話題の候補作のひとつ。『想像ラジオ』いとうせいこう/河出書房新社

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いよいよ本日、7月17日は第149回芥川・直木賞が決定します。前日の直木賞編に続き、芥川賞の予想をしてみました。★で表しているのは今回の本命度です。どうぞご覧あれ(5点が最高。☆は0.5点)。ちなみに、直木賞編はこちら。

■「砂漠ダンス」山下澄人(2回目。初出:「文藝」2013年夏号)
147回の候補作となった「ギッちょん」は、同回の芥川賞でもっとも楽しませてくれた作品だった。語り手は自身の幼時から老境までを自由に俯瞰できる位置にいて、チャンネルをザッピングするように各年代を往来しつつ、時に応じて7歳のときの自意識の起点ともいえる位置に戻っていく。7歳という要の年齢から扇状に開いた、パノラマを見るような気分でこの愉快な小説を読んだ。
「砂漠ダンス」は「ギっちょん」と共通する構造を持った小説である。違いがあるとすれば、「ギッちょん」が俯瞰で見下ろすような視線の作品だとすれば、「砂漠ダンス」は同一の視線の高さで世界を見ているということか。
主人公はタカハシと名乗っている人物だが、実はタカハシではなく、タカハシと名乗る理由もとくにないのだという。この曖昧さは、語り手に浮遊を許すための作者のシグナルだろう。案の定、話の中盤ではとある定食屋に入った〈わたし〉がタカハシと名乗る〈わたし〉に遭遇してその食事の一部始終を観察するエピソードが出てくる。二人の〈わたし〉はもちろん両方とも〈わたし〉なのだ。長い時間を生きる〈わたし〉の軌跡は、〈わたし〉が見ることのできる場所の至るところに残されている。その断片を採集するような形で本編は書かれているのではないか。
この小説の語り手はタカハシであるだけではなく、ネバダ砂漠で見かけたコヨーテに同化するなど、自身からの遊離もやってのける。その遊離がどういう原理で行われているかなどと考えていくと、タカハシの人生が描いた軌跡がだんだんと見えてくる。
私はパズル的な関心で本作を読んだが、パズルを解いた後に見えてくる絵柄が凡庸、という不満を漏らす選考委員も出る気がする。よって本命度は★★☆、ちょうど満点の半分で評価が割れる、と見た。

■「すっぽん心中」戌井昭人(4回目。初出:「新潮」2013年1月号)
4回目の候補作、なんと今回は藤野可織と並んで最古参、かつ最多ノミネートとなってしまった。「すっぽん心中」は、第147回の候補作「ひっ」と同様、無為徒食の人間を描く小説だ。舞台は西日暮里駅界隈から茨城県土浦市付近までの一帯であり、東京メトロ千代田線〜JR常磐線沿線というローカル色が明確に打ち出されている。
車の追突事故のために首を怪我してしまいリハビリ生活を送る田野が、行き場のないモモという19歳の女性と出会うことから話は始まる。モモは18歳で福岡の実家を出て、悪い男に引っかかって風俗業に沈めそうになるなど、波瀾万丈の日々を過ごしてきた。2人は湯島のラブホテルに入り、成り行きのようなセックスをする。田野が怪我のために顔が横向きのまま動かなくなり、ニュースを流しているテレビのほうを向いたまま腰を振る、というのがばかばかしくていい。
小説の後半ではモモの思いつきから二人で霞ヶ浦に行き、すっぽん漁をすることになる。
こんな具合にすべてが成り行きで動き、かつ何も得られない。左右に針が振れるのに結局ゼロの位置に戻ってくるメーターのようなものである。しかしその針がうろうろしている間にチャーミングなエピソードがいくつも披露される。すっぽんに指を噛まれることを過度に警戒する田野が、案の定被害にあってしまうくだりなどは、まるでダチョウ倶楽部のリアクション芸を見ているようだ。
おおいに笑わせてもらったし、喜劇小説としては満点の出来だと思う。ただし、芥川賞候補作としては、こうした滑稽さが前面に出たものは不利だろう。個人的には大好きなのだが、本命度は★★としたい。

■「すなまわり」鶴川健吉(初。初出:「文学界」2013年6月号)
行司として相撲界に飛び込んだ少年を主人公とした教養小説だ。中学校時代の主人公は授業中、ノートの余白に相撲字で四股名を書いて時間潰しをしていた。家に帰れば力士となるべく体重を増やす努力に明け暮れる。しかしながら体格は合格線に届かず、彼は次善の策として行司の道を選んだのである。
全13章、作者は少しずつ時間を飛ばしながら主人公の成長過程を追っていく。未知の世界にカメラを送り込んだドキュメンタリーのようなもので、聞いたこともないような情報が次々に開示される(そもそも、行司が力士たちと同じ相撲部屋の所属であることを知っている読者はどのくらいいただろうか)。
本作の美点はディテールが豊かであることで、かかとのひびからカスを取り出す描写が延々と続けられる。現役時代に患った糖尿病のため粘度が高い親方衆の尿が小便器を伝って垂れていく。寝転がってカップラーメンを食べている力士の麺をすするたびに上下する髷、ずっとかぶり続けている烏帽子のために額から取れなくなっていく線、などなど。そうした、生理的に訴えてくる文章の連なりが楽しいのだ。
相撲界を一種の異国に見立てると、そこに入り込んだ主人公が異なる倫理、異なる掟に馴化していく過程を描いたものとしても読むことができる。主人公は「くらわされるたびに自分は成長している」と自身に言い聞かせる。そうすることで「自分の中の敏感で小うるさい部分がやすられていく」のである。思考停止状態で服従することに悦びさえ覚えるようになっていく自分自身を、主人公は冷静に観察する。
じっとりと湿気の多いスポーツ小説として変り種のおもしろさがある。候補作中では唯一の私小説ということもあり、受賞の目は皆無ではないだろう。本命度は★★★。

