アル中病棟のリアルを描く……の割に、アル中病棟の中のほうが、外より楽しそうじゃない? 吾妻ひでお『アル中病棟 失踪日記2』は、ノンフィクションの形で描かれた群像劇。そして、漠然とした不安との戦いの物語。

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杉江さんも書いているのですが、僕もどうしても書かずにはいられなかったので書きます、吾妻ひでおの『アル中病棟 失踪日記2』のこと。
だってすごいんだもんこれ。
ちなみにぼくは『スクラップ学園』のミャアちゃん派で、杉江さんは『やけくそ天使』の阿素湖素子派です。

詳しくはこちらを読んでください。
凄絶……吾妻ひでおのアル中病棟体験マンガ(エキサイトレビュー)
今回は、この作品がコミュニケーション物語として、アル中や鬱だけじゃない、「不安」の物語として、じわじわボディに刺さる件について書きます。

まずぼくは、吾妻ひでおの『アル中病棟 失踪日記2』を最低三回読むことをオススメします。
いや一回でも十分ですもちろん。でも三回分の重みがある。
ちょっと分けてみます。

1、アル中病棟ってこうなのか、アル中ってこうなのか、という解説書。
一番メインになる、わかりやすい部分です。アル中は他人事じゃないよ、あすには我が身だぞ、というのが、吾妻ひでおキャラによって解説されます。

やっぱり経験者が語るのは面白いんですよ。具体的に何が起きているか描かれるわけですから。
飲んでなくても脳からアルコールが抜けていなくて、まともな思考回路が働かない、絵が描けない。字が書けない。何をしたか覚えていない。
「イネイブラー」など、アル中をめぐる様々な用語も非常にわかりやすく描かれます。
単純におっかないことを、冷静に描く。これがイイ。アル中になる原因もわかりやすく的確に描かれていますので、気になる人、周囲にアル中の人がいる人は是非読んでください。

自助グループのAA(アルコホーリクス・アノニマス)と断酒会が超絶仲が悪い、とか知りもしなかった……いや存在すら知りませんでした。
なんかもう色々大変だよね、でもその「大変だよね」の部分を一人称にして描きすぎないのがこの作品のいいところ。
おそらくこの「アル中とはなんぞ?」の解説パートは、吾妻ひでおがエンタテイメントとしてこの本を読めるようにして考えた部分なんじゃないかと思うのです。

吾妻:最初「暗い」っていうダメ出しが出て。確かに虚無感が漂ってた。
とり:十分漂ってますけどね、まだ(笑)
吾妻:それから反省して大分明るくしたんですよ。その時ちょっと鬱状態だったんで(笑)。できるだけ明るい感じで、笑えるようにしたいと思って。

その甲斐あって、アル中病棟の様子や、アル中の解説、非常にするりと読めます。
シビアさをギャグにすることで完成した『失踪日記』と違って、起きている事柄自体は虚無感強め。
でも笑えるのは、作中の本人が「アル中に気をつけろよー!」と解説する博士役でもあるからです。
にしてもこの一文でアル中の怖さがわかる。
「ぬか漬けのきゅうりが生のきゅうりに戻れないのと同じです」
ひー……。

2、人間って面白い、しょうもないけど面白い
『失踪日記』は一人がメインでした。でも『アル中病棟』は病棟がメインなので、常に群像劇です。
それを「面白いなー」と描く、吾妻ひでおの視線が面白い。

例えばすっごい自信満々で口の悪い杉野という人物。自治会の会長になります。その人が、吾妻ひでおの作ったレクの予定表を見ながら上から目線で「どーすんだよ」とイチャモンをつけてくる。めんどくさい!
ところが吾妻ひでおはこう思うのです。
「こいつなんでこんな偉そうなんだろ 面白いなー」
断酒会には、お酒やめるつもりもなく毎回来ては歌を歌って場を荒らす秋津という人物がやってきます。ほんとまあ邪魔です。
ですが吾妻ひでおはこう考えます。
「秋津君、俺ファンなのになー。まァしょうがないか」

一歩引いているからこその発見。
こんな仕方ない人間ばっかり出てくる作品なんですが、よくよく見たら憎めない。むしろ面白い。
何もない日々が毎日続く中で、人間達の生活をフラットに描きとめます。ドラマもなにないですから。感動もなにもしないですから。
気づいたらメイン級に目立つ人もさらっと退院します。ノンフィクションだから当然なんだけど、ちょっとびっくりする。
あっ、でも正直者で問題ばっかり起こすけど意外といい子な、ツインおさげの変わりもの松崎さんがめちゃくちゃかわいいと思います。

もちろん吾妻ひでお自身が、苛立つ様子も描かれています。当たり前です。
「面白い」と「いらだつ」の混沌。ほんと狭い世界。
そのアル中病棟という閉じた社会での「コミュニケーションのあり方」がこの作品のマンガ的に面白い部分です。
特異な共同生活の中で吾妻ひでおが自分の居場所を作るのですが、これが「悩む」でも「努力する」でもなく、なんとなくローテンション。
まーそんなもんかなと見守りながら、ちょっと楽しい。すごく、まではいかない。
淡々としていてちょっとプラスな人間観察。かなり前向きなため、病棟のシーン全体は明るい雰囲気なんです。
アル中病棟にいる吾妻ひでおの生活は、意外と悪くない。
退院したくてたまらないのに。なぜだろう?

