おのれの生きざまを歌に託すアーティストは、ケンカにおいても負けることは許されない。魂を揺さぶるような勝負の行方はどっちだ!

〈大学出たって馬鹿だから〉

〈儲かる話とクスリにゃ目が無い〉

〈ドラマの主役にゃ燃えている〉

 やつぎばやに繰り出すのは、桑田佳祐(58)が94年に発表した「すべての歌に懺悔しな!!」のフレーズ。この歌詞の多くが長渕剛(57)を揶揄したのではないかと騒動になり、ついには長渕自身が宣言した。

「俺は桑田を絶対に許さない!」

 長渕は雑誌のインタビューで、かつてサザンオールスターズのライブで勝手に前座をやらされたことまで持ち出し、徹底抗戦の構え。

 音楽評論家の富澤一誠氏は当時の状況を解説する。

「本来はプロデューサーが行きすぎた歌詞を抑えるべきだった。実際、長渕の事務所やレコード会社の社長を歴任した後藤由多加氏も『桑田君のプロデューサーが止めるべき。人のことを歌で言われても』と批判的でした」

 桑田は「自分のことを歌った」と弁明したが、長渕は聞く耳を持たない。ところが決着は、95年1月24日に大麻取締法違反で逮捕されたことであっけなくジ・エンド。くしくも桑田が書いた〈クスリにゃ目が無い〉は予言詞となったのだ‥‥。

 その長渕の兄貴格である吉田拓郎(68)は歯に衣着せぬもの言いで知られる。泉谷しげる(66)や甲斐よしひろ(61)とつかみ合いのケンカに発展したこともある。

 さらには85年に初めて松山千春(58)と会うと、いきなりこう言った。

「俺はお前がデビューした時から気に入らなかった」

 これには後輩でありながら千春も黙っていない。

「俺はお前が先にデビューした時から嫌いだった。年季が違うんだよ、バカタレが!」

 こうした暴言は今の千春の“芸風”につながるが、ライブではさらにエスカレートする。

「すぐに『さだまさしが嫌い』とか『谷村新司が嫌い』って言い始める。お客さんもいつものことと思って、キャラクターとしては許されるけど、内心はいい気分ではないですね」(前出・富澤氏)

 あわやグループ抗争に発展しそうだったのが、82年のラッツ&スター横浜銀蠅である。ともにヒット曲も多く、TBSの「ザ・ベストテン」では同じソファで座ることもあった。

 当時、シブがき隊でデビューしたばかりの布川敏和は、本誌に“忘れ得ぬ瞬間”として語ってくれた。

「先にラッツが歌い終えてソファに座っていて、僕らを挟んで銀蠅の出番。黒柳徹子さんが大学の話などを質問していたんですが、ラッツのメンバーが『へえ、不良なのに大学に行ってるんだ』ってひと言。正直、ラッツのほうが“筋金入り”でしたから、銀蠅の皆さんは青い顔をしていました」

 そこんとこ、ブッチギリで情けない1コマ‥‥。

 最後は小室哲哉(56)と槇原敬之(45)の意外な一戦である。

 小室がホストを務めていた「TK MUSIC CLAMP」(フジテレビ系)では、吉田拓郎や岡村靖幸など、ゲストとの会話がまったくかみ合わないケースも多かった。

「あなたを嫌いな人って多いから、それを集めたら番組ができちゃうね」

 拓郎は堂々と小室に言い放っている。

 そして槇原も、表面上は穏やかながら、音楽理論の違いをのぞかせる。そしてオンエアからしばらくたって、さる月刊誌に槇原の巻頭インタビューが載る。

「僕は小室哲哉さんが嫌いです」

 よほど腹に据えかねていたのだろうか──。