1968年、福島市生まれ。詩人、高校教師。第1詩集「After」で第4回中原中也賞受賞。第4詩集「地球頭脳詩篇」で第47回晩翠賞受賞。東日本大震災以降Twitterで詩をtweet。それをまとめた「詩の礫」「詩ノ黙礼」「詩の邂逅」を出版。その他の著書に「ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言」「ふたたびの春に」「私とあなたここに生まれて」、現代詩集に「RAINBOW」「誕生」「黄金少年」「入道雲入道雲入道雲」「廃炉詩篇」がある。

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『詩の礫 起承転転』の作者、詩人・和合亮一さんのインタビュー後編です。
時代が確実に変わりゆく中、もの創っていく人たちが、今、何を大切にして、創作をし続けているのか伺います。

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ーー「起承転転」の後半の連続tweetが圧巻です。「どうた」というオノマトペの響きが印象的です。宮沢賢治的というか。
和合  それを書いた2月16日がこの本の最終〆切だったんです。最後に今の気持ちを伝えるために象徴的なことを書きました。僕は北上で子供たちに詩を教える講座をやっています。2月2日に、その講座をやった後、北上の鬼剣舞を見て、凄く心が動かされて、直感的にこれを最後に書こうと思いました。宮沢賢治も岩手の詩人ですが、確かに宮沢賢治を思い描いているところもあります。「どうた」っていうのは鬼剣舞の踊りを音で表したイメージです。この詩をもう少し膨らませていって、新しい鬼の踊りを作ってみようと思っているんです。鬼って、怒りや悲しみを人間に代わって表現してくれている存在のイメージがあるので、今まさに鬼を使った表現を新しく作るべきじゃないだろうかと。福島の震災の悲劇を唄った民謡や踊りを作って長く残して、いつまでも震災のことを忘れないようにしたいんです。それを古典芸能をもじって「未来芸能」と名付けています。
ーー古来から人間のどうしようもない思いが歌を生み、物語を生んだ。それが芸能ですよね。
和合  そうです、そうです。そんなことを思っていたら、長唄を作ってもらえないかなんていう依頼もあったり、遠藤ミチロウさんと大友良英さんとやっているプロジェクトFUKUSHIMAで、盆踊りを立ち上げようとしたりもしています。これは、ミチロウさんが提案されたことです。先輩の言うことは「正しい」ですから…、やりましょうと(笑)。
ーーアーティストなのに案外体育会系なんですね。
和合  僕の高校時代、3年は神、1年は奴隷でしたから。3年が新入生の上履きと自分の古い上履きを取り替えることが、入学の儀式みたいなものでした。
ーーそんなスクールカーストが。
和合  打ち合わせを重ねているうちに、やはり、震災で亡くなった方のために盆踊りを作ることとてもいいことだと思えたんです。やり方は違っても、元はみんな同じようなことを感じているのではないかと思います。
ーーものを創る方は未来を見ていると同時に過去を大事にしています。
和合  はい。
ーー創作は、過去のいいものを受け取って未来に手渡していくような仕事ですよね。
〈僕は始発〉というフレーズがありますが、それも印象的です。
和合  書いていて電車のイメージがいっぱい浮かんできたんです。それも宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の影響もありますし、毎週のように電車に乗って福島から移動しているからということもあります。〈すべてが最終電車だもんナ 下りても 最終電車 日本〉とも書きました。そのとき僕は熊本にいて、津波で亡くなった方のお話をしていたんですよ。その夜、2時頃目が覚めて、亡くなった方々の存在感をパッと感じたんです。さらに次の日、駅の待合室で電車を待つ人たちがみんな黙っていて、無言のままそれぞれ電車に乗っていく姿を見て、命がそれぞれのレールに乗ってそれぞれの目的地に向かっていくことと重なったんです。空の上を走っている列車がふと地上に降りてきて、また空へ戻っていったような気がしました。宮沢賢治ってすごいなって思いましたよ。彼が命をレールにたとえた意味がわかる気がしたんです。電車のtweetは涙が出たという反応をたくさんもらいました。日本はこれからどういうレールを進んでいくのだろう。今の僕には、常に日本は最終電車に乗っていて、これから後がないっていうイメージが浮かびます。
ーー本の見返しに、草に覆われたレールの写真が使われています。何か暗示的というか。(写真は小原一真「RESET BEYOND FUKUSHIMA 福島の彼方に」より)
和合  これは、恐らく小高の風景です。僕もテレビの撮影で行きました。ここは30キロ圏内なので本当は入れなかったのですが、昨年秋に保安員と同行させていだいて、中に入ったんです。そこは3.11の空気のままでした。それと同じ風景を写真を撮ったカメラマンの方も見ているのだなと写真を見て思いました。立ち入り禁止区域が20キロ圏内になった今、小高は午後1時から5時まで入っていけるようになりました。震災前からこの駅は、お昼にチャイムがなるんです。去年行った時、誰もいないのにお昼にチャイムが鳴っていました。ずーと無人のまま、誰も聞かないチャイムが鳴るんです。
ーー無数の人たちがチャイムの音で起きてくるような気がしますね。整備されるときはくるでしょうか。
和合  原発のすぐ傍を走っているレールですからね。ずっといわきまで90キロくらい続いていますから。今の段階では、難しいでしょうね。悔しいですね。
ーー新しいレールをつないでいくために、まだまだ書き続けるお気持ちでしょうか?
和合  そうですね。今回「起承転転」を書いて、Twitterで詩を書く方法をあらためて自分の中では獲得出来たので、迷いや怒りも感じながら、それでも必ず3冊目も1年後に手渡すことができると思います。コツコツ続けるという表現そのものをみなさんに提示したいです。
ーー〈僕は始発だ〉から走り続けると。
和合  そうですね。どこにいても、自分は始発なんだ。いつもはじまりだっていう気持ちで。終わりはないですから。自分が生きている間にこの問題は解決しないでしょうから、子供、そして子孫にまで語り継がれるように書き続けたいです。そんな僕を「沈黙を知らない詩人」と批判する人もいますが、沈黙していることが現実であって、我々までが沈黙してしまったら、最後はなかったことにされちゃうんです。だから愚直に書き続け、10冊20冊と、物で子孫に手渡したいと思います。物量作戦ですよ。できるかぎり多くのものを残したいです。この本の表紙は子供の写真で、実に象徴的なものを使ってくださったなあと感謝しています。今後、Twitter、facebookに次いで、新しいSNS が必ず現れると言われています。そこでもまた「詩の礫」を書いていきたいです。
ーー詩集を読んでいると言葉を強く意識するようになります。今さらですが、福島の「福」は幸福の「福」なんだなあと思いました。
和合  福島から来ることを「来福」って言うんです。福を連れて来るという。それはとてもいい響きですが、今は、反対におそろしい響きになっている気がします。以前は「福島から来ました」って言うと「ふぐすまですね」ってなまりを真似して冗談を言っていたのに、今は誰もそう言わなくなりました。もう一度、言葉の響きから変えていかなくては、と思います。
(木俣冬)