岩崎う大(左)と槇尾ユウスケ(右)による「かもめんたる」が、栄えある2013年のキングに! 異端芸人の多いサンミュージックから輩出された、純正コント師だ。

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80年代のテレビ業界エピソードとして、こんな話を聞いたことがある。これは、テリー伊藤の回顧録から聞いた逸話。
「天才」として業界にその名が轟いていたディレクター・伊藤輝夫氏が、コント番組の総合演出を手掛ける企画が進行。しかし「やっぱり、コントの面白さがわからなかったんだよね」(テリー伊藤)と、その番組自体が立ち消えになったという実話、があるそうなのだ。

この価値観、正直珍しいセンスではなかったように思う。マンザイブームに強烈な洗礼を受けた世代にとって、漫才はコントより明らかに上位にあった。ツービートやB&Bや紳竜は、どう考えてもゆーとぴあやコント赤信号より格上。キャリアという要素をのけても、圧倒的に漫才師の方が魅力的だった。
いや、こんな極端な例を出さなくても明白。男の子にとっては、ドリフ(コント)よりたけし(漫才)の方が心に響く存在であったから。『ひょうきん族』もコントだけれど、あちらは漫才師の解体を目的にし、コントはあくまで着地点。卵が先か鶏が先かじゃないけども。「しゃべり一本で行く」という形式に、妙なロマンを感じてしまってたのかもしれない。
この空気感、意外と長く主流派の感性として充満していたように思う。……が、それも今や昔の話。90年前後に小爆発したブーム期の面子(ウッチャンナンチャン、ホンジャマカ、バカルディら)によって、一掃されたから。

観る側としては、固執している人も今や少ないと思う。どちらでも良いから、笑わせてくれる方がいいに決まってるもの。今考えると、中二的感性だったか? 21世紀は、いい意味でボーダーレスだ。
というわけで「M-1グランプリ」と「キングオブコント」、両者に挑むコンビも当然出てきた。例えば、M-1を獲ったにもかかわらずKOCに挑戦したNON STYLEやサンドウィッチマン。今年は今年で、「THE MANZAI」の認定漫才師に選ばれつつ「キングオブコント」決勝に進出したアルコ&ピースなんて存在もいた模様。

その「キングオブコント2013」、実際に観に行って参りました! 「“真のコント日本一”を決める夢のお笑いイベント」という謳い文句にふさわしく、なんと2988組が出場したとのこと。
その内の8組が進出した決勝戦の模様は生中継されていたので、そのリポートをわざわざここでするのは蛇足でしかない。皆さんが観た通りの結果に終わりました。ただ後になって考えると、松本人志が「かもめんたる」の岩崎う大に対し「志村さんに見えたわ」とコメントしたのがじんわり来るな……!

ところで、気になることが一つだけ。“夢を追う若者”を題材にしたネタが、妙に印象に残ったというか。ロックでの成功を求め上京するクラスメートの“キツさ”強度を確認し続ける、うしろシティの一本目。路上で詩を売るアーティストに、宝くじで6億を当てたおばちゃんが「荒削りにもなれない」「気持ち悪いところでウロウロしている」とダメを出し続ける、かもめんたるの一本目。車輪の如き生き方を否定した曲をライブで演奏し、工場勤務の同僚を激昂させる、さらば青春の光の一本目。
これ、現代の風潮を表してるのかしら? 確かにそういう感性は、市井の視点としてリアルだ。しかも芸人としての成功を目指す若者らが、こんなテイストのコントを仕掛けてる構図が面白い。「パラドックスになってる?」と思いきや、あんまりなってないのも流石。ファイナリストです。

では、見事にブレイクスルーの瞬間を迎えた「かもめんたる」の優勝コメントを、どうぞ!
――キングになられた感想は?
岩崎 自分の人生にこんな日が来るなんて思ってなかったんで、「なんて日だ!」って感じです(笑)。どんなに小さな学生の大会でも優勝したことがなくって、初めてのタイトルがキングオブコント……。これも、バイきんぐさんと一緒になっちゃうな。
――これで一千万円獲得ということにもなるわけなんですけど、使い道は?
岩崎 僕らは売れてない期間が長く、色々と無償で手伝ってくれた人がいて。ポッドキャストの更新をしてくれた人とか、単独ライブのチラシを格安で作ってくれたりとか、チョイ役で舞台に出してくれた脚本家の人たちとか。小島よしお(2006年に解散した「WAGE」で共にメンバー)も毎回おごってくれてるんで。そういう近い人たちを連れて旅行に行こうって話をしてて、それは実現します。
――手応えみたいなものは、ネタ中に感じましたか?
岩崎 何回もやってるコントなんで、「この辺がウケてくれば大丈夫だ」っていうのがあって。アタマの方からいい感じでウケてたので、イケるかなって。ノってやれましたね。
――先程から小島よしおさんの名前が出てきますが、早稲田大学の頃からの仲ですか?
岩崎 早稲田のお笑いサークルからアミューズに行き5人組をやり、それが解散して、小島はサンミュージックでブレイクして。
槇尾 (岩崎が)サークルの部長だったんです。そこに僕と小島が、新入生として入ったという感じです。
――その後輩の小島さんが先に活躍していたのを見て「負けないぞ!」と思っていたましたか?
岩崎 そうですね、「道は成功に続いてるんだな」という思いが。それと同時に「俺の運まで持って行ったんだな」という思いも、当初はありましたね……。
槇尾 でも小島が売れなかったら、僕らも組んでなかったです。小島が売れたタイミングで、僕らも「一緒にやってみよう」と。それまではピンで、うだつが上がらない感じだったんですけど。
岩崎 小島には近々会って、「ありがとう」と言いたいですね。
槇尾 そして、今後の相談をしましょうね。一応、僕らのプロデューサーみたいな存在なので(笑)。
岩崎 そうですね。小島を信じて。
――サンミュージックとして、スギちゃんもR-1の2位で涙を呑んできた経緯もあり、こういう大きな大会で初めて事務所でタイトルを獲ったコンビだと思うんですけど、そのお気持ちは?
岩崎 サンミュージックはインパクトの大きい方が多い特殊な事務所なんで、僕らみたいなものがチャンスを掴むには、こういう大きな大会でチャンスを掴むしかないと思ってたんで、それができて良かったですねぇ……。
槇尾 ウチの社長も「ああしろこうしろ」じゃなく、いい意味で放し飼いでやらせてくれる人なんで、それは感謝してますね。
――もし小島さんが「トリオでやりたい」と言ってきたら、どうしますか?
岩崎 年一でしょうね。
槇尾 年一ではやるんだ(笑)。

いや、美しい。先行して売れたあのねのねが前評判を広め、後続してブレイクした笑福亭鶴瓶みたいな関係性を思い出した。
(寺西ジャジューカ)