『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(鷲田康/文藝春秋)
1994年10月8日、優勝をかけたシーズン最終戦。伝説として語り継がれる「世紀の決戦」を、今中、松井、立浪、桑田、大豊、斎藤……戦った男たちの証言で綴る。

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国民栄誉賞の授与が正式決定した長嶋茂雄と松井秀喜。
その二人をして「野球人生の中でもあの日はとてつもないビッグデーだった」(長嶋)、「もう2度とあんな試合はないと思う」(松井)と言わしめた試合がある。
二人だけではない。2010年に日本野球機構が12球団の選手・監督・コーチら計858人から集計した「プロ野球の歴史を彩った最高の試合」部門でも1位に選ばれた“プロも認めた大一番”が、ご存知「10.8決戦」だ。
伝説の試合であり、これまで幾人もの選手・監督など関係者がそれぞれの目線で振り返ってきたこの試合の「総括」とも呼ぶべき本が刊行されている。
『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』。
334ページのスポーツ・ドキュメンタリー。試合同様、冒頭から最後の瞬間まで目が離せない一冊だ。

一応、試合内容についておさらいしておくと、1994年のセ・リーグ最終戦:巨人×中日。日本プロ野球史上初めて、勝ち星も勝率も並んだ首位チーム同士が最終戦の直接対決で雌雄を決する「優勝決定戦」となり、巨人が勝利してリーグ優勝を果たした試合。長嶋監督が試合前に「もはや国民的行事」と語り、事実、視聴率48.8%がいまも破られぬプロ野球史上最高視聴率を記録する程、国中の視線を集めた試合である。

それだけの一大イベントである故、本書の中で登場する個々のエピソードも一度はどこかで見聞きしたことがある話題も多い。その一方で、新証言や意外な人物にもスポットを当てたりと、まだまだ語られていなかったことがあるんだな、という奥の深さに改めて驚かされる。そして、これまで多方面でちりばめられていた証言がパズルのようにひとつにまとまることの意義も生まれるのだが、それは追々記していきたい。

本書の内容について触れる前に、まず目次を見て欲しい。
序章:国民的行事の前夜
1回:長嶋茂雄の伝説
2回:落合博満の覚悟
3回:今中慎二の動揺
4回:高木守道の決断
5回:松井秀喜の原点
6回:斎藤雅樹の意地
7回:桑田真澄の落涙
8回:立浪和義の悔恨
9回:長嶋茂雄の約束
終章:「10・8」後の人生

この目次からもわかる通り、決して勝った巨人からの視線だけでなく、中日サイドからの物語も綿密に描かれていく。
著者・鷲田康は報知新聞記者として中日担当を務めた後、巨人担当キャップにまでなった人物。その経験から、当時の長嶋茂雄・高木守道両監督をはじめ、両チームのキーマンとなる選手たちからもコメントを引き出し本書を形成している。
そして登場人物は、試合に出た選手、監督、コーチだけではない。
グラウンドキーパー、新聞記者、解説者、実況アナウンサー、球団オーナー、選手御用達の中華店主人、高木守道夫人などなど、試合展開の起伏にあわせ、中日サイド、巨人サイドに分かれながら、ナゴヤ球場にかけつけた3万5000人(その中には、この年・シーズン200安打を達成し一躍スターダムにのし上がったイチローもいた)の衆目同様、多種多様な視線から試合が振り返られて行く。

例えば、もはや伝説となっている、長嶋茂雄「勝つ!三連発」の試合前訓示。
これに関しては長嶋自身が自伝『野球は人生そのものだ』(日本経済新聞出版社)の中でも《「いいか、おれたちが勝つ、もう一回言うぞ、おれたちが勝つ、勝つ」。勝つ三連発とのちに言われた》と綴っているのだが、本書においては「『勝つ』と言ったのは、1回だけだった」という証言も飛び出す。
どちらが正しいか、ということ以上に、選手も監督も一種のトランス状態にあり、記憶も言い伝えも諸説入り乱れるほどの極限状態にあった、という証左にもなっている。
その一方で、試合前夜の監督室における桑田と長嶋の次のやり取りからは、“長嶋茂雄はどんな状況においても長嶋茂雄だ”というエピソードも紹介される。
翌日の起用法についての大事な話の途中に部屋の電話が鳴り、「ああ、ケンちゃん!」と受話器を取ってハイトーンボイスで話し出す長嶋監督。電話を終え、「ケンちゃんだよ、ケンちゃん! 判るだろ?」と問いつめられる桑田……

