ユーモアを交えながら、軽快に引退について語る宮崎駿の記者会見。この記者会見の発言から、宮崎駿が今まで監督として感じていた重圧や仕事っぷり、やりたいことがたくさんあること、文化人ではなく町工場の職人でありたいと願う様子、飛行機の話を生き生きとする姿が見られました。

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宮崎駿「こんなイベントをやる気はさらさらなかったんです(笑)」
9月6日、アニメーション監督・宮崎駿の引退記者会見が開かれました。
一人の監督の引退宣言が、テレビでも生中継されるという異例の事態ですが、それは単純な理由で「いちいち取材受けてたらパンクしてしまうから」。
重苦しさはなく、明るいポジティブな記者会見でした。
引退そのものについては「公式引退の辞」に全部書いてありますので、読んでみてください。
宮崎駿監督の「公式引退の辞」全文 「ぼくは自由です」 - ねとらぼ

「ぼくは自由です」という言葉。
記者の質問も、監督の話も、最終的にそこの部分に集中していました。

●今回は本気です
宮崎「何度も辞めるといって騒ぎを起こしてきた人間なので、どうせまただろうと思われてるんですけど、今回は本気です(笑」
宮崎「やれることはやろうと思っています」「ここで約束するとたいてい破ると思いますので、そういうことでご理解ください」
宮崎駿が何度も「もうやめたい」と言っているのは、有名な話。
しかし、本人もそれわかっているのが今回はっきり証明されました。
「これから何作るんですか」という質問がバンバンでており、誰も「完全引退」だと思っていない。だよね。
宮崎「ぼくは自由です、やってもやらなくても自由なので、今は頭を使うことはしません。前からやりたいことがありましたので、そっちをやろうと。とりあえずそれはアニメーションではありません」

●町工場のおやじとして
宮崎「ぼくは文化人にはなりたくないんです。町工場のおやじでして」
海外への発信者、芸術性や商業的成功、映画界への影響、日本の社会へのメッセージなどの質問も寄せられましたが、この発言が全てでしょう。
宮崎「私が仕事をするということは映画も見ないテレビも見ない。驚くほど見てないんです(中略)みなさんも私と同じ年になってデスクワークをやるとわかると思いますが、そういう気を散らすことは一切できないんです」
実に職人的な宮崎駿の姿が浮かび上がってきます。
鈴木「考えないようにしているんですよね。というのもそういうふうに考えると目の前の仕事ができなくなるんですよ」「世間にどういう影響を与えるか考えないようにしていました」
宮崎「全く僕も考えていませんでした」
ジブリと宮崎駿は、ただ30年間、ひたすらに走り続けてきたことがわかります。

●監督になりたくはなかった
宮崎「監督になってよかったと思ったことは一度もありませんけど、アニメーターになってよかったということはあります」「監督は最後に判決を待たなきゃいけないでしょう、これは胃に良くないです」
宮崎「監督はやりたくない、やる必要はない、ぼくは映像の方をやればいいと思っていました」「お前一人で演出をやれと言われたとき本当に途方にくれたんです」「その戸惑いは『風立ちぬ』まで引きずってやってきたと僕は思ってますからね」
アニメーターだった時は、うまく表現できて満足が出来た。しかし監督は最後まで待たなきゃいけない。
高畑勲は演出家だった。しかし宮崎駿はアニメーターだった。
これが宮崎駿にとってのやり方であり、大きな負担でした。
常に絵で表現しつづけるとなると、身体にガタが来ます。
宮崎「ぼくはアニメーター出身なもので、描かなきゃいけないんです。描かなきゃ表現できないんで、メガネを外して書かなきゃいけないんです」「ぼくはぼくのやり方で自分の一代を貫くしか無いと思いますので、長編アニメーションは無理だという判断したんです」
宮崎「机に向かってるのは7時間が限度」「机の上に向かって描くことが仕事で、その時間を何時間とれるかというのは、この年齢になりますと……」
7時間でもすごすぎますが、14時間とか向かっていた時期もあったそうな。
身体はどんどん衰えている。それを実感したし、他のやり方はできない。だから長編アニメーションは無理だろう、という判断です。

