『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第33回

デビューから2連勝を飾ったあと、「クラシック登竜門」と言われる重賞で連敗を喫したディープブリランテ。初の敗戦(2着)を味わった共同通信杯から「引っかかる気性」を露呈した同馬は、その不安を抱えたまま、クラシックの1冠目となる皐月賞に挑んだ。生産者であるパカパカファームのスタッフが、期待と不安の入り混じる中で見守った、そのGI戦を振り返る――。

「混戦」と言われた今年の皐月賞(4月20日/中山・芝2000m)。その激戦を制したのは、5戦4勝のイスラボニータ(牡3歳。父フジキセキ)だった。同馬は、日本競馬をけん引する社台グループの牧場「白老ファーム」の生産馬。初めて経験する右回りも苦にすることなく、見事栄冠を手にした。

 この皐月賞には、パカパカファームの生産馬も名を連ねた。トライアルのスプリングS(3月23日/中山・芝1800m)で3着入線を果たし、出走権を獲得したクラリティシチー(牡3歳。父キングカメハメハ)だ。結果は8着と厳しいものだったが、潜在能力の高さはこれまでのレースで実証済み。今後の成長次第では、大舞台で躍進する日が来ても不思議ではない。

 そのクラリティシチーと同じく、パカパカファーム生産馬として皐月賞に挑戦したディープブリランテ。同馬がその舞台を踏んだのは、今から2年前(2012年4月15日)のこととなる。

 デビューから連勝しながらも、ディープブリランテは3戦目の共同通信杯(2012年2月12日/東京・芝1800m)からかかり癖を見せて連敗した。そして、高い能力への期待と、前向き過ぎる気性への不安が同居する中、晴れの舞台を迎えた。

 このときパカパカファームからは、代表のハリー・スウィーニィ氏を含めた4名のスタッフが、中山競馬場に足を運んでいた。同牧場のフォーリングマネージャー(生産担当)を務める伊藤貴弘氏も、その中のひとりだ。

「皐月賞のときは、社長と僕と、あとふたりのスタッフと観戦に行きました。皐月賞の前日に飛行機で移動して、夜は明日のレースのことをいろいろと考えていましたね。インターネットでニュースを検索したり、さまざまな人のコメントを見たり。僕はホテルの部屋で、ひとりで過ごしていました。社長は確か、『前祝い』と称してどこかで飲んでいたはずです(笑)」

 この年の皐月賞は、ディープブリランテを含めた4頭の有力馬に注目が集まっていた。1番人気は、重賞をすでに2勝していたグランデッツァ(父アグネスタキオン)。4戦4勝で引退した父の「最高傑作」と謳われた存在で、前走のスプリングS(2012年3月18日)では、ディープブリランテを破っていた。

 僅差の2番人気となったのは、ワールドエース(父ディープインパクト)。ディープブリランテと同じ父を持つ同馬は、馬名(「世界のエース」という意味)が表すとおり、幼少期から高い期待を背負っていた。そして、その期待に違わぬ活躍をデビュー後も披露。父譲りの追い込みで、4戦3勝の実績を積み上げた。唯一、2着に負けた若駒ステークス(2着。2012年1月21日/京都・芝2000m)も、展開のアヤで逃げ馬を捕まえ切れなかったもの。素質馬が能力の底を見せないまま、GIの舞台に駒を進めてきたのだ。

 ディープブリランテは、その2頭に次ぐ3番人気。これまでのレースより距離が200m長くなる皐月賞で、再度かかり癖を見せれば、道中の消耗がさらに増す可能性もあった。その不安からか、同馬はデビュー以来、初めて1番人気を他馬に譲ることになった。

 4番人気は、ディープブリランテが2着に敗れた共同通信杯の勝ち馬ゴールドシップ(父ステイゴールド)。こちらも、5戦3勝2着2回という安定感抜群の成績で、一冠目に照準を合わせてきた。

 10倍以下のオッズはこの4頭。まさに"4強ムード"が漂う皐月賞だったと言える。

 迎えた、決戦当日。伊藤氏は昼頃、中山競馬場に入ったという。そのときの心中をこう振り返った。

「有力馬の中では、『敵はワールドエースかな』なんて考えていました。あちらのほうが、切れ味というか、瞬発力が上だったので。それと、ディープブリランテのかかり癖も大きな懸念材料でした。とはいえ、『それでもきっと勝ってくれる』と前向きに考えていましたね。小回りで先行馬に有利な中山ですし、距離延長とは言っても200mだけですから。何とかしのいでくれるのではないか、と」

 さらに、ディープブリランテには追い風が吹いた。「やや重」という馬場コンディションだ。当日の天候は晴れだったが、それまでに降った雨が残っていたため、わずかに水分を含んだ芝状態となったのだ。

「ディープブリランテは、2戦目の東京スポーツ杯2歳S(2011年11月19日/東京・芝1800m)で、大雨の不良馬場を快勝しています。ですから、このコンディションは、プラスにはなってもマイナスにはならないと思いました」(伊藤氏)

 皐月賞のスタート時刻は、15時40分。15時を過ぎた頃には、出走馬がパドックに姿を見せた。伊藤氏と一緒に競馬場に入ったスウィーニィ氏は、ディープブリランテの姿を見て、体調のよさを感じたという。

「馬体の出来や雰囲気はまったく問題ありませんでした。あとは、とにかくレースでリラックスできるか。それだけです。リラックスさえできれば、2000mの距離も大丈夫だと思っていました」

 スウィーニィ氏とともにディープブリランテの姿を見守った伊藤氏には、こんな思いが去来した。

「出産のときから見てきた馬が、有力馬として皐月賞に出ることを改めて実感しましたね。体は大きくなりましたが、顔なんかは牧場時代そのまま。面影が残っているんです。その日の体調もよさそうでしたね。ひいき目はあったでしょうが、一番よく見えましたし、『これなら勝てるかもしれない』と思いました。そのため、このときはブリランテの単勝をウン万円も購入してしまいましたよ(笑)。そのくらい気持ちが入っていたんです」

 こうしてスタートの瞬間を迎えた2012年の皐月賞。ゲートが開くと、ディープブリランテは2頭の逃げ馬を見ながら、3番手の位置をキープした。しかし、その姿はまさに前走の再現。何度も頭を上げるアクションを見せたのだ。完全に引っ掛かってしまっていた。

 戦前の危惧が現実となってしまった皐月賞。そんな中、ディープブリランテはどのような走りを見せたのだろうか。次回は、皐月賞の結末、そしてダービーに向かう日々を追いかけていく。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

河合力●文 text by Kawai Chikara