『機械男』 マックス・バリー、鈴木恵訳/文藝春秋

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「ぼくは頭もいいし、リサイクルもする。迷子の猫をシェルターに連れていったこともある。ときには冗談も言う。車の調子が悪いと言われたら、音を聞くだけでどこが悪いか教えてやれる。子供も好きだ(ただし、大人に生意気な口をきいても親はそばでにこにこしているだけというのは別)。定職もある。アパートも持っている。嘘はめったにつかない。これはみんな世間が求める長所だという話をよく聞く。ほかにもまだ、誰も話題にしないものがあるとは思うけれど、想像するしかない。なにしろ友達はいないし、家族とも疎遠だし、この十年というものデートをしたこともないのだから[……]」

マックス・バリー『機械男』の主人公、〈ぼく〉ことチャールズ・ニューマンは、こんなモノローグで自己紹介をしてくれる。
やあやあ、よろしく。なんか親近感を抱いてしまうプロフィールだね。
彼はベター・フューチャーという会社の研究部門で技術者として働いている。ご覧のとおり、ちょっと人とコミュニケーションをとるのが苦手なタイプの青年だ。朝の出勤時、彼は会社のエレベーター前で若い女性に話しかけられる。このビルではエレベーターが3基もあるのに、うまく連動できていない。だから待ち時間も長いのだ。

「こんなに技術者がいるんだから、エレベーターを分散させる方法ぐらい考え出せると思わない?」彼女はにっこりした。「あたし、レベッカ」

お、チャンスだぞ、チャールズ。気の効いた冗談の1つでもかまして、ついでに彼女がどこのフロアで働いているか、さりげなく聞き出すんだ。
でもチャールズにはそんな暇はない。新しいエレベーター・アルゴリズムについて考え始めてしまっているからだ。そして返答を思いついたときには、もうエレベーターが来てしまっている。話しかける隙も与えずにレベッカはその中へ。そりゃそうだ。軽い世間話をしかけた相手が、いきなり沈黙して何事かを考え出してしまったら、怖いもんね。

すべてがこんな具合だった。世界ははっきりと2つに分けられていた。チャールズ・ニューマンの世界と、チャールズ・ニューマンがいない世界だ。だがある日、その世界に大きな変化が起きた。チャールズが職場に設置された工作機械に巻き込まれ、片脚の大腿部から先を失う大怪我を負ってしまったのだ。
幸い命に別状はなかった。病院のベッドで暮らすある日、彼の前に1人の女性が現れる。義肢装具士のローラ・シャンクスだ。彼女に薦められた義肢を装着し、チャールズは事故後初めて自分自身の力で歩けるようになる。心の中に誇らしい感情が膨らんでくる。一歩前に進むごとにローラが心からの祝福を送ってくれることも、ちょっと嬉しかった。

ここまでだったら普通の小説の展開だ。しかしチャールズは、そんな当たり前の物語の中に収まるような主人公ではなかった。「運動エネルギーを前進運動に変える」という点で、既存の義肢には不満が多い。いや、生身の脚だって欠点だらけだ。だったら。

モーターつきの自足型の義肢を作ったらよくね?

こうしてチャールズは、義肢の改良という大事業にのめりこんでいく。障壁は多いが、彼はたぐいまれな工学センスによってそれを次々に乗り越えていく。そして、ついに究極の義肢を完成させるのだ。名づけて「美脚」。それを見ているうちに新たな着想が彼の頭の中に閃いてしまう。

もう1本の生身の脚より「美脚」のほうが高性能じゃね?

あ、あ、あ。チャールズ、それ以上はいけない!

『機械男』の題名が示す通り、これは「機能追求」に取りつかれた男が人体を題材にして壮大な実験をやらかしてしまう小説である。自身の体を素材にしてあくなき改良実験を行おうとするさまをグロテスクだと感じる読者もいるだろう。しかし、この悪趣味な行為にも救いはある。義肢製作に熱中するチャールズに、ローラが好意を抱いてくれたようなのだ。生まれて初めてできたガールフレンドである。どうやら相思相愛っぽい。しかも彼の製作した義肢に会社が目をつけ、プロジェクトを組んで商品化をすると申し出てくれた。いきなりプロジェクト・リーダー。俺スゲーとチャールズは鼻ヒクヒクだ。恋人を手に入れ、仕事でも成功し、人生の成功者じゃん!

マックス・バリーはオーストラリア出身の作家だ。邦訳のある第2長篇『ジェニファー・ガバメント』は、広告代理店に支配された未来社会(全員が宣伝のため、姓の代わりに企業名をつけて生活しているのである)を舞台にした反ユートピア小説である。行き過ぎた文明化が何をしでかすのか、という問いは、実はこの『機械男』の中にも忍ばされている。順風満帆に見えるチャールズの人生にも、いずれ影がさすことになるのである。文明人こえー。

それにしても、人とうまくコミュニケーションをとれない男性が思いがけないことから女性とつきあえるようになるというプロットといい、machine manという原題といい、一世を風靡した『電車男』を意識しているように見える(主人公の第一声は、「子供のころ、ぼくは列車になりたかった」なのだ)。そこのところはどうなのだろうか。編集を担当した文藝春秋のN氏に聞いてみた。

「私も気になったので作者に確かめてみたんですが、まったくの偶然だということです」

あ、そうですか! まあ、machine manってそんなに変わった題名でもないですからね。他にもあるし。人とつきあうよりも機械に向き合うほうが好きで、コミュニケーションをとるよりも技術を見せて相手を納得させるほうが得意な人間の類型が、たまたまチャールズという主人公に重なったということなのかな。「才能の無駄遣い」「変態に技術を与えた結果がこれだよ!」などとつっこみを入れながら読んでください。
(杉江松恋)