●『風立ちぬ』の「生きねば」の意味
宮崎「セリフとして『生きねば』という言葉もあるから、鈴木さんがナウシカの最後の言葉を引っ張りだしてきて、ポスターのぼくの書いた『風立ちぬ』っていう字より大きく書いてバンと貼ってるなって思っているんですけれど、僕が叫んだように思われてますけど、僕は叫んでおりません(笑」
ええー、あれ意味特にないのですか。
鈴木Pが非常に商売上手だからというのもあるんですが、そもそも作品にメッセージ性をこめすぎると迷ってしまうから、宮崎駿はメッセージありきのスタイルをとっていない。
絵コンテも月刊誌のように結末なしに随時出していくのが宮崎駿スタイル。
宮崎「自分のメッセージを込めようと思って作れないんですよね」「自分でよくわからないところに入っていかざるをえないんです」
とはいえ、根幹になっているメッセージ、「この世は生きるに値するのだ」という言葉を何度も語っていた宮崎監督。
別段宮崎駿だけのメッセージではなくて、昔から書物や映画で語り継がれてきたテーマを「受け継いでいる」という感覚です。

●「ありません」
Q.ナウシカの続編を作る予定はありますか
宮崎「それはありません」
Q.ジブリの若手監督の作品に関与する可能性は?
宮崎駿「ありません」
きっぱりと答えました。
宮崎駿は、同じことをしない作家。自分の作った映画は完成したあと一切見ないことで有名です。
宮崎「たどり着けるところまではたどり着いたといつでも思ってましたから、終わった後は映画は見ませんでした。ダメなとこは分かってるし(中略)振り向かないようにやってました」「同じことはしないつもりでやってきてます」
個人的にはナウシカ続編は見たかったところですが、これに関しては宮崎駿のスタンスとして絶対ありえないでしょう。むしろ今、庵野秀明監督が漫画版のラストをやらせてくれとせがんでいる状態です。
若手に監督に対してもこう語ります。
宮崎「やっと上の重しがなくなるんだから、こういうものをやらせろというのが、若いスタッフから鈴木さんに届くのを願ってますけどね、ほんとに」
ジブリの他の監督達と、宮崎駿監督の関係はなかなか難しいところで、例えば『コクリコ坂から』を作っていた宮崎吾朗監督の作業現場にも宮崎駿は現れ、修正を入れたりしていました。
今後もスタジオには通うとのことですが、今回ではっきりと「若手がやりたいことを鈴木Pに言えばいい」と明言しました。
後継者問題については、前向きな考え方のようです。

●もし次を作るとしたら何年かかるかわからない
宮崎「ナウシカもトトロもラピュタも魔女の宅急便も、それまで演出やるまえに入れていた材料が溜まってまして、バっと出てくって状態があったんです。そのあとは何を作るか探さなきゃいけないという時代になったから、だんだん時間がかかるようになった」
宮崎「『風立ちぬ』はポニョから五年かかってるんです。(中略)今、次の作品を考え始めますと、多分5年じゃ済まないでしょうね、この年令ですから」「僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わったんだと。もし自分がやりたいと思っても、年寄りの世迷い言であると片付けようと決めています」
今回の引退宣言最大の理由はやはり年齢。だんだん一本作るのに時間がかかるようになってきた。
「7年かかると80になってしまうんです」さすがに身体も限界だという判断です。
おまけにこんな発言も。
宮崎「(高畑勲は)ずっとやる気だなと(笑」

●これからの宮崎駿
宮崎「やめるといいながらこういうのをやったらどうだろうというのはいっぱいありますけど、それは人に語ることではありませんのでここでは勘弁してください」
なにか、やるつもりです。それが何かは、わかりませんが、詮索するのは野暮というものでしょう。
「引退」という言葉に違和感があるんです。でも日本語として、長編映画を作らないとなると「引退」としか言いようがないだけです。
なにか、するのでしょう。その一つとして、ジブリ美術館の過去作品の直しや手入れをしたい、と語っていました。

今後のジブリは、11月23日公開の高畑勲監督『かぐや姫の物語』、来年の夏を目指してもう一本映画を制作中とのこと。ジブリ美術館の動向も含め、楽しみにしたいところ。
にしてもまるで「約束してやるのはやめるけど、いろいろやりたいです」というオーラあふれる会見でした。宮崎駿すげえな!ってこと、なんでもいいのでやってほしいですね。

(たまごまご)