映画公開間近の『スクールガール・コンプレックス』の新作は、女子校。女の子だけの世界に憧れの目を向けた時、そこに見えるのはフェティッシュで不思議でちょっと不安な魅力の空間。架空の女子校を切り取った青山裕企の目が、じっくりと少女達の姿を研究します。

写真拡大

写真集『スクールガール・コンプレックス』の第三弾は、女の子と女の子、二人以上の「女子高生」を捉えた写真集。
「エロいですか?」と聞かれたら、場合によって「エロいよ!」と握りこぶしで答えるし、場合によって「違うよそういうのじゃないよ」と冷静に答えよう。

『スクールガール・コンプレックス』シリーズは、エロい。
しかしヌード写真集ではないし、パンツすらも見えない。
写真家青山裕企は、女性像に対して一貫した芯とこだわりがあります。
フェティッシュだけど、ポルノグラフィではない。エロティックだけど、セックスに踏み込んでいない。

この写真集は、リアルではありません。
青山裕企による「少年期に見た少女の幻想」であり、「大人のイメージする少女の持つ妄想エロティシズム」を研究する写真です。
だから写真の中の子達は、顔が一切写っていません。
言うなれば人形のように写された彼女たち。
スナップ写真とは全然違う、作為的な感覚を焼き付けています。

中高生の時、ぼくも気になっていた女の子をぼーっと見ていました。
でもそれは顔よりも、スラリと伸びた脚だったり、後ろ頭だったり、靴下の跡とかだったんです。
そりゃあ、おっぱいやおしりも見たかったけど、それよりも目の前にある若々しい肢体が、想像を絶するほどに美しすぎたんだよ。妄想かきたてられたんだよ。
あの娘の脚が見られたらもうその日はラッキーくらいな感じ。
このシリーズはそういう、ノスタルジックな幻想100%でできています。だから「コンプレックス」。
憧憬であることを前面に押し出しているので、この四角い枠に囲まれた彼女たちに触れられる気が、全くしません。

3作目は「女子校」がテーマ。女の子一人が写っていた今までと違って、複数人の女の子で写真は構成されます。
ぼくは百合脳なので「女の子ふたりでラブラブちゅっちゅ」と思っていたのですが、違います。
女の子と女の子がいる空間は、より一層フェティッシュでエロティックなのではないか、という写真による論文です。
たとえば94ページには、女の子二人が裸足でスカートに足を突っ込み合う「スカートめくり」という写真が掲載されています。
これ、明らかにリアルじゃない。
でも制服があり、スカートがあり、木の床があるなかで脚が絡まっている。全く性的な欲求なしにじゃれあっている。
妄想していた「女子校」のエロティシズムは、こういう無防備的な女子の姿だったんじゃないか。

ガールズラブ的に見えるカットもありますが、見方次第。
基本的に「女の子達が集まったらどうなるか」に、強く憧れている本です。
青山裕企はこう語ります。
「女の子同士が集まると、すぐに仲良くなってしまいます。”なってしまう”んです。ちょっと目を離した隙に、笑い合っているんです。僕はそんな彼女たちを見て、不思議に思っています。そして、ちょっと怖いなって、思っているのです」

女の子が女の子と出会う時に生まれるフェティッシュと恐怖。
写真のタイトルもいい。女の子の脚が絡みあう「均衡」と「つばぜりあい」、カーディガンを脱がせて「脱皮する」、胸ポケットに指をさしいれる「持ち物検査」。
悲しいのか嬉しいのかわからない空気感が秀逸な「さよなら、ツインテール」なんて、さよならポニーテールのパロディタイトルの中に、思春期少女二人が何を考えているのか不明な、無限の可能性を含めてしまった。
その日の気分で、見るたびに変わる。少女達は輝くし、妖艶にも見えるし、恐怖も魅せつける。
だから面白い。

映画化も決定した『スクールガール・コンプレックス』。放送部篇だそうです。
どんな映画になるのか全く想像がつかないのですが、トレーラーはなかなか、女子学生への触れられない憧れ感が詰まっていて良い感じです。

個人的オススメの一枚は、女の子達がじゃれあってブレザーのボタンの隙間をひらいて肌をのぞく「手術ごっこ」。
彼女たちはどういう関係なのか推測すると、万華鏡みたいに謎だらけの迷宮に投げ込まれます。
一人の肉体のフェティッシュから、視点がある中での複数人の関係性のフェティッシュへ。
青山裕企は、この一冊で彼の持つ少女像研究のテーマに、大きく近づきました。


『スクールガール・コンプレックス 女子校』
『スクールガール・コンプレックス』
『スクールガール・コンプレックス 放課後』

(たまごまご)