『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第35回

クラシック一冠目となる皐月賞で3着と好走したものの、再びかかり癖を見せたディープブリランテ。その分、距離延長への不安は一層増すことになったが、同馬の関係者は1カ月後の日本ダービーに向かうことを即決した。競走馬にとっては最高の、一生に一度のひのき舞台。少しでもチャンスがあれば、同舞台に挑むのは必然だ。はたして決戦の日を迎えるまでの間、生産者であるパカパカファームのスタッフたちは、どんな思いで過ごしていたのだろうか――。

 4月15日に行なわれた2012年の皐月賞(中山・芝2000m)。二冠目の日本ダービー(東京・芝2400m)は、それから約1カ月半後の5月27日に予定されていた。

 パカパカファームのフォーリングマネージャー(生産担当)を務める伊藤貴弘氏は、皐月賞が終わると、再び多忙な日々を過ごしていたという。

「4〜5月は、まだまだ繁殖牝馬の出産シーズン。そのため、毎日夜間勤務で出産に備えていました。1年の中でも特に大変な時期なんですけど、ディープブリランテの動向については、ずっと気になっていましたね。ダービーに向かうことになって、逆転への期待もしていたのですが、かかり癖のことや、距離延長がどう影響するのかなど、皐月賞の前とは比べ物にならないくらい、不安や心配事ばかりが頭の中でよぎっていました」

 皐月賞で見せたかかり癖を考えると、日本ダービーでの距離延長を肯定的に捉えるのは難しい。その不安は伊藤氏の中で日に日に大きくなっていったが、一方で、ディープブリランテのすごさを改めて痛感することにもつながったという。

「本当なら、ダービーに出られるだけでも素晴らしいことですし、うれしいことなんです。でも、ブリランテはそういう喜びを通り越して、心配できるところにいる。それは、競走馬に関わる人間として、すごく幸せなことなんだと思いましたね」

 繁殖牝馬の様子をチェックしながら、日々ダービーへの思いを巡らせていた伊藤氏。手掛けた馬が初めて憧れの舞台に駒を進めるのである。当然、皐月賞と同じく現地観戦に行きたいと思っていた。が、ダービーではそれが実現できそうもなかった。

「子どもがお腹にいる繁殖牝馬は皆、ある程度の出産予定日がわかります。そしてあの年は、最後の1頭が5月30日の出産予定でした。その時点で、僕は『(5月27日の)ダービーの観戦は無理だろうなぁ......』と諦めていました。出産直前に、牧場を離れるわけにはいきませんから。ただ同時に、『この子(出産間近の繁殖牝馬)がダービーまでに子どもを産んでくれたら、現地に行けるんだけどなぁ』なんて、ほんの少しだけ思ったりしていましたね(笑)。繁殖牝馬の出産がすべて終わると、僕は少し休みをもらえますから、それを利用して『東京に行けるのにな』と」

 伊藤氏が繁殖牝馬の出産に追われていた頃、パカパカファーム代表のハリー・スウィーニィ氏は、別の業務で"山場"を迎えていた。

「毎年4〜5月は、その年の夏に行なわれるセリ市の準備でてんてこ舞いなんです。どの馬をどのセリに上場するかという選択はもちろんのこと、セリ市用のカタログも作成しなければいけません。パカパカファームの場合、カタログは印刷以外の作業をすべて自分たちでやることにしていますから、これがなかなか大変で......。出産とも重なって、ダービー前は我が牧場の忙しさのピークなんです(笑)」

 上場する仔馬の写真や血統表などが載ったカタログは、セリ市に訪れるバイヤーに配られる。スウィーニィ氏によれば、「毎年ダービーの前までには、カタログに載せる写真やデザインをすべて決めて印刷屋さんに出しています」とのこと。ただし2012年は、ダービー直前になっても決まらないモノがひとつだけあった。カタログの表紙を飾る写真だ。

「カタログの表紙はとても重要で、パカパカファームから活躍馬が出ればその馬の写真を大きく載せています。例えば、2007年のカタログは、直前のNHKマイルカップを勝ったピンクカメオの写真を表紙にしました。もちろん2012年は、ディープブリランテを表紙にするつもりでしたよ。でも、ブリランテのどの写真を載せるかは、ダービーの週になっても決めていなかったんです」

 パカパカファームでは、スウィーニィ氏と、もうひとりのスタッフが中心となって、カタログの表紙やデザイン、掲載写真などを決めていく。本来、ダービーの週になっても表紙が決まっていなければ、「早く表紙の写真を決めるように、スタッフから急かされる」とスウィーニィ氏は笑う。だがその年は、スタッフからの催促はなかった。

「つまり、私もそのスタッフも、同じことを考えていたんです。『もしかすると、ダービーを勝つかもしれない』と。そうなれば、当然ダービーのゴールシーンこそ最高の表紙ですから、たとえスケジュールが厳しくてもその結果が出るまで待ったほうがいい。もちろん、ディープブリランテにとって距離延長がプラスになるとは思えませんでしたし、正直言って、自信はありませんでした。でも、何となく希望を感じていたんです。そして、そう思っていたのは、私だけではなかった」

 結局、この年はダービーが終わるまでカタログの表紙を空白にして、印刷所に回すのをストップしていた。

「面白かったのは、私もスタッフも同じことを考えていながら、ダービーまでひと言もそれを口に出さなかったこと。『もしかするとダービー勝つかもしれないから......』という話は一切せず、とにかく表紙についてはお互いに何も言わなかったんです。何となく、口に出すとダメになってしまう気がしたのかもしれません。今考えると不思議ですね(笑)」

 さらにダービーの直前、牧場ではもうひとつ大きな出来事が起こっていた。伊藤氏が語る。

「最後に出産を予定していた繁殖牝馬が、なんとダービーの2日前に子どもを産んだんです。予定日より5日も早い出産でした。もちろん偶然の出来事なんですが、これには"運"を感じましたね。そのあと、僕はすぐに飛行機を手配して、東京に行く準備をしました。牧場で連れていくスタッフはすでに何人も決まっていたので、僕は自腹でした。それでも、自分の生産馬がダービーに出るなんてもうないかもしれないですから、東京行きには何の迷いもなかったです」

 ダービー直前に起きた偶然の出産。おかげで、伊藤氏は再び競馬場でディープブリランテの晴れ舞台を見届けることとなる。次回からはいよいよ幕を開けた日本ダービーでの模様を振り返っていく。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

河合力●文 text by Kawai Chikara