3、世界と対峙した時に見える、漠然とした不安
やっと本題です。
この作品は「アル中病棟ってこんなだよ、ちょっと面白いよね」という皮をかぶった、漠然とした不安の物語がメインだとぼくは感じました。
アル中病棟を出て、AAや断酒会に向かったり散歩をしたりするシーンで、何度も大きなコマの中に、小さく自分がはめ込まれた絵が描かれます。大きな町、沢山の人の中に、ちっちゃく自分がいるんです。
昔からそういう作風の作家でしたが、今回は顕著。

ぼくが一番好きなのは、95ページ。女子高生達が電車に乗るためにエスカレーターで上に向かっている。
自分たちアル中病棟の面々は、AAに向かうために下におりてこじんまり歩いている。
世界の中に吾妻ひでおがいて、周囲はどんどん動いている。
女子高生はかわいい。今の自分はぼんやり不安だ。
それを、穏やかに外側から「自分たちは今こうなんだ」と見ている。

272ページでは深大寺でアル中病棟のみんなとレクリエーション。
大きな世界の中で、笑顔の吾妻ひでお。周囲には知り合いばかりで、なんだか楽しそうで仕方がない。
けれど273ページでぐい呑みを見つけ、「一生呑めない身体になっちゃったわけね」。
一気に鬱が襲い掛かる。

そして303ページ。今まではみんなでAAや断酒会に行っていたものの、今回は一人で行くことに。
真っ暗な都会の夜の街のど真ん中。冷たい風がふき、1ページまるまる描かれる往来の中、ぼそり。
「たとえ地図があっても、俺は目的地に辿りつけない……」
このカットと言葉こそが、漠然とした不安の中生きるしかない自分をどうすればいいか、という吾妻ひでおが現在抱えている最大のテーマにつながっています。

アル中病棟の面々といるとき、確かにめんどくさいけど彼は楽しそうだったのです。どーしよーもないアル中な面々に、愛嬌を与えて描いています。
しかし、ふと一人になると「不安だなー」となる。全く足場がないかのよう。放り出された感がすごい。
杉江さんが「どこまでも行けて自由だが、広すぎて一人では何をしたらいいのかわからない。個人にとって世界は巨大すぎるのだ」と書いているとおり。

この感覚を、吾妻ひでおは「自分をマンガの中で描く」ということで引き止めていました。
だからこそ、このマンガは「エッセイマンガ」「ノンフィクションマンガ」というよりも、「世の中で生きる不安」というテーマを持った「人を描いた表現」になっています。
ほんと事件も何もないんです、無いんだけど常時不安の影と戦っている。

吾妻:自分の描くマンガの中に自分を出すことがおれは多いけど、それはすごく救いになってるんだね。
とり:最初期からご自身のキャラが出てきてますものね。「アーさん」っていう。
吾妻:デビューする前から、ずっとあのキャラクターを描いてきた。もうひとつの現実を描いているような……。こういうマンガの世界に行きたい。現実は辛いけど、マンガによって救われてる。誰だってなんだかのしんどさは抱えてると思うんだけど。

『アル中病棟』を読んだ後に、読んでほしい本が二冊。
この世の中にいることが不安でどうにもならない、何をすればいいかすら思いつかない状態が現れている『夜の魚』。失踪前、飲酒が本格的になった時期の作品です。
客観的に描かれた『アル中病棟』を読んでから読むと、「ああ、このマンガの中のキャラ(吾妻ひでお)はこんな妄想ばかりに押しつぶされていたんだ」というのがすごくよくわかります。
フィクションとしては最高に面白いけど、この世界が続くとなると不条理でめまいがする。
リアルに目の前にあったら滅入ってしまう。滅入っている自分を描くことで救われている。

もう一冊は、『ぶらぶらひでお絵日記』。吾妻ひでおがブログに連載していた絵日記をまとめた本なのですが、2008年から2009年の毎日、ひたすら女子高生を描いています。
『うつうつひでお日記』よりは重くないんですが、どうにもならない倦怠感と不安があります。無力感と雑念で苦しんでいるのです。
ですが「女子高生を描くためにこの日記を続けている」と割りきって表現に貪欲であり続ける吾妻ひでおの姿。散歩してちらっと女子高生を見て目に焼き付ける吾妻ひでお。
『アル中病棟』を読むとわかるのですが、雑念に襲われると同時に、ものすごく過敏すぎて神経むき出しな状態で世界を見ている部分があるんです。
それを女子高生で上塗りしていく過程が見えます。表現者であり観察者である吾妻ひでおの凄みが二つを並べて読むことでわかるので、是非比較してみて欲しいのです。

アル中ノンフィクションとしても、群像劇としても優れた作品ですが、やはり「不安との折り合いの付け方」が、ぐぐっと読後に残ります。
確かにしょーもない人が沢山出てきて、狭い病棟にいる。でもみんなそれぞれ生きている。楽しい。
そこから離れふっと町を歩く時、いろんな情報が一気に流れ込んできたり、世界からふわりと浮いてどこを歩いているのかわからなくなったりする。怖い。
狭い空間、広い場所。どっこい生きてる不安の中。
ほんと、色々理解して「地図」があっても、どうにもならないもんなんだよ。
生きてるだけですごいんだよ。
辛くなったら、酒やクスリ以外の、好きなものの中に逃げ込もうよ。
女子高生とかさ。


吾妻ひでお 『アル中病棟 失踪日記2』

(たまごまご)