《「判るだろ」と言われても、桑田はすぐには「ケンちゃん」の正体は思い浮かばなかった。
 (略)自分の知っている「ケンちゃん」を必死に思いだそうと頭を捻った。
 その結果、ようやく一人だけ思いついた名前があったので、桑田はこう応えたのだという。
 「志村……けんさんですか?」
 (略)すると長嶋が驚いた様にかぶりを振った。
 「ケンちゃんって言ったら高倉の健ちゃんだろう!」》

さらにこのあと、「あしたはとにかく大一番だ。国民的行事になるし、痺れるところで行くからな」とだけ告げられ、「痺れるところ」とはどこかを聞いても明確には指示されず、ピンチの場面なのか、主力打者を迎えた場面なのか、クローザーなのかがわからないまま悶々と部屋で過ごす桑田、というオチもつく。
果たして桑田はクローザーとして登板し、胴上げ投手になったワケだが、こんな裏話を知っておくと、あの優勝の瞬間の桑田のガッツポーズの重さがまた違って見えてくる。

これら、個々人のエピソードを掘り下げていくだけでも間違いなく楽しいのだが、本書を通して描かれているのは、巨人と中日、見事なまでのコントラストの妙だ。

「国民的行事」と呼び、一種のお祭りに仕立て上げた巨人監督・長嶋茂雄に対し、あくまで130分の1の試合に過ぎず、試合終了の瞬間まで「いつも通り」を貫いた中日監督・高木守道。
その姿勢が「エース三本柱だけで試合を組む」という常識外の長嶋采配に結びつき、同様に、エース・今中にこだわって山本昌・郭源治という両輪を最後まで投入しない中日の「いつもの継投」につながっていく。「私の野球はジャズのようなもの」とはこの試合のあとに長嶋自身が残した言葉だが、まさにアドリブだらけの即興演奏の究極の形がこの試合で叶ったことがわかる。

引退を決意して臨んだ巨人4番・落合博満に対し、前年まで同じチームメイトだった落合を疎んでいた中日4番・大豊泰昭。結果、落合は先制のホームランと貴重な追加点となるタイムリーヒットと4番の仕事を見事に果たし、一方の大豊は1本のヒットも打てないどころか、勝負所では併殺打にもなっている。
《私は落合さんのことは今でもあまり好きではないけど、そんことだけは認めなければならない。4番の差で負けた》という大豊のコメントからは、「4番の重責」というものを改めて知ることができる。

他にも、「エース」「キャッチャー」「若手」「オーナー」など、多様な局面でゲームの表には出てこなかった対決が繰り広げられる。
その違いを長嶋は「巨人の伝統」と言い、高木は「中日の体質」と呼ぶ。

勝者と敗者の光と影が野球、そしてスポーツの最大の見どころであり、この試合ほどそのコントラストが美しい試合がないからこそ、20年近くが経とうとしている今でも語り継がれ、色あせないのだろう。

そしてもうひとつ。この試合を振り返り、幾人もの登場人物たちの証言をまとめることで見えてくるのが、プロ野球が連綿と続くことで生まれる「連続ドラマ」としての魅力だ。
長嶋茂雄の引退試合を生観戦するほど憧れ、その長嶋を男にするため巨人入りした落合博満。
その落合がこの日見せた悲痛な決意と結果から「4番のあるべき姿」を学んだ松井秀喜。
この日も含め、シーズン終了間際の連投が、翌年の肘の故障につながったと語る桑田真澄。
この日の長嶋采配、そしてチームを鼓舞する方法論を、のちの巨人軍・WBC采配で活かした原辰徳。
この日負った左肩のケガの後遺症に引退間際まで悩まされ続けることになる立浪和義。
この日の敗戦から「130分の1」ではない試合があることを学び、今まさに非情な采配を目指す高木守道。
その高木守道に学生時代に出会い、セカンドコンバートを進言した長嶋茂雄……

ある日、ある試合、ある一球が、またいつかの名勝負につながっていく。
そんなプロ野球の醍醐味を、シーズンが始まったばかりの今だからこそ再確認するためにも、本書『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』の持つ役割は非常に大きいだろう。
長嶋茂雄は語る。
「野球のすべての面白さを凝縮した試合だった」

(オグマナオト)