「『母にヒ素を盛られている』と本気で思っていたんです」と告白する丸岡いずみ氏

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日本テレビ在局中、『情報ライブ ミヤネ屋』などのニュースキャスターを務め、“奇跡の38歳”(当時)として人気を博した丸岡いずみ

しかし、2011年8月29日放送の『news every.』に出演後、謎の長期休養に入ってしまう。後に体調不良とアナウンスされたが、実はうつ病だったのだ。丸岡氏に聞いた。

―著書『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』では、うつ病になってからの心理状況や、精神病院に入院していたこと、さらに自殺も考えたことなど、かなりあけすけに語っています。どうしてここまで書こうと思ったんですか?

「私がうつ病になったとき、ワラをもつかむ気持ちで関連書を探したんですが、当事者が書いた本ってすごく少ないんですね。同じ悩みを持つ人たちの参考になればと思ったのがキッカケです。あと、主人(映画コメンテーター・有村昆さん)が背中を押してくれたことも大きかったですね」

―本を執筆するとき、当然うつ病だった頃を振り返らないといけないと思いますが、その作業はしんどくなかったですか?

「私の場合は逆にデトックスというか、全部吐き出すことでスッキリした感じはありました。ただ、東日本大震災に関する部分だけは最後に書くって決めていたんです。精神科の先生に『(うつ病の苦しさが)フラッシュバックする恐れがある』と言われていたので、そこだけは細心の注意を払いました」

―やはり、原因は震災取材だったんですか?

「それもあったと思います。震災の翌日には取材で被災地のひとつ、岩手県・陸前高田市に入ったのですが……。自衛隊や警察がまだ到着していない場所もあり、ご遺体が数多く残されていました。地元の方が毛布や布団をかけただけの状態で、想像以上に凄惨な現場でしたね。

また、2ヵ月後に行なった海上自衛隊の同行取材も心の負担が大きかったように思います。護衛艦に一緒に乗って海上の行方不明者を捜索するのですが、損傷の激しいご遺体が収容されていって……。リポート中は目を背けるわけにいきませんし、うちだけの独占取材だったのでプレッシャーもありました。心身ともにだいぶキツかったですね」

―その後、体調に異変が出始め、地元の徳島に戻られたんですよね。

「食欲もなく、眠れない状況がずっと続いていたんです。徳島の病院で『うつ病』と診断されても、最初は信じられなかったし、受け入れられませんでした。うつ病って心の弱い人や性格的にマジメな人がなる病気だと思い込んでいたんです。私は小さい頃から楽天的で活発だったから、絶対に自分は違うと思いたかった。でも、病気を知るにつれ、それが偏見だということがわかりました」

うつ病のときはどういう心理状況だったんですか?

「私の場合は、もうひとりの自分が俯瞰(ふかん)で見ているような感じ。ヒドいときは、症状が過去に取材をしたヒ素中毒と似ていたため、『母にヒ素を盛られた!』と本気で思っていたんです。症状を冷静に分析する自分がいれば、それを当たり前に信じてしまう自分もいる。普通だったら、絶対にあり得ない話ですよね」

―では、最後にメッセージを。

「これだけは言いたいのですが、うつ病かなと思ったら、迷わずに精神科を受診をしてください。誤解されがちですが、うつ病は誰もがかかりうる『脳の病気』なんです。自分だけで解決しようとすると、私のようにうつ地獄に行くことになりかねませんから」

(構成/高篠友一 撮影/高橋定敬)

●丸岡(まるおか)いずみ

1971年8月6日生まれ、徳島県出身。関西学院大学卒業後の1994年に北海道文化放送にアナウンサーとして入社。2001年に日本テレビに入社し社会部記者としても活躍。2012年9月30日退社。現在はフリーとして活躍中

■『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』

主婦と生活社 1050円

花形のニュースキャスターとして活躍していた丸岡いずみアナ。そんな彼女がなぜうつ病になり、どう乗り越えていったのかを詳しく記述。地方局アナ時代や、日テレで社会部記者としてスクープを飛ばしていたときのエピソードなど、知られざる半生も描かれる