日本以外では、アジア・アフリカなどの国の国歌はほとんど例外なく、西洋風の音楽だ。国のシンボルとしての価値は別にして、純粋に音楽的にみれば、西洋音楽の手法を使いこなしていない場合ある。独立や革命期など、近代国家としての黎明期の作品が多いことが原因と考えられる。

 具体的には、使用音が単調な場合がある。西洋音楽では旋律及び和音をトニック(T)、ドミナント(D)、サブドミナント(S)に分類するが、アジアなどの音楽には「S」の用法がなかったため、西洋音楽を導入した初期の作品では「S」を使いこなせていない曲がみられる。

 日本では明治初期から多くの作曲家が、日本風のメロディーに西洋風の和音のT、D、Sをバランスよく加える技法を研究した。山田耕作に至り、日本人は西洋音楽の手法を完全に自らのものにしたと言える。現在では、流行音楽である演歌、歌謡曲、さらにJ-POPSに至るまで、日本の音楽創造は明治時代からの先人の恩恵を大きく受けている。音楽文化の形成において日本人は、雅楽の導入期にも近代以降も、「外来のすばらしいものは尊敬して取り入れ、自分たちが努力して研究した成果を付けくわえていく」というパターンを実践している。(編集担当:如月隼人)