『さよなら、アルマ〜赤紙をもらった犬〜』DVD
「花子とアン」に先立ち、犬と戦争の関係を描いたNHKドラマ。2010年放送。獣医志望の学生・朝比奈太一(勝地涼)が、ひょんなことから飼うことになった「アルマ」という犬を軍用犬に育て上げ、戦地である大陸へと送り出す。しかし元の飼い主である健太少年(加藤清史郎)の気持ちを汲んで、太一自ら大陸に渡り、アルマを連れ戻そうとするのだが――。
主演の勝地のほか斎藤工、小栗旬、玉山鉄二、小泉孝太郎、池内博之などいまをときめくイケメンたちが多数出演。連続テレビ小説「花子とアン」でヒロイン・村岡花子の義父を演じた中原丈雄も、実在の満映理事・甘粕正彦をモデルにした人物を演じている。なお玉山は、連続テレビ小説の次作「マッサン」(9月29日放送開始予定)で主演する。

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NHKの連続テレビ小説「花子とアン」の昨日(8月28日)放送の第130回で、ヒロイン・村岡花子(吉高由里子)の家で飼っていた柴犬が軍用犬にするため供出される場面があった。時代設定は1938(昭和13)年、日中戦争が始まって2年目のことだ。

戦時体制下にあって、一般家庭で番犬や愛玩用として飼われていた多くの犬たちが供出されたというのは事実である。ただ、関連書をいくつか読んでいると、それはドラマでの設定よりもう少しあとの時期のことらしい。日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に突入しようかという1940年頃から、軍用犬以外の犬や猫は不要との声が上がり始める。配給される食糧が人々に満足に行き渡らなくなってきた頃の話だ。人間がろくに食べていないのに、犬猫を飼うなどぜいたくだというわけである。

その声は戦争の拡大にともない強まる一方だった。飼い犬にかかる税金(畜犬税)は上がり、警視庁は精肉店での犬の肉の取り扱いを認めた。米軍による本土空襲が始まり、敗戦色が濃くなった1944年には、軍需省と厚生省が野犬狩りとあわせて飼い犬の供出を徹底するよう通牒を出したこともあり、国民的規模で供出運動が行なわれるようになる。……と、こうして見ていくと、「花子とアン」での先述のエピソードは、史実にしたがえば少し登場が早すぎたかもしれない。

もう一点、ドラマと史実との違いをあげるなら、飼い犬の供出は軍用犬にするためではなかった。その名目には、軍需用の毛皮の確保や、狂犬病への対策、あるいは空襲時に犬が逃げ出して人間に危害を加えないようにすることなどがあげられた。いずれにせよ供出された犬は、処分されることが最初から決まっていたのだ。供出対象は、軍用犬・警察犬・猟犬など特別に許可された犬をのぞく、すべての犬に及んだ。

太平洋戦争末期の神奈川県では、供出に際して、せめてものお礼にと犬一頭につき牛、豚どちらでも百匁(375グラム)の肉を交付したという。当時すでに一般家庭では肉など手に入らなくなっていた。飼い主のなかには、犬を渡して肉の配給券を受け取ると、自分が帰って来るまでここにつないでおいてくださいと係りの人間に頼んで、大急ぎで肉を買って戻り、犬に食べさせようとした者もいたようだ。しかし、肉を鼻先に出されても、犬は予感がするのか一切口をつけず、結局その飼い主は犬の首へ肉の包みを結わえて帰って行ったという(今川勲『犬の現代史』)。

NHKラジオ「コドモの時間」と軍用犬の意外な関係
戦場において、犬は主として警戒(警備・歩哨・斥候・捜索)や伝令(通信・連絡)を担った。このように軍事利用される犬を軍用犬といい、そのなかでも軍部が所管し部隊に配属された犬を軍犬と呼んだ。

日本人による軍犬の組織的な利用は、1928年、中国東北部を本拠地とした国策会社・南満州鉄道(満鉄)が、撫順炭鉱から掘り出した石炭の盗難を防ぐため警備犬として使用したのが最初だとされる。その後、1931年の満州事変を経て、翌32年には関東軍(中国東北部に駐屯した日本の陸軍部隊)の軍犬育成所が開設され、満鉄線路の防衛などにも使用されるようになった。関東軍の軍犬育成所の様子は、2010年にNHKスペシャルで放映されたドラマ「さよなら、アルマ〜赤紙をもらった犬〜」(水野宗徳原作)でも描かれていた。

軍用犬の活躍が美談として頻繁に日本国内に伝えられるようになったのも、満州事変以降のことだ。そこには、日本の軍事行動に対し国民の支持を得るべく、政府当局が力を入れたところも大きい。そのターゲットには子供も含まれる。満州事変で戦死した軍犬のように、報道されるだけでなく、教科書にとりあげられた犬もいた。

また、NHKは1932年6月に子供向けのニュース番組をつくる請願を逓信省あてに提出したとき、軍用犬の活躍を「とくに子供に対して興味を有するニュース」の筆頭にあげたという(アーロン・スキャブランド『犬の帝国』)。じつはこの番組こそ、村岡花子が担当した「コドモの新聞」だった。ひょっとすると「花子とアン」の脚本の中園ミホは、NHKの社史にも書かれているこの事実を念頭に、先の犬のエピソードをドラマに盛り込んだのだろうか。

