『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第22回

パカパカファームの代表であるハリー・スウィーニィ氏は、フランスの繁殖牝馬バブルカンパニーからなる一族に早くから目をつけていた。そして2001年、念願だったこの一族の繁殖牝馬2頭を購入。さらに2004年にも、バブルカンパニーの血を引く3頭目の繁殖牝馬を導入した。それが、のちにダービー馬を輩出することになる、ラヴアンドバブルズだった――。

 日本で競走馬がデビューできるのは、2歳の夏以降。母馬のお腹にいる期間を含めれば、種付けからデビューまでにおよそ3年半を要することになる。つまり、そのときの配合が正しかったかどうかわかるまでには、長い時間がかかるのだ。

 パカパカファームが2001年秋に購入した、バブルドリームとオージーカンパニー。2頭の繁殖牝馬についても、日本で種付けした子どもがデビューするのは2005年以降。スウィーニィ氏が信じた「バブルカンパニーの一族×サンデーサイレンス系種牡馬」の組み合わせの成果が出るのは、ずっと先の話だった

 しかしそれまでの間に、バブルカンパニーの血を引く一族から活躍馬が次々に表れた。2003年のGI菊花賞を制したザッツザプレンティ(父ダンスインザダーク)、2004年のGI阪神ジュベナイルフィリーズを制したショウナンパントル(父サンデーサイレンス)がそれだ。しかも、2頭の父はともにサンデーサイレンス系(※ダンスインザダークはサンデーサイレンスの仔)。スウィーニィ氏の考えが正しかったことを、他の牧場から生まれたサラブレッドたちが示したのだ。

「あの馬たちの活躍はうれしかったですね。バブルカンパニーのファミリーと、サンデーサイレンス系の相性が良いことを証明してくれましたから。当然、バブルドリームとオージーカンパニーの子どもに対する期待も高まりました。と同時に、『もっとこの一族の繁殖牝馬を増やしたい』と強く思ったのです」

 そこで2004年、スウィーニィ氏は再びバブルカンパニーの血を持つ牝馬を、世界中から情報を集めて探し始めた。そして行き着いたのが、のちに日本ダービー(2011年)を制したディープブリランテの母となる、ラヴアンドバブルズだった。

「ラヴアンドバブルズがフランスの牧場にいると知って、すぐに現地に向かいました。実は彼女はバブルドリームの子で、パカパカファームに来る前にアメリカで産んでいた牝馬だったのです。とにかくこの一族の牝馬が欲しかったので、すぐに牧場の方と交渉しましたよ。簡単にOKを出してはくれませんでしたが、最終的には私の熱意が伝わったのか、ラヴアンドバブルズはパカパカファームで過ごす運びになりました」

 こうしてパカパカファームには、バブルカンパニーの血を引く繁殖牝馬が3頭導入されることになった。もちろんその3頭には、徹底的にサンデーサイレンス系の種牡馬が配合されていった。

「サンデーサイレンス自身は2002年に亡くなってしまったため、3頭に種付けすることは叶いませんでした。しかし、すでにサンデーサイレンスの子がたくさん種牡馬になっていましたから、それらの馬とかけ合わせていったんです。ダンスインザダークやスペシャルウィーク、アグネスタキオンなど、いろいろな馬を配合しましたね」

 サンデーサイレンス系種牡馬と配合された3頭の牝馬は、みな素質を感じさせる産駒を生んだという。その中でも、特にスウィーニィ氏が可能性を感じていたのが、ラヴアンドバブルズの産駒だった。

「パカパカファームに来てから生んだ最初の2頭、牝馬のラヴインザダークと牡馬のウインバロンドール(※父はどちらもダンスインザダーク)は、生まれたときから良い馬体の持ち主でした。実際、ラヴインザダークは強い勝ち方を見せたレースもありましたし、ウインバロンドールはケガさえなければ出世できたと思っています。この2頭に素質を感じたからこそ、『次はラヴアンドバブルズにディープインパクトを配合しよう』と考えました。ディープインパクトの種付け料は高かったですが、それ以上の期待を持っていましたから」

 2年連続でダンスインザダークを配合していたラヴアンドバブルズは、2007年にディープインパクトと種付けを行なう。なお、この年から種牡馬となったディープインパクトの種付け料は1200万円。その2年前に鳴り物入りで種牡馬となった日本ダービー馬、キングカメハメハの種付け料が600万円だったことを考えれば、初年度としては異例の金額だった。

 そして2008年に生まれたのが、牝馬のハブルバブルだった。ハブルバブルのキャリアはわずか5戦と短かったが、GIIIフラワーカップで2着に好走。牝馬クラシック戦線に参入するなど、素質の片りんを見せた。

 ハブルバブルが生まれたその年、スウィーニィ氏は、2年連続でラヴアンドバブルズにディープインパクトを配合することを決める。種付け料は変わらず1200万円。小規模の牧場にとっては勇気のいる決断だが、彼は2頭の相性を信じた。

 1年後の春、2009年5月8日に生まれたのが、ディープブリランテだ。

「生まれた仔馬を見たとき、これは素晴らしい馬だと思いました。とにかく馬体が雄大で、しかも体のバランスが良かったんです。『この馬なら大活躍する』と本気で信じられましたね。決して、あとから話を作っているわけではありませんよ(笑)。大きなレースでの勝利を意識してしまうほど、素晴らしい馬だったんです」

 スウィーニィ氏は、当時の興奮を身ぶり手ぶりで話す。生まれたばかりのディープブリランテの印象は、今もなお、彼の中に強烈に残っているのだった。

 類(たぐい)まれな馬体を持って生まれたディープブリランテ。次回からは、同馬が誕生する瞬間のエピソードから、ダービー馬となるまでの軌跡をたどっていく。

(つづく)

ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

河合力●文 text by Kawai Chikara