『詩の礫 起承転転』和合亮一
徳間書店より発売中

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震災以後、Twitterでつぶやきはじめた詩が話題になり「Twitter詩人」とも呼ばれている和合亮一さん。
『詩の礫 起承転転』は、震災から2年が経った今の気持ちーー迷いや苦しみを経て、また歩き出そうとする気持ちの流れがビビッドに書かれている。
時間の経過と共に、震災直後よりも現地の声を聞く機会が減ってきた印象があるが、復興が進んでいるからというわけでもないようだ。
そういうときにこの本を読むと、詩というものは語れない声の代わりに語るものなのだと改めて感じさせられる。

和合  この本が世間にどういうふうに受け止めていただけるか気になるので、そういう感想をいただけるとうれしいです。
ーー本を何冊も出されて評判もいいのに、それでも反応が気になるものですか?
和合  はい、いつも小さな胸をドキドキさせています(笑)。去年は本を4冊出しました。毎週新刊が出て、「週刊和合」と言われたほどです。今年は、「起承転転」のあと4月にもう1冊本を出す予定ですが、3.11に向けてはこれ1冊です。去年は1ヶ月に4冊出たので、自分自身で受け止める時間があまりなかったですが、今回は1冊にじっくり向き合えるような気がしています。
ーー震災から2年が経った今、和合さんの故郷はどういう状況なのでしょうか。
和合  本の後半に書きましたが、状況としては出口が見えないですね。除染の作業が進んでいますが、厳密に言うと福島で行われているのは、移染です。そのことについて、先日、日経新聞にエッセイを書きました。除染は放射線量の高いところからはじまり、私の実家が放射線量が高いので、早いうちから除染をしてもらったんです。12月の寒い時に若い男性が20人くらい来られて、2週間近く毎日熱心に朝から晩までコツコツ作業してくれました。そして、私が子供のときから一緒に育った庭木が全部切られ、砂利が敷き詰められました。除染といっても、結局削った土を1カ所に埋めているだけなんですよ。そうすることで遮蔽効果があるそうですが、そこは当然近寄らないほうがいいって言われています。そりゃあ近寄りたくないですよね。放射線のある土を1カ所にまとめると、例えば、元が0.94マイクロシーベルトだったとして、まとめると数値が倍増することはないらしいんです。重なり合うと遮蔽されるんですって。
ーーつまり、復興が進んでいるという感じではない。
和合  逆に問題が深くなっていることもあるんですよ。例えば、生まれて一歳とか半年の子供さんにとって父親が重要ですよね。にも関わらず、父親だけ福島に残り、家族は東京、山形、名古屋、金沢などにいて、週末だけ父親は家族が住む町に行って、日曜日の夕方にまた福島に戻るというケースが多いんです。避難したお子さんの書いた作文をいくつか読むと、その中に「どうしてお父さんは夕方帰っちゃうの?」というものがありました。「ゴハンを食べたらお父さんが帰ってしまうのがわかるので、ゴハンを食べながらも、泣けてくるんだ」という作文です。今こうして話しているだけで涙が出てきてしまうんですけど。実際、そういう家族が非常に多いんです。本に〈ファミレスにて〉という詩が入っています。これは実際に僕の友人の体験談です。彼はファミレスのメニューは全部食べていると自慢していました。上から順に食べて下まで食べ終わったら、また上に戻るそうです。ひとりで食べて、何がファミレスだっていう。こんなふうに、いろいろな問題が根深くなってきています。他に「震災関連死」が非常に多くなっています。お年寄りが避難した先で亡くなることが増えているんです。「故郷の家に戻って死にたい」と言っていたのに仮設住居で亡くなってしまったと落ち込んでいる遺族が増えているんですよ。
ーー2年経って、ボランティアに訪れる人も減っていると聞きます。そんな中、この本で何も解決していないことがわかるので、とても意味のあることですよね。
和合  そう言ってもらえると嬉しいです。こういう形でまた一冊まとめさせてもらったことで、改めてTwitterに詩を書いて、みんなに届けていくんだという宣言ができた気がするんです。「詩の礫」の前作は、地震に揺られ揺られて書いた詩集です。1ヶ月に余震が1002回あったんですよ、震災当時。その最中に体で危機を感じながら書いたものです。そのあと違う形式で本を作りまして。例えば、福島の方のインタビュー本ですが。
ーー25人にインタビューした『ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言』ですね。
和合  そうです。それもまたやりたいと思っています。そういうことをやっていたため、一時期Twitterで詩を書くことが止まりました。前作と同じことをやっても仕方ないし、震災を描く方法が見えなくなってきて、このままTwitterに詩を書いていくと上滑りなものを書いてしまい、逆に、皆さんの福島への興味を私自身が失わせてしまうのではないかと悩みはじめたんです。実際、詩集を出してから1年、目に見えてマスコミなどがだんだん離れていくわけですよ。そうすると自分でも自信がなくなってくるし、気持ちがトーンダウンしていくんですよ。一種の五月病のようなものかもしれないですが。さらに、「起承転転」にも書いてありますが、先輩の詩人たちや長くおつきあいしてきた知人たちから冷たい扱いを受けたり離れていかれたりもして。果たしてこのまま書き続けられるだろうかという悩みが去年の3、4月に生まれてきました。先週取材に来てくださった某新聞社の記者の方に、この本の最初は「悩んでいる感じがありますね」って指摘されました。
