99年、アドマイヤベガで史上初のダービー連覇をやってのけた武は、翌2000年、エアシャカールで皐月賞優勝、ダービー2着、菊花賞優勝の「準三冠制覇」を達成。02年にはタニノギムレットで前人未到のダービー3勝をマークし、かつては遠い栄冠だった「ダービーの勝ち方」を完全に自分のものにした。

 03年には「不可能」と言われていた年間200勝を突破。そんな彼をさらなる高みへと導いたのが、そう、ディープインパクトである。

 04年12月の新馬戦前の追い切りで初めてディープに跨った彼は、

 ──来年はとんでもないことになるぞ。

 と思い、普段稽古をつけている調教助手の池江敏行に、興奮気味に言った。

「敏行さん、この馬ちょっと、ヤバイかも」

 武がまず意識したのはダービーだったが、クラシックを戦うにしてはスピードがありすぎるのが気になったという。前出の池江も、こう証言している。

「豊以外の騎手が乗っていたら、ディープは逃げ馬になっていたと思います」

 上手く抑えないと、とんでもない勢いで飛んで行きそうな危なっかしさを持った馬だったのだ。

 12月19日の新馬戦で、武のエージェント(騎乗依頼仲介者)は、最初、ディープではない馬の依頼を受けてきた。いつもは騎乗馬選択を任せ切っている武も、このときだけは「ブラックタイドの下(弟)に乗りたい」と希望を伝えた。

 もし彼がエージェントの選んだ馬に乗っていたら、別の騎手を背にしたディープはスピードを武器に突っ走る「サイレンススズカの再来」となり、競馬史が変わっていたかもしれない。

 ディープを管理した池江泰郎は、前出の池江敏行の叔父であり、メジロマックイーンやステイゴールドなどの管理馬で、武とともに数々の大レースを制した伯楽であった。

 池江は騎手時代、浅見国一厩舎に所属していた。浅見は武にとって「もうひとりの師匠」と言うべき恩師で、細かいことを言わなかった師匠の武田作十郎とは異なり、デビュー当初から乗り方などを明確な言葉にして指導してきた。武が空気抵抗の少ないエアロフォームの勝負服を着たいと言ったとき、それに応えて日本初のエアロフォームを用意したのも浅見だった。

 武にとって池江は、同じ師を持つ兄弟子のような存在なのである。言葉にせずともわかり合えることの多い「同門」のような関係だからこそ、池江は、直線だけで勝負する極端な競馬を黙って受け入れ、武も心おきなくそれを繰り返すことができたのだろう。

 鞍上が武でなければ、レース終盤に最高速を発揮する、あれほどまでに強烈な走りを披露することはできなかったはずだ。無敗で制した05年の三冠を含め、GIを7勝した、そのディープインパクトについて、武はこう語った。

「ぼくはずっと、こういう馬を探していたような気がします」

 

◆作家 島田明宏