■犬と家族を引き離した“社会の同調圧力”
近年のドラマで戦争と犬のかかわりをとりあげたものには、前出の「さよなら、アルマ」と「犬の消えた日」(日本テレビ、2011年。井上こみち原作)があげられる。「さよなら、アルマ」は戦場に行った軍犬の話であり、児童小説を原作とした「犬の消えた日」には軍犬として出征した飼い犬と、供出を命じられた飼い犬が登場した。いずれのドラマでも軍犬はシェパード種の犬が演じている。シェパードは、戦前の日本で軍用犬としてよく用いられた犬種だ。

一般家庭の飼い犬のなかにも軍用犬になる犬がいたが、そのためには普段より訓練を受け、「軍犬候補」の資格を得る必要があった。やはり「さよなら、アルマ」で描かれていたように、資格認定にあたっては、伏臥、持来(ボールやおもちゃをくわえてもってくるなどの作業に喜んではげむこと)、捜索、障害物飛越などの基本訓練を修得し、試験に合格しなければならない。

注意したいのは、この資格を認定するのが国ではなく、「社団法人帝国軍用犬協会」という陸軍の後援する一民間団体にすぎなかったという事実だ。軍馬の場合、軍が民間から徴発(強制的な取り立て)するという制度があった。しかし軍犬にはそうした制度はなく、民間から購買や献納で獲得した犬を部隊とともに「出征」させるか、または軍犬育成所で繁殖させるかして戦場に送った。国の事業として行なうには財政的に難しいというのが、その理由だったとはいえ、《国家の力の入れ方という点で軍犬と軍馬では大きな差があったといえよう》と森田敏彦『犬たちも戦争にいった』は指摘する。

戦争末期の犬の供出についても、国が押し付けたというよりも、むしろ食糧確保などを求める国民の強い声が、それを決定づけたような気がしてならない。事実、国の通牒があったとはいえ、実際に犬の供出を推進したのはむしろ町会や隣組といった、地域住民による組織だった。日頃親しくしている隣りのおじちゃんやおばちゃんが、自分たち家族の大切にしていた犬を「お国のために差し出せ」と強く迫る。上からの押しつけも怖いが、地域社会における同調圧力には、下手に拒めばその場に住みづらくなったりする懸念があるだけに、よけい恐ろしく感じられる。

椋鳩十が鹿児島で教員をしていた頃の体験をもとにした児童小説『マヤの一生』でも、終盤、飼い犬・マヤの供出を最後まで拒み続ける主人公一家が、町の人たちから憎しみを買うようになる。すでに飼い犬を殺された人たちも例外ではない。なかには《こちらは、じっとがまんして、犬を出してしまったのに、あんたはまだ、理屈をこねまわして、犬を出さないそうですなあ》と、作者の分身たる主人公に面と向かって言う人もいた。

「花子とアン」でも、こうした同調圧力に花子たちが屈する形で犬が家からいなくなった。ただ、その展開がちょっと速すぎる気がした。今回の犬にまつわるエピソードで、時代考証以上に私が気になったのはその点だ。何しろ、村岡家に来た柴犬は「テル」と名づけられてから、視聴者が感情移入する間もなく、翌日放送の回で(劇中では前回より5年が経過していたとはいえ)あっさり連れて行かれてしまったのだ。率直にいえば、花子の養女・美里と犬の関係をもう少し細かく描いてほしかったところではある。

とはいえ、「花子とアン」は最終回まであと1カ月を切った。犬の供出はあくまで一挿話であり、その最大の見せ場は、戦時下にあって花子が発表のあてもなく『赤毛のアン』の翻訳を続けるところにあるはずだ。前半でたびたび先取りして描かれた東京大空襲の場面は、終盤、どのようにとりあげられるのだろうか。私の期待するところも、やはりそこにある。
(近藤正高)

【2014年9月1日追記】
本記事掲載後、「花子とアン」で描かれた飼い犬の供出の話は、ドラマの原案である『アンのゆりかご』(村岡恵理著)にも出てくる実話であるとのご指摘を何人かの方からいただきました。確認したところ、たしかに同書の新潮文庫版の254〜258ページに、花子の家で飼われていた犬の「テル」が1938年春に供出されたとの記述があります。また、犬の供出後の「コドモの新聞」の放送において、花子が軍用犬の活躍を伝えるニュースのなかで、原稿には名前のなかった犬を「テル」と読んだという話も出てきました。ドラマではこのあたりをほぼそのとおり踏襲していたのですね。

記事執筆にあたり、参照すべきドラマの原案にあたらなかったのは迂闊でした。反省するとともに、ドラマの脚本執筆について事実誤認があったことを、お詫び申し上げるしだいです。ただ、『アンのゆりかご』とほかの専門書の記述とを照らし合わせると、犬の供出の開始時期について、さらに疑問が深まったというのも正直なところです。全国的に犬の供出が行なわれるようになったのは太平洋戦争末期で間違いないはずですが、『アンのゆりかご』に書かれているとおり日中戦争勃発からまもなくして始まっていた地域もあったのでしょうか。いずれにせよ、訓練を受けていたわけでもない「テル」が、供出後に軍用犬にはならなかったことは残念ながらたしかだと思われます。