「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」タイラー・ハミルトン&ダニエル・ボイル著/小学館文庫
アメリカで発売された後にランス・アームストロングがドーピング告白を行ったため、ペーパーバック版の後書きとしてその後のこともかなり詳細に書かれている。

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ここ数年においての、いやスポーツ史上最大のスキャンダルは、ランス・アームストロングのドーピングの告白をし、タイトルをすべて剥奪され永久追放された事件ではないだろうか。生存率30%と言われた睾丸ガンから復帰した後、世界一過酷な競技と言われている自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」で前人未踏の七連覇を達成した男が「自分はドーピングをしていた」とTV番組で告白したのだ。

長年ドーピングを否定していた彼が認めるきっかけになったと言われているのが「シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕」だ。著者はタイラー・ハミルトン。2008年までプロ選手として活躍し、1998年から2001年まではランス・アームストロングのチームメイト。そしてロードレースのアテネオリンピック金メダリスト(2012年に剥奪)だ。超一流選手だった彼が自転車ロードレース界について告発した内容を自転車競技ジャーナリストのダニエル・コイルがまとめたのがこの本になる。

この本を読むと、当時の自転車ロードレースがいかにドーピング漬けであったかということと、それが悪いことと知りながらも手を染めざるを得なかったことがわかる。プロの選手は常に「結果」を求められる。チームや、スポンサーから何よりも「勝利」を求められる。でも周りはドーピングをすることによって勝っていて、自分も同じようにしないと勝てそうにない。人生のすべてをかけて成功の瀬戸際までたどり着いた時に待っていたのは薬を使って勝つか、使わずにこの世界から去るか。こんな選択を迫られたら、あなたならどうする? ということだ。これは非常に難しい。自分なら、誘惑に乗ってしまうだろう。

そんな薬に頼らずに練習で勝てばいいと思う方もいるかもしれないが、ことはそう簡単ではない。たとえば、ツール・ド・フランスは3週間かけてフランスを一周するレースだ。1日あたりの走行距離が200kmを超える日がほとんどで、アルプス山脈やピレネー山脈を登る。休息日は途中で2日しかない。そうなると、体はどんどん疲弊していく。そこで登場するのがエドガーというスラングで呼ばれるEPO(エドガー・アラン・ポーの頭文字と同じ略なのでこう呼ばれていた)やテストステロンという薬物だ。これらを摂取すると回復が促され、翌日以降も同じ身体レベルで走ることができる。そのため、1週間以上のレースをドーパーとクリーンな選手が走ったら、まずドーパーが勝つことになる。

EPOは血液の酸素運搬能力を高めるため、単純に早く走ることにもつながる。EPOが登場してから(自転車の機材の進化とも相まって)レースの平均速度が向上しているのだ。1980年から1990年にかけてのツール・ド・フランスの平均速度は37.5km/hだったが、1995年から2005年の平均速度は41.6km/hになる。空気抵抗をも含めて考えると、およそ22%ほどのパワーアップとなっているぐらいだ。

この中でクリーンなまま勝つことができるかと言ったら、不可能だろう。当時のトッププロはほぼ例外なくドーピングに手を染めていったのだ。もちろん、ランス・アームストロングやそのライバルであるヤン・ウルリッヒなどの選手もだ。

そしてまた、タイラー・ハミルトンがランス・アームストロングのチームメイトであったことも重要なポイントとなる。ランスは攻撃的な性格で、チームもすべて彼を優勝させるために作られており、帝王のように君臨していた。ガンからの復帰を手伝ってくれた親友だろうと、機嫌を損ねたら追放されてしまうほどだ。そんな彼をアシストするためにもドーピングは不可欠だったのだ。かくしてタイラー・ハミルトンもドーピングに手を染めていくことになる。

本書では、ランスおよび選ばれたチームメイトが如何にして組織的にドーピングを行っていたかということが詳細に書いてある。さらにまたタイラーは、ランスの元を離れた後に、スペイン人医師ウフェミアノ・フエンテスのドーピングネットワークに参加している。ウフェがスペイン警察に摘発され、芋づる式に有力選手のドーピングが次々と発覚し、自転車業界を大きく揺るがした「オペラシオン・プエルト」事件の当事者だ。ロードレース界の2大ドーピングネットワークがどのようなものであったのかを知ることができる本となのだ。そういった意味でも自転車ファンには興味深い内容となっている。

確かにロードレース界は薬漬けで、過去のツール・ド・フランス優勝者もドーパーが多かった。これは過酷なレースと、勝利への追求、そして周囲からのプレッシャーによって生じたものだ。程度の差こそあれ、どんな世界でも同じようなことはあるのではないだろうか。そういったことを考えさせられる。自転車ファン以外でも、スポーツに興味がある人なら興味深く読めるだろう。

最後に、本稿執筆時点はツール・ド・フランス100回記念大会が開催中(2013年6月29日〜7月21日)だ。ここで話されている時よりは比べものにならないほどクリーンな戦いが繰り広げられている。が、まだまだ世間の目は厳しい。現在トップに立っている選手にもインタビューで執拗に「あなたはドーピングをやっていないと誓えますか?」と質問が出ているという。少しメディア・リンチとも言える過剰な報道状況だが、ここ近年のツール・ド・フランス優勝者や途中でトップに立った選手が何かしら薬の陽性反応が出たりしているのも事実。1ファンとして、何も不安に感じることのない自転車レースを楽しめる日が来て欲しいと願ってやまない。
(杉村 啓)