ーーその悩みはどうやってふっきったのですか。
和合  昨年5月にデモ活動が広がったことです。僕は参加しませんでしたが、そのときにtweetをするとリアクションがすごく多かったんです。デモに参加してる人以外もうねりをもっているんだなとその時思ったし、励まされました。それから僕の中で少しずつ気持ちが変わっていったんです。動かなくちゃダメなんだって自分も改めて思ったというか……。
ーー本の中で、批評家に批評されて葛藤しているところが印象的です。
和合  とても傷つきましたし、孤独も深まりましたけど、傷を作品にしていくしかないんだと思いました。
ーーこれだけ長く書き続けることは力の要ることですから、それだけでも意味あると思うんですよね。でも今は乗り越えられたと。
和合  それもソーシャルネットワークの力ですよね。リアルタイムの力はすごいものがあります。昨年、7月1日9時に大飯原発が再稼働して、僕は9時3分にtweetしたんですね。〈原子力が動いています。静かな夜です〉って。そしたら、すごくRetweetされたんです。一気に3ケタくらいあったかな。これは! 今日は違うぞ!とうねりを感じました。まるで画面が呼吸しているように感じたんです。全国で何か自分も何らかのアクションに加わりたいという気持ちをもった人がたくさんいて、僕が書いたものをRetweetすることにつながったと思います。
ーーいつものRetweet状況はどんな感じなんですか。
和合  いいものを書けたときは、3、40人くらいにRetweetされます。Tweetした瞬間に10人くらいにRetweetされると、最終的に40人くらいになるなってわかるんです。
それが、7月1日は違って、いきなり6、70人くらいにRetweetされたんです。それだけの人がTwitterの画面を見ていたんですね。テレビでなくてTwitterを。
ーーテレビよりもTwitterのほうに真実があるんじゃないかと思う人がすっかり増えましたよね。
和合  僕も、Twitterの反応で、今、どんな切り口が求められているか、ある種のマーケティングのようなことをしています。自信があったtweetが残念ながら求めてもらえない悲しさもありますし、逆に、え、これが求められているんだという驚きもあります。Twitter反応は書きたいと思う原動力に確実になっていますね。
ーー反応が少なくても、いや、俺はこっちの道をいくぜ、とは思わない?
和合  思います、思います。そのときは詩人に逃げるというか。これは詩なんだからわかってもらえなくていいと開き直ります。いや、本当はわかってもらいたくてやっているんですけど(笑)。よく言われるのは、「ケーキ食べてるなう」とか「映画面白かった」とか、そういう普通の日常生活を書くなって(笑)。
ーーところで、和合さんが詩人になったきっかけは?
和合  唐十郎や寺山修司が好きで詩を書きはじめたんです。彼らの作品から前衛にはじめて触れました。唐さんの舞台が福島に来たときにはじめて見たんです。テントが倒れて現実の風景が見えたとき、これまで見えていた世界が変わることを体験して詩に目覚めました。こういうふうに比喩を用いて詩を書けばいいんだって。ゆくゆくは「前衛とは何か」っていう本もつくりたいんですよ。
ーー演劇がお好きなんですか。
和合  大学時代、演劇をやっていました。今も、高校の演劇部の顧問をやっています。高校演劇の全国大会に行くと、平田オリザさんや篠崎光正さんなど学生時代に憧れていた方にお会いできて嬉しくて(笑)。篠崎さんのことは篠崎システムという演劇メソッドをマネしていたくらいですから。 もう「篠崎システム」で記憶しちゃっていて(笑)。
ーーマキタ・スポーツみたいですね(笑)。震災でTwitterをはじめるまでは、詩を手書きで書いていらしたということですが、手書きとデジタルでは感覚が全然違います。2年も経てば、完全にひとりの人間の身体や感覚を変えてしまうのではないかと思いますがいかがですか。
和合  今の自分と震災前の自分とはまるで結びつかないです。震災が起きなかったら今の自分はありえなかったでしょう。ただ、僕のtweetはアナログな部分もあるんです。例えば「これから2時間tweetします」と告知をして、2時間の間、連続でtweetをすることがありまして、これは即興です。字を打ち間違えたら、削除して修正して、またtweetしたり。定期的にtweetするのではなくて、ちょっと時間を空けてまたtweetするなんてこともあります。そういうところがアナログなんじゃないかと思います。だから今、コミュニケーションで求められているものは、デジタルとアナログの両方なんだと感じるんです。
(木俣冬)

(後編につづく)


[プロフィール]
わごう・りょういち 
1968年、福島市生まれ。詩人、高校教師。第1詩集「After」で第4回中原中也賞受賞。第4詩集「地球頭脳詩篇」で第47回晩翠賞受賞。東日本大震災以降Twitterで詩をtweet。それをまとめた「詩の礫」「詩ノ黙礼」「詩の邂逅」を出版。その他の著書に「ふるさとをあきらめない フクシマ、25人の証言」「ふたたびの春に」「私とあなたここに生まれて」、現代詩集に「RAINBOW」「誕生」「黄金少年」「入道雲入道雲入道雲」「廃炉詩篇」がある。