超自意識過剰ネガティブ青春アニメ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』、通称わたもて。暗くて哀しい話しかないのに、何故か楽しい。痛いのに面白い。青春のおいしくないところがなんでこんなに面白い?

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「じゃあ○人組みつくって」っていうのをなくす法律を作ってくれって、今でも思う。
思い出したくもない。誰だあれ考えたの。
 
アニメ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下・わたもて)は、女子高生のネガティブぼっちライフを、無駄に丁寧に描いています。
なんといっても、メインキャラが一人というのが斬新すぎる。
友達のいない高校生少女・黒木智子(以下もこっち)の物語なので、そうなるのは必然ではあるのですが、にしても一人て。ツッコミもいないよ、友達いないから。
一応弟とか、中学時代の友達のゆうちゃんとかもいますが、あくまでもレギュラーは一人です。
エンディングを見ていると、その他のキャラ名が「女子生徒」「男子生徒」というモブっぷり。
ひたすらに、もこっちが世間や学校に対して、一人ぼっちでツライことの呪詛を述べる作品です。

ぼっちモードで周囲に対して苛立ちを感じるくらいの寂しさの描写は、原作の時から徹底して変わっていないどころか、アニメではさらに誇張して描かれています。
クラムボンのミトが編曲しているエンディング曲では、もこっち役の橘田いずみが、ボーカルだけじゃなくコーラスもやっているという「一人で全部歌ってみた」曲になっています。
そこまでしなくても!
でもわかる。そうだよなあ。孤独だよ。

わたもてアニメは、背景が心理にあわせてころころ変わったり、キュビズムを使ってもこっちの心境を描いたりと相当演出凝っています。
とはいえ、悲惨な話なわけですよ。
高校デビューに失敗し、友だちが誰一人おらず、彼氏どころか、同性に対してもコミュニケーションを取ることすらままならず、ルサンチマンからの呪詛を吐きまくる。
こんな地味で暗いアニメ誰が見るの?!
……ぼくだった。
面白いんだよなあ。でもほんと「誰が見てるの?」と不思議でならない。
どこが面白いのか、3つのポイントから引っ張りだしてみます。
 
1・リアルタイムでツライ層としての楽しみ
中学・高校・大学生で、リアルタイムにぼっち経験がある人には、劇薬みたいな作品です。正直「辛くて見てられない」という人も多いはず。
この「痛くて耐えられない」「だから見ちゃう」という、痛面白い感覚って、あるんです。
言うなれば、もこっちは代弁者。
もこっちは割と、ルサンチマン的怒りをモノローグであらわにします。
「マジリア充死んでほしいわー」と友人としゃべる奴らを見て、もこっちが「私の寿命一年減らしていいから、あいつら事故死しねえかな」というシーン。何度見ても良く出来ています。そうなんだよなあ。リア充どうのこうのって友達と言ってる人はリア充なんだよ。
こういうの、言いたくても言えない。普段言えないモヤモヤを、この作品はバッサリ言葉にして言います。世の中を斜に構えた視線で見てぶった斬る快感は、オープニングにぎっしり詰まっています。
原作のネタをシャッフルしてうまく物語形式にしているのですが、斬るタイミングと、もこっちが転落するタイミングは非常に絶妙。
「わかる!よく言ってくれた!」というもこっちへの共感は、痛いながらも心地よいのです。
同時に、もこっちを自分の苦しみのスケープゴートにして笑い飛ばすこともできます。
基本「あるある」ネタ。人にうまく話しかけられず、挙動不審になっちゃったことを、ずっと気に病んでしまう、とかほんとあるある。
それを、もこっちに託して、いかに笑い飛ばせるか。
「www」「おいやめろ」って言えるか。
笑い飛ばせない人は見るのすらツライし不愉快になってしまうので、諸刃の剣な作品ではあります。
そのクッションになるのが、もこっちの絶妙なかわいさ。これのおかげでギャグになっています。が、劇薬には変わりない。

