『クロニクル』監督:ジョシュ・トランク/出演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダンほか/配給:20世紀フォックス映画/2013年9月27日より2週間限定ロードショー 都内での上映はあとわずか。急げ!
10月12日よりTOHOシネマズ 梅田、109シネマズ名古屋、TOHOシネマズ天神で拡大公開。新宿シネマカリテでは続映決定

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米光さんからご指名を受けたので、話題の映画『クロニクル』について書く。

本当は書くつもりはなかったんだ。エキレビだけじゃなくて、どこの媒体にも。

つまんなかったわけじゃない。むしろ大傑作だと思った。開始からエンドクレジットまで怒濤の展開で、1時間23分があっという間に過ぎていった。

だけど、「これは書けない!」と思った。とてもレビューを書きにくい映画だと思った。なぜなら、この映画のおもしろさの核は「先が読めないこと」にあるからだ。つまりはネタバレしてしまったらおもしろさが半減してしまう。それを心配した。だから、レビューは書けないな、と。

幸いなことに、自分は一切内容を知らない状態でこの映画を見ることができた。事前に知っていたのは『クロニクル』という印象の薄いタイトルと、アメリカの男子学生3人がポテトチップを食べているスチール写真だけだった。どうせ凡庸な学園コメディだろうから、おれは見なくてもいいや、と思っていた。

なのに、どうして劇場まで見に行く気になったのかといえば、映画についてたいへん信頼しているライターの友人が、こんなことをつぶやいていたからだ。




これを見た瞬間、ブラウザのタブを切り替えて、いつも利用している劇場のサイトでチケットを予約した。予約手続きをするときに、うっかり作品紹介のあらすじ読んじゃわないようにするのがたいへんだったね。

見終えての結果は、もちろん友人の言う通りだった。何も知らないでいたからこそ、主人公たちの“変化”と、変わってしまったが故にさらされる運命の過酷さに、最大限の驚きを感じることができたのだ。いやあ、持つべきものは友だ。そして、自分の決断の早さも褒めてやりたい。

というわけでレビューはまだ続くけど、まだ『クロニクル』を見てない人! 劇場へ走るならいまのうちだ!

※ここからネタバレします。



自分はネタバレにわりと寛容な人間だし、公式の予告編でもバンバンあれを見せちゃってるから、あれが何なのかを知ってから映画を見ても、おもしろさが失われることはないだろうとは思う。……思うけれども、やっぱり知らないで見たほうが驚きは大きいと思うんだよねえ、主人公たちが「超能力」を手に入れるってことを!

観賞後、まわりのみんなにいま見てきたものの興奮を伝えたいのに、超能力のことに触れないでは説明のしようがなくて、ジタバタしてた。それでまわりを見渡すと、ツイッターではみんな「大友克洋だ」「AKIRAだ」とかバンバン言ってるし、なかには「空を飛ぶシーンがさ〜」みたいなことまで言ってる人もいる。おいおい、そこいちばんの驚きポイントだよ! そこ喋っちゃうのかよ! ってスマホに向かってツッコミまくってた。で、エキレビを見ればtk_zombieさんも、米光一成さんもいろいろ書いてる。うおい!

ここまで来たらおれもぶっちゃけよう(人生で初めて「ぶっちゃけ」って使った)。

『キャリー』『炎の少女チャーリー』『ジャンパー』『超能力学園Z PART2 パンチラ・ウォーズ』など、超能力映画はこれまでいくつも作られてきた。超能力は映像的な魅力が大きいので、映画との相性がいいのだろう。普通の人々の中に、ただ一人、超越した能力を備えた存在としてあらわれる『スーパーマン』などのヒーロー物も、超能力映画の一種と言っていい。

超能力を得た者は、まずその力がもたらす快感にとらわれ、誰も見ていないところで己の超人的な力を堪能する。これを自分は「ヒャッホー」シーンと呼んでいる。『スパイダーマン』で、スパイダーウエブが使えるようになったピーター・パーカーが、摩天楼の間を「ヒャッホー!」と叫びながら飛び回る、あの場面のことだ。

『クロニクル』では、主人公の男子3人が地下に埋まっていた謎の結晶に触れたことで念動力を手に入れる。最初はボールや石つぶてをコントロールして遊んでいるだけだったのが、やがて人や車を動かせるようになる。決して長い映画ではないが、この力がエスカレートしていく感じの描写にたっぷり時間を割いていて、それが後半に活きてくる。

ある日、彼らはこの念動力で「自分自身を動かせる」ことに気づいてしまうのだ。

自分を動かせる、自分を宙に浮かせられる……ということは、すなわち「空を飛べる」ということだ。ここで映画の「ヒャッホー」は最大の爆発力をみせ、観客を映像の快楽の渦に巻き込む。だが、それと同時に、力は制御しきれなくなり、彼らを破滅へと追い込んでいきもする。

映画の中で超能力を得るのは男子3人だけど、これは本来1人なのだと考えていいと思う。超能力を手に入れた人間の快感とか、困惑とか、傲慢といった感情を、3人のキャラクターで(誰がどの役割りという意味ではなく)分散させて表現しているのだ。

『魔法使いの弟子』は、魔法の暴走によって起こった洪水を、危ういところで師匠が止めてくれる。けれど、『クロニクル』の3人には師匠はいない。さて、どうする?


と、ここまで言ってもまだ見に行こうとしない人は、おれが超能力で劇場へ飛ば……せないので、電車で劇場に行って自分だけ2回目を見てやる!
(とみさわ昭仁)