の先端研(先端科学技術研究センター)に所属していた頃、ちょうど日本バーチャルリアリティ学会が設立されたのですが、当時「将来構想」とされていたあらゆる情報の可視化が、まさに実現されようとしています。

図書館が変わり、知的世界のあり方が根本的に変わろうとしている現在、こういった新たなシステムをどれだけ自家薬籠中のものとして使いこなす人間になりうるかどうか、それがビジネスの世界においても今後問われていくことになると思います。

バーチャルリアリティ環境に関する技術は、日本では民生用ですが、アメリカでは完全に軍事技術です。事実、イラクやアフガニスタンで展開中の対テロ戦争遂行のため、ビン・ラディン殺害作戦などでも活躍した無人攻撃機プレデターを衛星回線を使って遠隔操縦し、敵の偵察や攻撃作戦を行う際にこの技術は不可欠になっています。

そして、これらの技術開発をすすめるアメリカや中国などは、その成果を軍事面だけでなく、ビジネスの世界にも早晩導入してくるでしょう。日本も、その土俵の上で戦わざるをえなくなります。

もちろん日本の科学技術の水準は、決して低いわけではありません。例えば、欧米に比べ専門的な人材の厚みに欠けるとされる金融工学の世界にしても、実はその理論的基礎となっているのは、日本人数学者の伊藤清による「伊藤積分」なんです。しかし、そんな事実も、日本人一般の関心が低いために広く知られていません。そのため、本来優秀な日本の研究者たちに孤独で苦しい戦いを強いることになっています。

日本で最先端の研究とその成果が国民的に共有されているのは、iPS細胞の山中伸弥教授のケースくらいでしょう。そうした社会からの幅広い承認が、研究者を元気にさせ、より有益な成果をもたらすことになるのですが。

Q. 立花さんのように、進化していく知の世界に関心を持ち続け、知識を自分の血肉にしていくにはどうすればいいでしょうか?

A. それは自身の好奇心にかかっています。好奇心の琴線に触れないものは、その人の脳みそにも、腹の中にも入ってはいかない。つまり、より深いレベルで知りたい、調べてみようというモチベーションは湧いてきません。逆に、その対象が好奇心のもっとも深い部分で琴線に触れるものなら、その人は何も言われずとも、自発的に行動を起こすでしょう。ですから、好奇心を広げることが最も肝要ということになります。好奇心を広げ、自身の知の世界を掘り下げていくには、やはり、1冊でも多く本を読むことに尽きるのではないでしょうか。

本書では、私の蔵書について、その本を読んだ頃、何を考え、何に悩み、何を喜びとしていたのか、その記憶とともに語っています。私の思索の歴史が皆さんの好奇心を広げ深めていくアンテナとして役立てばと思っています。

----------

立花 隆(たちばな・たかし)
1940年、長崎県生まれ。64年東京大学文学部仏文科卒業後、文藝春秋社入社。66年に退社し、67年東京大学哲学科に学士入学。その後、ジャーナリストとして活躍。83年、「徹底した取材と卓越した分析力により幅広いニュージャーナリズムを確立した」として、第31回菊池寛賞受賞。98年、第1回司馬遼太郎賞受賞。著書『田中角栄研究全記録』『日本共産党の研究』『農協』『サル学の現在』『宇宙からの帰還』『青春漂流』『脳死』『天皇と東大』『小林・益川理論の証明』『二十歳の君へ』ほか多数。

----------

(立花 隆 構成=松見 朔 撮影=北澤甲斐)