『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第25回

パカパカファームを語るうえで、2012年の日本ダービーを制したディープブリランテの存在は欠かせない。同牧場の名を広めたことはもちろんのこと、代表のハリー・スウィーニィ氏がこだわり続けた血統でもあるからだ。この連載ではこれから、パカパカファームの最高傑作であるディープブリランテの誕生から、同馬が競馬界最高峰の栄誉を手にするまでの、知られざる舞台裏を詳細に綴っていく――。

 2013年現在、パカパカファームには、同じ一族の繁殖牝馬が6頭繋養(けいよう)されている。一族とは、フランス生まれの牝馬バブルカンパニーの子孫たちだ。そのうちの一頭に、日本ダービーを制したディープブリランテ(父ディープインパクト)の母、ラヴアンドバブルズがいる。

「ラヴアンドバブルズは、現役時代をフランスで過ごし、GIIIのレースを勝つほどの活躍を見せました。そのときから、この馬の繁殖牝馬としての可能性に期待していましたね。バブルカンパニーの血を持つ牝馬が日本で活躍馬を輩出していましたし、彼女の馬体を見ても、良い母になると思いましたから」

 血統背景はもちろん、ラヴアンドバブルズの馬体や雰囲気からも、パカパカファームの代表であるハリー・スウィーニィ氏は、繁殖牝馬としての能力を感じとったという。

「ラヴアンドバブルズの馬体について、その素晴らしさを言葉で語るのは少し難しいかもしれません。例えば、『美人とはどういう人か?』というのを言葉で説明するのは難しいですよね。それと似ています。いずれにせよ、ラヴアンドバブルズは美人だと思います。といっても、GIを勝ったり、セリ市で億を超えたりするような"一流の美人"ではないかもしれません。"そこそこの美人"という表現が正しいでしょうか(笑)」

 スウィーニィ氏は冗談を交えながら、ユニークにラヴアンドバブルズの印象を語った。

 現地のオーナーとの交渉を経て、2004年に日本へとやってきたラヴアンドバブルズ。しかし、来日して空港で検疫(※海外から連れてきた動物に対し、特定の病原体などを持っていないかチェックする行程)を受けた際には、馬体がかなり細くなっていたという。

「ラヴアンドバブルズは、引退後すぐに日本へやってきたのですが、現役時代の疲れが出てしまったのか、来日時にはかなり痩せていましたね。私が以前見たときの印象とはだいぶ違いました。検疫の担当者も『ハリーさん、この馬かなり細いけど大丈夫?』と心配したほどです。でも、パカパカファームでゆっくり過ごしているうちに、なんとか馬体は回復してくれました。その姿を見たとき、本当に安心しました」

 日本での繁殖生活をスタートさせたラヴアンドバブルズは、2005年、2006年と、ダンスインザダークとの種付けを行なった。そうして、2006年に生まれたのが牝馬のラヴインザダーク、2007年に生まれたのが牡馬のウインバロンドールだった。

 ラヴインザダークは25戦2勝、ウインバロンドールは1戦0勝で引退となったが、スウィーニィ氏は「ケガさえなければもっと活躍できたはず」と残念そうな表情を見せた。それほど2頭とも素晴らしい馬体の持ち主で、才能を感じさせたという。

 なお、ラヴインザダークは「ラヴアンドバブルズの後継」として、現在はパカパカファームで繁殖生活を送っている。このことからも、スウィーニィ氏の期待のほどがわかるはずだ。

 ラヴアンドバブルズにとって、日本で3度目の種付けとなった2007年春。スウィーニィ氏は、ディープインパクトを配合することに決めた。当時、ディープインパクトの種付け料は1200万円。ダンスインザダークの種付け料が500万円だったことを考えれば、いかにこの選択が勇気のいるものだったかわかる。

「1200万円という種付け料は、もちろん高リスクですが、ラヴアンドバブルズが生んだ2頭の産駒がとにかく素晴らしかったので、それなりに自信はあったんです。あまり迷うことなく、ディープインパクトを配合することに決めました」

 翌2008年に生まれたのが、牝馬のハブルバブルだった。同馬は、2011年のGIIIフラワーカップ2着などの成績を残した。スウィーニィ氏も「牝馬だったので、決して雄大な感じはしませんでしたが、ハブルバブルも素晴らしい馬体でした」と当時を振り返る。

 ハブルバブルを生んだその年の春、ラヴアンドバブルズは再びディープインパクトと種付けを行なった。無事に受胎が確認され、翌2009年の5月、ラヴアンドバブルズは出産の気配を見せ始めていた。このとき、お腹にいたのが、のちのディープブリランテである。

 例年、パカパカファームでは繁殖牝馬の出産に備え、1月頃から主要スタッフが24時間体制で牧場に常駐する。夜間に繁殖牝馬が出産を迎えた場合は、常駐するスタッフのみで対応するが、ラヴアンドバブルズの出産に関しては、スウィーニィ氏にとっても特別だった。「(ラヴアンドバブルズの)出産が近づいたら、夜中でもいいから連絡してほしい」と、スタッフに伝えるほどだったのだ。

 そして5月8日の深夜2時、スウィーニィ氏の電話が鳴った。連絡を入れたのは、繁殖牝馬の出産を統括するフォーリングマネージャーの伊藤貴弘氏だった。

 実は彼こそ、ディープブリランテを語るうえで、さらにはパカパカファームの歴史を語るうえで欠かせない人物だった。というのも、彼はパカパカファームの開場時を知る唯一のスタッフであり、スウィーニィ氏が「グッドホースマン」と信頼する人物なのである。次回は、そんな伊藤氏が語るディープブリランテの出産秘話を紹介する。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

河合力●文 text by Kawai Chikara