2・過去経験として笑える層としての楽しみ
この作品は通り過ぎた大人から見ると、自意識過剰の滑稽さを描いた作品。
「あー、あったよねー」と苦笑いする作品としての仕掛けを随所に設けています。
『けいおん!』や『耳をすませば』みたいな、キラキラ明るく楽しい青春時代への憧れも一つの青春期のノスタルジックです。
しかし、こういう毒々しくてグズグズしたヘドロのような、呪詛の塊のような青春だって、青春期のノスタルジックのはず。
筋肉少女帯の『蜘蛛の糸』の、「友達がいないからノートに猫の絵を描く」という歌詞にとても近い感覚です。
暗い青春を見ることで、懐かしくなるものってあるんです。それを見て楽しくなるかどうかは別として。
作中では、もこっち以外が灰色になる演出が何度も挿入されます。
彼女が世界に呪詛を述べるシーンでは、まるで世界の終わりのように光が歪みます。不気味な音が流れます。
死ね! 滅びろ! 殺す!
三話で、先生に叱られたあげく、傘を盗まれ、もこっちの怒りが吹き上がる描写が入ります。本当に殺しかねない勢いです。
でも、ちゃんとオチがある。ずっこけるような、拍子抜けの。
結局自意識過剰って「たいしたことないんだよね」。若い時の迷走は、大人になってから振り返って、気づく部分です。
誰かとたまたま同じ場所で雨宿りしたときに「私がどこかにいくべきなのか?」と不安になってしまった経験がある人なら、何かしら心のフックに引っかかる。
だから「かつてこんな気持になったよね」と自虐的に笑いとばせる大人だと、それを再確認できるので実に楽しい。他に多くのルサンチマン作品を読んでいる人なら、比較的まだマシなので、気楽に笑えます。
最近はコンビニで「わたもて」が売っていることも。誰買うの?!通り過ぎた大人なら笑いながらコンビニエンス気分で買える……のか? 未だに不思議です。

3・もこっちかわいいよ層としての楽しみ
自分の経験と別として、単純にもこっちがかわいいと思えるかどうか。
作中では「かわいくない子」という表現で、喪女の典型、として描かれているのですが、ぶっちゃけかわいいです。
髪の毛がもさもさしていて、目の下にクマがあって、挙動不審で、目がフラフラして、自虐的で、人に怒りをぶつけて。
めんどうなキャラではありますが、それがかわいいんだよなあ。
ひっくり返せば「かわいがってあげたい」「優しくしてあげたい」んです。
アニメキャラだから、自分を反映したり現実的に考えたりせず、素直に萌えることができる。ファンタジーだしね。
もちろん、もこっちがかわいいと思う人ばかりではないでしょう。でも彼女が小動物的な動きで、ツライ思いをして涙目なのをなんとかしてあげたい!という思いはぼんやり浮かびます。
僕の場合は「きつかった高校時代の自分に何かしてやりたい」的な反映もあります。女の子なのも都合がいいしー。
自己愛的な見方もできるし、そうじゃなくても単純にかわいい、もこっち笑える。だから面白い作品です。
え? もっといじめたい? そういうSな楽しみ方もありかもね。

もこっちというキャラが好きになれるかどうかが、この作品を見るときの大きな分かれ目になるはず。
「面倒くさい」キャラというのが強調されています。
これを「コミュ障」とか「非モテ」とか「喪女」で言い切れる人は、気楽に楽しめるはず。ギャグマンガですから!
「ちがうだろ、そうじゃないんだよ、っていうかだな!」と感情移入して、正にも負にもモヤモヤが加速して振り切れる人は、振り切って叫ぶと楽しいと思います。自意識過剰マンガですから!

にしても、二話のラストでゆうちゃんに彼氏出来た話聞いたもこっちの心情ときたら、何度見ても……つ、つれえ……。一人を楽しめる大人になっても、これはツライよ。
そしてぼくはそっとヘッドフォンをつけて、一人の世界に入った。

(たまごまご)