■『想像ラジオ』いとうせいこう(初。初出:「文藝」2013年春号)
主人公・芥川冬助は、高い杉の上に寝転がるような姿勢で引っかかっている。その状態で体を動かすことができない彼は、仕方なくラジオのDJとして放送を始めるのである。曰く「あなたの想像力が電波であり、マイクであり、スタジオであり、電波塔であり、つまり僕の声そのものなんです」。DJアークを名乗る冬助の元には、やがて大量の反響の声が届けられるようになる。それもまた、想像力を介したやりとりだ。気楽なおしゃべりとそれに反応する声が一つのクラウドとなり、やがて意外な風景が像を結び始める。
いとうせいこう初の芥川賞候補作は、彼にとって16年ぶりの小説の著作でもあった。いとうがなぜ沈黙を破ったのか、という問いの答えを得たければ、まずはこの小説を読むべきである。かかしのように身動きもとれずにDJ役を務める主人公は何者なのか、そもそも想像ラジオとは何なのか、といった物語序盤で読者が感じるであろう疑問には、第一章の終わりで答えが示される。その謎解きが小説の興趣のすべてというわけではないが、驚きを100パーセントの形で味わってもらうため、ここでは詳細は伏せておきたい。
五章から成る小説が、二重の入れ子構造になっている点にも注目しておこう。芥川冬助の登場する1、3、5章の間には作家である〈私〉が語り手を務める章が配されている。この二つの位相の異なる章は、相手の章の物語を相互に求めあっている。物語によって、現実が補完される関係になっているのだ。想像によって生み出されたもの=物語=作家という人種の所産という連環に、何かを見出す読者もいるはずだ。
このように読者へバトンを渡すような形で書かれた小説である。もっと広く読まれるために、ぜひ受賞してもらいたいのだが、初候補作ということでは難しいか。残念ながら本命度は★★★☆に留まる。

■「爪と目」藤野可織(2回目。初出:「新潮」2013年4月号)
2009年の第141回「いけにえ」以来、4年ぶり2回目の候補作となった。同作には怪奇小説の要素があったが、本篇にも冒頭から不穏な雰囲気が漂っている。
不倫相手の男の妻が急死し、麻衣はその遺児である3歳の陽奈がいる部屋に移り住むことになる。入籍はまだだが、事実婚を成し遂げたようなものだ。
陽奈の父親はよく言えば人が良く、要するに鈍感で、どうしようもなく男である。つまり自分の見たいものしか見えない人間なのだ。死亡した妻はこまめに家事をし、娘の躾に気を配り、北欧製の家具でインテリアを統一するような女性であった。
彼女が統べていた部屋に入りこんだ麻衣は、明らかに異分子だった。死んだ女性の趣味が横溢している部屋に、ホームセンターで買った安手の家具を持ち込む。小説というものを一切読まない麻衣は、部屋にあった本を読みもしないで古本屋に売り払う。買取に来た男は、麻衣の浮気の相手になる。
小説は、主人公である麻衣のことを「あなた」と呼ぶ人物によって語られる。その正体はすぐに判明する。陽奈なのだ。麻衣は陽奈を、腫れ物に触れるような扱いで処する。母親が与えなかったような菓子を手渡し、それを貪るように仕向けるのだ。物を食っている間、口は余計な言葉を発しない。ネグレクトではないが、穏やかなコミュニケーション拒否と言っていい。こうして、ちぐはぐな家具が置かれるようになった密室で(実の母親がベランダで死亡したため、サッシはずっと閉ざされている)、女二人の共同生活が始まる。
陽奈の扱いから察せられるように、麻衣は他人に対する興味の薄い人間だ。おそるべき鈍感さで外界を拒み、気持ちよい停滞の中に身を沈めてきた。そういう性格として彼女が描かれることの意味は物語の後半で判明するだろう。あることから彼女の堅牢な世界にひびが入り始める。その瞬間に思いがけないことが起きるのだ。
不気味な味と性格喜劇の要素が混在した、奥行きのある小説だ。中篇の長さに詰め込まれた要素は多く、読者を引き込む魅力がある。おそらく今回の本命。★★★★が私の評価だ。

以上、予想してみました。どうなりますことか。
(杉江松恋)

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