『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第40回

2012年の日本ダービーを制したディープブリランテ。通常、ダービー馬となれば、その後は休養に入って秋に備える。しかし同馬は、大胆にも海外のGI出走を果たした。ダービー制覇に沸いていた生産牧場であるパカパカファームのスタッフたちは、その挑戦を心配そうに見守っていた――。

 ディープブリランテがダービー馬となって、一躍脚光を浴びたパカパカファーム。レースから約1カ月半後の7月中旬になっても、生産馬のダービー制覇による喧騒が続いていた。牧場には連日、馬を見に来るバイヤーやメディアがひっきりなしに訪れていた。代表のハリー・スウィーニィ氏は、その対応に追われていたという。

「夏場はセールの準備などがあって、いろいろと忙しいシーズン。ですから、この頃はかなり大変でしたよ。昼間はバイヤーの方々の相手をしなければいけませんから、メディアの方には『仕事があるから、取材は午後7時以降でお願いしたい』と言ったこともありました(笑)。でも、それだけ注目されるようになったのは、とてもうれしかったですね」

 そんな中、ダービーを制したディープブリランテは、早くも次のレースに向けて動き出していた。その目標は、異例とも言える大胆なものだった。なんと、7月21日に行なわれるイギリスのGI、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(イギリス・アスコット競馬場・芝2400m)への参戦である。

 日本の競馬ファンから「キングジョージ」の愛称で親しまれるこのレースは、中長距離路線における"上半期の総決算"。10月の凱旋門賞と双壁をなす、ヨーロッパ最高峰のGIであり、そこには世界の強豪が集結する。ディープブリランテは、この舞台に立つことが決まったのだ。

 ダービーを勝ったばかりの3歳馬による、異例の挑戦。スウィーニィ氏は、「正直なところ、この臨戦過程については疑問を感じていました」と、当時を振り返る。

「チャレンジすることは大切ですが、この挑戦はちょっと厳しい気がしましたね。ダービーではうまく折り合えたものの、ヨーロッパのレースは、日本と比べ物にならないほどスローペースです。その中で、ブリランテが周囲のペースに合わせて折り合えるイメージがわきませんでした。ですから、キングジョージに挑むことを聞いたときはビックリしましたし、『さすがにノーチャンスかな』と感じました」

 アスコット競馬場は、コースの高低差が約20mもあるヨーロッパ屈指のタフなコース。また、芝も日本より深く重い。つまり、ダービーとはケタ違いのスタミナが必要であり、折り合いを欠いて体力をロスすることは命取りになる。だからこそスウィーニィ氏は、ディープブリランテを管理する矢作芳人調教師に、「私は反対です」と主張したという。

 アイルランドから日本に渡り、牧場を開いたスウィーニィ氏。その異国の地で生まれたダービー馬が、昔から馴染みのあるヨーロッパのGIに出走する。それはまさに夢のような話だが、そのときの彼は、そんな感慨に浸ることはなかったそうだ。

 ともあれ、スウィーニィ氏がディープブリランテのローテーションを決めるわけではない。同馬は予定どおり、キングジョージの出走馬に名を連ねた。スウィーニィ氏も「出るからには、もちろん全力で応援しました」というが、待っていた結果は、やはり厳しいものとなった。

 まずまずのスタートを切ったディープブリランテ。出足もリラックスしていたが、前に馬を置く形をなかなか作れずにいると、徐々にエキサイトし始めたのだ。レース中盤では完全にかかってしまい、懸命になだめる鞍上の岩田康誠騎手の制御もきかなかった。その消耗が激しく、直線に向くと次第に後退。見せ場を作ることさえできず、8着に敗れた。

 デビュー以来、すべてのレースで3着以内をキープしてきたダービー馬。キングジョージは、生まれて初めて大敗を喫した舞台となった。

 レースを終えたディープブリランテは、翌週には日本へ帰国。休養に入って、秋のビッグレースで復帰する運びとなった。このとき、復帰戦のターゲットとして浮上したGIはふたつ。同世代の三冠クラシック最終戦となる菊花賞(京都・芝3000m)と、古馬と対決して現役最強馬を争う天皇賞・秋(東京・芝2000m)である。

「私は、菊花賞ではなく天皇賞・秋を選んでほしいと願っていました。3000mという長丁場は、やはりブリランテには合わないと思いましたから。キングジョージのときと同様で、ゆったりとしたペースの中でリラックスするのは難しく、きっとスタミナを消耗してしまうはずです」

 スウィーニィ氏は、距離の面から、天皇賞・秋に進むことを望んでいた。その場合は、年上である古馬と戦うことになるが、ディープブリランテなら十分に通用すると見ていた。だが、陣営は菊花賞を選択。三冠最後の舞台へと向かうことになった。

 そして、菊花賞を4日後に控えた10月17日。最終追い切りで、ディープブリランテは素晴らしい動きを披露した。体調面の不安は何もないように思われた。だが、その翌朝、右前脚に脚部不安を発生。診察の結果、競走馬の「不治の病」と呼ばれている屈腱炎(くっけんえん/脚部、主に前肢に発生する病。完治しにくい病気で、再発しやすい)が判明した。

 一時は復帰を目指して休養に入ることも検討されたが、陣営は最終的に引退を決断。10月26日付で競走馬登録が抹消され、ディープブリランテの競走生活は幕を閉じた。

 ディープブリランテの突然の引退に、スウィーニィ氏も「とても残念でした」と肩を落とした。それでも、同馬は社台スタリオンステーションで種牡馬となり、第二の人生を歩むこととなった。次回は、種牡馬としてのディープブリランテの可能性を追っていく。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

河合力●文 text by Kawai Chikara